宇井のこと

★はじめに

昔、宇井という高名な学者先生(今考えると宇井純沖縄大学名誉教授だったか)が、「我が家はインドネシア系でインドネシアからやって来た。インドネシアには<ウイ>と言う苗字(場合によっては、地名か)はたくさんある」とのことだった。当時は日本の神話は、失われた釣り針神話・海幸彦と山幸彦の物語(インドネシアのセレベス島北部のミナハッサ族)、穀類起源神話・素戔男尊と大宜都比売神(インドネシアのマルク州のセラム島)など日本の神話はインドネシアの民話の影響を受けていると喧伝されていた頃で、民話に足がついて日本へやって来たのではないだろうから、インドネシア人の子孫と言われてもそんなものかと言うほどのことだった。また、遺伝子解析が発展したその後の考古学や人類学の世界においても日本にはインドネシア人の遺伝子が珍しくないと言うことで、宇井という人もその一人かと思っていた。
ところが、日本では宇井というのは人名(苗字)にも地名にもあると言うことで、人名では千葉県、愛知県、東京都、和歌山県南部・三重県南部(別名:熊野)地域に多く、地名では和歌山県、徳島県がやや多く、栃木県、奈良県、島根県、三重県、高知県、福島県などに散見する。各地に共通する点は、基本的に山間僻地の小集落で、「別に離れて区域をなすものを言う。山中、往々その名あり」とか、「山がちの地形で水田に乏しく、畑作や出稼ぎを中心とした」とか、なかには「広大な山林を利用した伐畑農業(焼畑農業など)で、そこそこ潤っていた」ところもあったようだ。
失礼ながらそのように顕微鏡ででも見なくてはわからないような地名なので『和名抄』にはもとより、古代文献には現れず、文献初出は中世から近世にかけてのようである。また現代でも、「宇井苗字数が上位の都道府県にこの苗字の地名はみあたらない」とか、「地名以外の由来」とか、「千葉県に多い苗字なので千葉県がこの苗字発祥の地か」とか、多々宣う人がいる。しかし、これは全部当たらないと思う。例えば、鈴木姓にしても全国二位の数であるが、鈴木地名があったとしてもそれは人間由来のものであり、地名に語義があってついたような地名ではないと思う。地名以外の由来、とは人間の移動であり、千葉県がこの苗字の発祥地か、とは「熊野三山協議会」(都道府県別熊野神社分布図)の調査では千葉県の熊野神社の数は福島県437社に次ぐ346社で全国第二位であり熊野三党の関係者もそれなりにやって来たのではないか。熊野三党とは鈴木(穂積)、榎本、宇井の三氏をいい、千葉県にそれなりの宇井さんがいてもおかしくはないのではないか。ともかく、首都圏の熊野神社は、埼玉 222、千葉 346、東京 158、神奈川 121と他の地域より相対的に多くなっている。

★宇井の意味

宇井の語義についてであるが、地名に関するものはそれなりに述べられている。諸説を紹介すると、

1.上(ウヘ)の転訛で宇井(ウヰ)となった。一番多い説で宇井の地名が文献上は中世以降に出てくるので上(ウエ)が宇井(ウイ)に転訛したとするもの。

言わんとするところは、「エ」と「イ」の区別のできない人、あるいは、地域が日本国中どこにもあったと言うことである。「エ」と「イ」の区別のできない人は日本人ばかりではなく外国人にもいる。現在の日本では「エ」と「イ」は厳然と区別されているのでこう言う間違いはケアレスミスでは済まされないのかもしれない。
さらに徳島県(徳島県方言学会)では「ウエ→ウイ→イイ→の音変化」をあげ、「本県では、山の上部、川の上流をウエまたはソラと呼んでおり、地名に用いる場合が多い。」という。和歌山県や徳島県は木材産業が古くから盛んなようで樹木の植栽地をこのように名付けたのかもしれない。例、植える(うゑる→うゐる)。

