歴史上の感染症

★はじめに

最近の我が国と言おうかやや大げさに言うと世界のマスコミは毎日「新型コロナウィルス」「新型コロナウィルス」と宣って何やら「新型コロナウィルス」に振り回されているようだ。このニュースはあちこちで見かけるが、「愛知県内の病院の精神科医は、2020年3月下旬、外来患者の「主訴」を独自に調査した。その結果、1日に診察した68人のうち、58人がコロナへの強い不安を述べたという。患者の8割(85%)以上が同一の心配事を語るというのは、東日本大震災を含めてこれまで一切なかったという。」端的に言うと日本が「コロナ鬱」で倒れそうな感じだ。日本は欧米に比べればまだマシなどという御仁もいるが、疲れ切った人も多くそろそろ精神的限界に近づいているのではないか。
歴史的に見るとこの種のパンデミック(ある感染症<伝染病>の世界的な大流行を表す語)は古代からあったようで、疾患名としては古い順に、ペスト、コレラ、インフルエンザが多発しているようである。原因としては「人々の移動」があげられ、「世界各国で、国内旅行だけでなく、航空機を用いた外国旅行も世界的に非常に盛んになっているので、国境を越えて世界規模のパンデミックが発生しやすくなっている」とされる。このたびの新型コロナウィルス肺炎も旧暦の正月に当たる「春節」を利用して世界各地へ旅行に出かけた人々があるいは関係しているのではないかと思われる。
また、「ペットが新型コロナウイルスに感染したとみられる事例が報告されているとして、厚生労働省は17日(2020/04/17)までに、動物との過度な接触を控えることなどを求めた飼育者向けのQ&Aをホームページなどで公開した。」とあるが、これは日本では古くに「日和見感染」などと言われ、通常の生活では何でもないことだが、免疫力が落ちたときに訳のわからない病気に襲われ感染してしまうとか。その種の原因物質(ウィルス・細菌とか)はほとんどが未解明とも言う。トキソプラズマなどは発見された極々一部という。

★日本の感染症

日本は島国であまりこの種の疾病はなかったようだが、主に渡来人により朝鮮半島や大陸からもたらされたもののようである。記録に残るものとしては疱瘡(ほうそう。天然痘)がある。『日本書紀』には「瘡(かさ)発(い)でて死(みまか)る者――身焼かれ、打たれ、摧(砕)かるるが如し」と。但し、麻疹(はしか)などの説もある。具体的には、
欽明天皇十三年冬十月「大臣(蘇我稲目)跪受而忻悅。安置小墾田家、懃修出世業爲因。淨捨向原家、爲寺。於後、國行疫氣、民致夭殘、久而愈多、不能治療。」(最初の疱瘡の記録か)
敏達天皇十四年春二月「是時、國行疫疾、民死者衆。」
同上      三月「疫疾流行、國民可絶。」
同上         「又發瘡死者充盈於國、其患瘡者言「身、如被燒被打被摧」啼泣而死。」(疱瘡の具体的記録か)
などが天然痘の流行について記述しているのではないかと考えられている。仏教の受容即ち天然痘の流行だったようだ。外国人は先進文化ばかりか重篤な疾病ももたらしたようである。類似の話としては、崇神天皇紀「五年、國內多疾疫、民有死亡者、且大半矣。」と「六十五年秋七月、任那國、遣蘇那曷叱知、令朝貢也。」とがセットになっている。但し、この蘇那曷叱知は『魏志倭人伝』 に言う魏の外交使節団とも思われ、使節団のなかに感染症に罹っている者がいたか。魏は222年に三方向から呉を攻めたが、疫病が流行したため退却した、とある。

こう言う典型的な感染症のほかに、日本には特異な感染症がある。日沼頼夫京都大学名誉教授によると縄文人由来の感染症とも言うべきもので「成人T細胞白血病」と言う。特徴としては、
1.1976年(昭和51年)に高月清熊本大学名誉教授らによって発見、命名された。
2.発症の原因はHTLV-Iウィルスの感染である。
3.感染後の潜伏期間は40年~60年と言う。
4.多くの人は発症することなく、ウイルスに感染しただけの状態=キャリアのまま生涯を終える。平均寿命50歳の戦前の日本では発症がなかったのは当然か。
5.世界的には日本、中南米、アフリカ、ニューギニア島などにHTLV-1感染者の多い地域がある。
6.日本では九州・沖縄地方を中心に約110万人のキャリアが存在し、そこから発症するのは40歳以降、60歳前後に多く、3~5%と推定されている。
7.日本国内の分布の子細は、南九州や沖縄、アイヌに特に高頻度で見られ、四国南部、紀伊半島の南部、東北地方の太平洋側、隠岐、五島列島などの僻地や離島に多いことが判明している。九州、四国、東北の各地方におけるATLの好発地域を詳細に検討すると、周囲から隔絶され交通の不便だった小集落でキャリアは高率に温存されている。

