大宜津比売神と家都御子神

★はじめに

大宜津比売神と家都御子神がどうしたのだ、と言われれば、何やら大宜津比売の「宜津」と家都御子の「家都」が同じ発音ではないかと思い、現代的に言うと同族(神)の人ないし神ではないかと思うのだが、あまたの解説を見るとそうではないらしい。大宜津比売神は『古事記』に出てくる神で、『日本書紀』には保食神(うけもちのかみ)と名が変わって出てくる。おそらく『古事記』の著者の見た原典と『日本書紀』の編者が見た原典とは違うものだったのだろう。あるいは「この説話は食物起源神話であり、東南アジアを中心に世界各地に見られるハイヌウェレ神話型の説話である。」と言い、日本には穀物神話が多いところから見て、朝鮮半島経由の神話や揚子江中・下流域経由の神話が多かったのだろう。半島経由の神話と江南経由の神話も少しずつ内容が違ったのではないか。「宜津」や「家都」など同じような言葉が出てくるのはその後日本人に咀嚼されて日本語(大和言葉)に改められたからではないか。昔も今も日本文化は外国からの移入品、と思われるような話で申し訳ないが、食物起源神話に関しては日本ばかりでなく世界的に東南アジアを起源としてそこから世界各地に拡散している、と言うので文化の輸入は何も日本の専売特許ではないようである。アフリカと東南アジアは人類の二大集積地というので、アフリカは人間そのものを送り、東南アジアは思想ないし文化を送ったと言うべきか。特に、我が国は天神地祇(元は中国語かと思われる)と言う言葉があるように人間は天上から地上に来たという北方型垂直思考であり、ハイヌウェレ型神話のような「ハイヌウェレという少女は、様々な宝物を大便として排出することができた。」と言うような芋文化的発想はなかったようだ。穀物文化と言っても日本の水田稲作は2300年ほど前に始まったものであり、諸外国に比べてかなり遅いものである。従って、食物起源神話も『記紀』編纂間際になって、渡来人の助言によって『記紀』に挿入されたものではないか。『記紀』の主人公の神名が異なるのも助言者が違ったからか。

★大宜津比売神について

大宜津比売神は『古事記』のあちこちに出てくるようで、

1.国産みにおいて一身四面の神である伊予之二名島(四国)の中の阿波国の名前として初めて表れる。
2.その後の神産みにおいて伊邪那岐命と伊邪那美命の間に生まれた。
3.更に高天原を追放された須佐之男命に料理を振る舞う神としても登場する。
大宜津比売神は鼻や口、尻から食材を取り出し、それを調理していた。須佐之男命は、そんな汚い物を食べさせていたのかと怒り、大宜津比売神を斬り殺してしまった。
4.後に大年神の系譜において羽山戸神の妻として八神を生んだとの記述がある。
これらが同一神か別神かは不明。

1.「阿波国の名前として初めて表れる」とあるが、阿波(アハ)を穀物の粟(アハ)と勘違いしたもので、阿波(アハ)は語源的には暴(あば)れる、発(あば)くなどで、被害が出るほど乱暴に動く(増水で川が暴れる)、土を掘って取り出す・表土を削る(発く)などの意味があり、徳島県の場合は吉野川(日本三大暴れ川の1つ)の洪水や氾濫から「阿波国」となったのではないか。従って、阿波国と大宜津比売神は何の関係もなく、『古事記』の原著者の勝手な当て推量だったのではないか。阿波国の人も阿波国には大宜津比売神の別名があると聞いて驚いたのかもしれない。
3.ハイヌウェレ型神話の「大宜津比売神は鼻や口、尻から食材を取り出し」、須佐之男命に「汚い物を食べさせたと、大宜津比売神は斬り殺された」の後に、
大宜津比売神の頭から蚕が生まれ、目から稲が生まれ、耳から粟が生まれ、鼻から小豆が生まれ、陰部から麦が生まれ、尻から大豆が生まれた。 これを神産巣日御祖神が回収した、とある。
これは全部が外国の神話の借り物かと思う。
4.羽山戸神の妻として八神を生んだ。 八神は、若山咋神、若年神、若沙那売神、弥豆麻岐神、夏高津日神(夏之売神)、秋毘売神、久久年神、久久紀若室葛根神の八神である。現今で言う農作業カレンダーのような名前で、若の美称が多いのは農作業は当時の最先端産業でみずみずしい若い人のする仕事だったのである。若山咋神は新緑の山を、若年神はあたらしい年、つまり春を、若沙那売神は小さな新芽が吹き出したことを、弥豆麻岐神は新芽に定期的に水をやり、夏高津日神は夏の高温で栽培植物の成長を促し、秋毘売神は秋の収穫を表し、久久年神は一年の締めくくり即ち12月を、久久紀若室葛根神は、久久紀は大晦日を、室葛根は種芋などを室の中に保存することを言ったのではないか。羽山戸神は農業神であり、大宜津比売神は食物神だったか。
大宜津比売という名称は「大いなる食物の女神」の意味である、と言うのも羽山戸神の妻としては有意義なものであったか。