2.ウ・ヰ(ヰ<井>は井戸ばかりを言うのではなく水路や川を言う)と言う地名で、水路や川にまつわる地名。

3.ウヒ(初、初めての)という意味。

4.ウヒヂの下略。ういじ(泥、泥土のこと)

なお、宇井の宇(宇のほか、羽、卯、鵜、有、烏、上などをも用いる)に関しては、

①接頭語で、オホ(大)、ヲ(小)、ウヘ(上)などの転約か。

②ウン(温)で、温泉に関わる語か。

③鳥類の鵜にちなむ語か。

④動物の兎による語か。

等々を述べる説がある。

私見の勝手な推測では、これは縄文語由来の言葉ではないかと思う。縄文地名は一音である場合が多いと思うが、これは二音で構成されており、時代も縄文末期頃にできた言葉で、宇は上(ウヘ)の下音を略したもので、井は「住まゐ」の「ゐ」で、居るところ即ち集落を表したものではないか。結論を言うと、多数説と同じ「山の上部、川の上流などの小集落」を言ったものかと思う。

★宇井氏は何をしていたの

宇井氏と言っても全国に散らばっているのでどの宇井氏かとなるかと思うが、一応、熊野発祥の宇井氏のこととしたい。この宇井氏は本姓を丸子連というもののようで、全国的に「宇井」と名乗る人と「丸子」と名乗る人がいるようだ。熊野三党(榎本氏、宇井氏、穂積氏)の発祥については、

①熊野三党の祖は高倉下命とするもの。
『熊野権現縁起』によると「第五代孝昭天皇のとき、千穂ヶ峰(新宮市)に神人が龍に乗って降臨。人々があがめ奉るなかに、一人の男が進み出て、十二本の榎のもとに神を勧請した。神は男の殊勝な心がけを嘉し、榎にちなんで、男に榎本の姓を賜った。その弟は丸い小餅を捧げた、そのゆかりで丸子(のちに宇井・鵜居)の姓を与えられ、第三子の弟は稲の穂を奉納したので神は穂積の姓を授けた」と言う。

②熊野三党の三氏はすべて穂積氏が発祥とされる説

③穂積氏と榎本氏、宇井氏は血統が違う。
穂積氏は、穂積押山→穂積磐弓→穂積祖足→穂積古閉→穂積男麻呂→穂積濃美麻呂→穂積忍麻呂(熊野速玉大社禰宜)と続く当代一流の豪族であり、宇井氏、榎本氏は古いことは古いが、文字による記録がなかったと見え、大伴氏から婿養子を迎え大伴氏に連なる一族としたのではないか。おそらく宇井氏、榎本氏は高倉下命を遠祖とする一族だったのではないか。あるいは神武天皇に勝るとも劣らない一族だったと思う。もっとも、大伴氏の一族で榎本とか丸子を名乗った人は穂積押山と同世代の人と思われ、穂積忍麻呂が禰宜となったので宇井・榎本両氏が対抗上大伴氏を養子にしたかは不明。