日本への感染経路はアフリカが起源でベーリング海峡を渡り、「約3万 – 1万3000年前のウルム氷期の最寒期とされる頃、ベーリング海峡地域は陸地化しており、いわゆるベーリンジアとなっていた。ユーラシア大陸のモンゴロイドは、このベーリング地峡を渡ってアメリカ大陸に進出した」という。この人々の一派が、途中、日本列島に定着し、中南米にも定着したと思われる。ニューギニア島は「ギニア」という地名が元々アフリカの地名でアフリカ人が直接やって来たものか。当時にあって、日本、中南米、アフリカ、ニューギニア島などは辺境の地であったか。ただ、この病気はその後も撲滅せず現在も残っているようだ。本州中央部の「成人T細胞白血病」は弥生人により撲滅されたと言うが本当か。日本人が海外に定住していたのは朝鮮半島南部で白村江の戦いで負けて完全撤退したのが東アジアの国々に同病が見当たらない原因か。潜伏期間が40年から60年だ、などとのんきに構えず撲滅対策をしっかりやってもらいたいものだ。調査にもよるが現在でもキャリアが110万人もいるという。

★まとめ

毎日、毎日、マスコミは新型コロナウィルスの話で持ちきりだ。なかには「もうそんな話は、見たくもない、聞きたくもない」という人がいるようだ。一説によると、こんなだらだらした状態が2022年まで続くという。今でさえ国民の疲弊は極度に近づいているのに、今後二年間もこんな状態が続くといろいろな病気が顕在化してくるのではないか。なかにはいったん収束したようになるがその後またぶり返し三波(三年間)に及ぶなどとご託宣を述べる人もいる。古代人の感染症対策はどんなものだったのであろうか。

欽明天皇十三年(552)、「國行疫氣、民致夭殘、久而愈多、不能治療」と言い、治療法はないと記されている。病気に対してなすすべもなかったと言うことかと思う。
天平九年(737)、疫病(天然痘と思われる)が大流行し、この疫病によって当時、政権の主たる担い手であった藤原四兄弟(武智麻呂、房前、宇合、麻呂)全員が病死した。この四兄弟は当時にあっては権勢並ぶ者なき人物であったろうに疾病対策は何もせずにただご臨終となったのであろうか。
正暦5年(994)、天然痘が大流行して、藤原道隆、藤原道兼(いずれも藤原道長の兄)はともに天然痘のために死去したといわれる(ただし、麻疹とする説もある。道隆はアルコール依存症か。)
また、京都市百万遍に所在する浄土宗知恩寺(左京区田中門前町)は、京都に天然痘が大流行していた元弘元年(1331)、後醍醐天皇の勅により百万遍念仏を行い疫病を治めたことから「百万遍」の寺号が下賜されたものである、と言う。
慶応2年(1867)、孝明天皇の急死は天然痘によるものであったと記録(診断)されている。天皇自身が当時かなり普及し始めていた種痘を嫌悪したために天然痘に対して無防備であったといわれているが、毒殺説も有力。

以上を見てみると、古来より日本の上層部の人は医学の効用をあまり信用せず、加持祈祷とか単に病床に伏していたようだ。現在でも解明できないものを1000年以上も前に病原を発見せよと言ったところで無理筋の話ではある。
庶民の感染症対策としては、加持祈禱(かじきとう)、戸口に疫病退散のお札貼り、病気を追い払う太鼓や鐘の打ち鳴らし等があったらしい。また、村の入り口には「ほうそうのものこのむらにはいるべからず」などと言う看板を掲げ、他国者を寄せ付けなかったらしい。また、幕末のオランダ医術が効果を上げたらしく、今日とはほとんど変わらない衛生観念を推奨させたようだ。具体的には、「身体と衣服を清潔に保つ」「室内の空気循環をよくする」「適度な運動と節度ある食生活」など。何か西洋の医学が入ってくる前の日本の医学は前近代的なもののような気がする。

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