★家都御子の神について

家都御子神については家都美御子神(けつみみこ)の表記もある。一般的な解釈としては、
「家都御子神(けつみこのかみ)熊野本宮大社の祭神。樹木を支配する神とされ,素戔嗚尊(すさのおのみこと)の別名ともいわれる。もともとこの神は,三山のうちでは,本宮とも呼ばれる熊野坐神社の祭神であったとされ,出雲の熊野神社の祭神である熊野大神櫛御気野命が移し祭られて,それが当地で家都御子神になったと伝えられている。ケツミコは「木津御子」で,樹木の神の意。櫛御気野命の子に五十猛命という神がいて,この神が紀伊国に木種を撒いたという伝承から命名されたらしい。『朝日日本歴史人物事典』 (1994年11月に朝日新聞社が発行。執筆・西條勉)」と言う。
「家都御子神」の意味については、
1.家=食(け)、即ち、食べ物。都=格助詞の「の」。
食物の神とする。大宜津比売神と同じ意味となる。出雲国の熊野大社祭神「櫛御気野命」に通じるか。
2.家都=木津、家都美=木積。
樹木の神とする。紀伊国は古くは「木国(きのくに)」と言われた。素戔男尊(家都御子神の別名という)の子に五十猛命と言う木の神がおりそれの伝承か。
木津は、
苗字では、きづ,きつ,きず,もくつ,こづ,こず等と言い、
地名では、
きづ
京都府木津川市などにある地名。三重県熊野市紀和町木津呂(きづろ)
木津町、木津村 – 日本の町村名。
木津川 – 日本の河川名および地名、駅名。
きつ
京都府京丹後市にある地名(網野町木津)。
木津 (新潟市) – 新潟県新潟市江南区にある地名。
こっつ
愛知県犬山市にある地名。
木津用水駅 – 愛知県丹羽郡扶桑町にある名鉄犬山線の駅。駅名に限り「こつ」と読む。
こうつ
滋賀県高島市にある地名(新旭町饗庭の一部)。かつての近江国高島郡木津荘。
木積は、
苗字では、読みは「こづみ」で穂積(ほづみ)の転訛。東大阪市東石切町の石切劔箭神社の神主は穂積姓から功積姓となり木積姓となったと伝える。
地名では、
きずみ
千葉県匝瑳市木積
こつみ
大阪府貝塚市木積
こつも
高知県安芸郡北川村木積
こづみ、きづみ、こつみ
丹後国与謝郡には式内社・木積神社(京都府与謝郡与謝野町弓木字石田宮ヶ谷408など)の論社がたくさんあって読みは上記のようになっている。

「家」の意味を食物の「ケ」とするのか樹木の「キ」とするのかによって食物の神あるいは樹木の神となるのであろう。都美は山祇(やまつみ)とか海神(わたつみ)とかの「ツミ」で、神名につく原始的な姓か。

最後に、私見で恐縮なのであるが、
熊野本宮大社では「かつては湯立が行われており、「熊野権現垂迹縁起」では大斎原が「大湯原」と表記されていることや、熊野をユヤと読む際に湯屋や湯谷の字をあてられたことなどから、熊野信仰の中核に湯の観念があったことが指摘されている。」という。即ち、家都御子神の「家」は「湯気」の「気」のことで、家都御子とは温泉の神ではなかったか。当該地には「湯の峰温泉」とか「川湯温泉」「渡瀬温泉」があるという。インターネットで「湯垢離」を検索するとやたら熊野国界隈の温泉や地名が出てくる。また、一説によると古代の入浴法は現代のサウナのようなもので湯につかる現代のような入浴方法は後世のものと言った見解もある。熊野で行われた「湯立」というのも、現今の概念に直すとスチームサウナと言うところか。とどのつまりは、熊野本宮大社の信者が健康の妙薬として親しんだのは温泉だったのではないか。

★終わりに

大宜津比売神と家都御子神は神名は同じではあっても親近な神ではなかったようで、おそらく神族の発祥は別々の神なのだろう。大宜津比売神については、おおむね「食物の神」と言うことでまとめられているが、家都御子神については、太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがある。 家都御子神については、素戔男尊、五十猛神、伊邪那美神とする説がある。しかし、その発祥の順序から言うと、まず、ゴトビキ岩(天磐盾)があって、次いで那智の滝、本宮大社は太陽か、水か、木か、と言うところであろう。ゴトビキ岩や那智の滝は壮大な姿で描かれているが、熊野本宮大社は出雲国の熊野大社祭神「伊邪那伎日真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命(素戔嗚尊の別名)の分霊を勧請したのが熊野本宮大社の元である、と言う。この理論で行くと、熊野速玉大社と熊野那智大社は熊野本来の神であり、熊野本宮大社の家都御子神は出雲国から分祠された「食物神」と言うことになる。奇しくも、大宜津比売神と同類の神となるようだ。
宜津とか家都とか気野とかは「ケ」と発音する宜、家、気の音から「食物」を連想するようだが、祭神を御饌都(みけつ)神として「万民の食物をつかさどる神徳ありとし,ひいては農耕以下生産の守護神なることを強調して,信徒を広く集める」ためにこの種の神が多く祀られたのではないか。無論、祭神にはなにがしかの御利益が必要で、「長寿と富貴は願わぬものなし」との例え通り長寿(温泉)、富貴(米)の御神徳を信者に賜ったのではないか。

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