ところで、書籍などを見ていると、熊野三党の職業としては、1.熊野速玉大社の神官、2.同大社の御師、3.侍などが出てくる。
熊野速玉大社の神官だが、今の宮司さんは熊野三党と女系ではつながっているのかもしれないが、榎本とか宇井とか鈴木とか言う熊野三党の苗字を名乗っているわけではないようだ。熊野三党熊野速玉大社神官世襲説は崩壊したと言うべきか。柳田国男先生の一文に「熊野路では、鈴木、榎本、宇井の三軒の名家があり、この三軒の者でなければ人間でないとまでいわれたほどである。宇井は早く衰え、榎本は後に神と別れて、鈴木の一族のみが結合力が強く、各地で著しい繁栄をしたのである。」と。今でもそうだが、古い大社に行くとやたら神官が多いのに気づく。神官の住居のある地域を「社家町」「御師町」と言い(例、兵庫県西宮市社家町など)たくさんの世襲神官が住んでいるようだ。
神官と御師であるが、大雑把に言って神官は祭祀を執り行うものであり、御師は熊野三山参詣人の世話をする人を言うのであろう。先達は地方において熊野巡礼者を募集し、当該地から熊野までの案内等をした人を言ったものであろう。「蟻の熊野詣」と言われ先達・御師の仕事を世話とか案内とかの簡単な言葉で言っているが、失礼ながらこの種のことは時代がたつとともに<もったい>をつけるようになり、言葉一つにしても妄言など道理に背く言葉は厳禁で、忌詞を用いる等、先達や御師はもとより参詣人もいろいろな礼儀作法等を学ばなければならず、教える方も教わる方も難儀したことと思われる。そういうなかにあって、神官、先達、御師等は過剰受注に悩まされつつ渾然一体となって対応したのではないか。従って、熊野三党の一族は神官、先達、御師のいずれもを行っていた。
侍と言うのは、いわゆる、弓馬の道で、神官には弓馬の道に励み領主化する人物もいた。江戸時代の大名家にも先祖が神官(神社の神主)という例がある。『平家物語』巻四に「侍には うい・すすき」と言うものの、熊野水軍の主導者は熊野別当で、特に、湛増は著名だが「熊野水軍を率いて源平合戦 (→治承の内乱 ) に活躍。最初,平清盛に味方したが,源氏の形勢が有利になると,源義経の軍に加勢し,屋島,志度,壇ノ浦に転戦して軍功を立てた。しかし頼朝には好まれなかった。 」とあるように、僧侶の割には疑問符のつく人物で、その下の侍の宇井氏や鈴木氏はあまり顧みられなかったのではないか。

★まとめ

宇井という地名は古い自然発生的地名で、山間部の平地よりは少し高くなったところにできた小集落を言うようである。日本に水田稲作が入ってきてそれとの住み分けで少し高いところで焼畑農業を行っていたのではないかと推測される。伐畑農業でそこそこ潤っていたと言うのも新農法を取り入れるよりも旧農法の焼畑農業で堅実に収入を上げようとしたからではないか。「宇井」地名は紀伊半島と四国に偏っており、特に、「宇井」地名の多い徳島県は稲作民に多いY-DNA「O」系と縄文系に多い「D」が拮抗しているようなので、縄文系の民(ハプログループD・山の民)と弥生系の民(ハプログループO・平野の民)に分けてよいのかもしれない。ほかに、徳島県はC1a1(日本固有)が特段に高いようである。学者先生の調査によると、Hammer2006の徳島県7/70=10%、Sato2014の徳島市大学生22/388=5.67%と言い、日本人平均値・日本人・・・160/3676=4.35%より高くなっている。
宇井氏というのは宇井の地名から起こったもので生活様式から言うと守旧の人ではなかったかと思われる。地名が紀伊半島と四国(徳島県、高知県)に偏っているので、たとい熊野大社の神官の出といえども全国的な大物は出なかったようである。同業の榎本氏が『和名抄』にも散見する地名より起こったのに対し、そこは力負けの感がある。特に、熊野三党の場合、途中から熊野別当なる余計な役職が現れ、熊野三党を後退させた。とは言っても、熊野御師の一角を担っていたので宇井姓は全国にまんべんなく行き渡っているようだ。
熊野の宇井氏の発祥の地だが、現在の新宮市千穂ヶ峯の一角にあったと思われるが、遺称地はない。熊野三党では最古参と思われ、高倉下命の直系の子孫と思われるがそれも確証はない。宇井、榎本、穂積はみんな別系統の人だがそれも確証はない。当て推量を延々と述べても意味がないのでここで終了とする。

広告
カテゴリー: 歴史 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Google フォト

Google アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト /  変更 )

%s と連携中