古代の賄賂

★はじめに

賄賂(わいろ)などと言うと汚(けが)らわしい不正などを連想し、あまり芳しくない古代版汚職などを思い浮かべるが、ここでは古代文献(主に『記紀』)に出てきた賄賂ないしそれに類似の説話を見てみることにする。但し、まい‐ない〔まひなひ〕【▽賄/▽賂】には、①神への捧げ物や人に贈る金品。②賄賂(わいろ)の二様の意味があり『日本書紀』では①の意味でも頻繁に使われている。

『記紀』でそれらしき言葉が出てくるのは、
『日本書紀』卷第十七 男大迹天皇 繼體天皇
六年冬十二月「於是 或有流言曰 大伴大連與哆唎國守穗積臣押山受百濟之賂矣」の「賂」の字かと思われる。
岩波文庫『日本書紀』(三)では「まひなひ」とルビーが振ってある。一体にこの種の微妙な言葉にはいろいろな言い回しがあるらしく、賄賂というのは日本が近代国家になってからのものらしく、文献で見られるのは、西洋事情(1866‐70)〈福沢諭吉〉外「或は裁判の有司を畏し或は之に賄賂を与へて」のようである。但し、文字としては<宝生院文書‐永延二年(988)十一月八日・尾張国郡司百姓等解「或号供給等閑、吹毛覓疵、或称厨備疎略、銷皮出血、飽為得賄賂」 〔春秋左伝‐昭公六年〕、とある。>しからば、それまではなんと言っていたのかを拾い出してみると、

賂(まいない)、貢(みつぎ)、袖の下(江戸)、山吹色のお菓子(江戸)、鼻薬(はなぐすり・江戸)などが使われていたようで、そのほか庶民は、
口利き料 ・ 裏金 ・ 汚い金 ・ 黒い金 ・ つけ届け ・ 毒まんじゅう ・ 贈物 ・ 送り届け ・ お届け物 ・ 土産 等々を使用していたようである。しかし、これらの言葉がほとんど江戸時代に入ってからのものと思われ、古代におけるこの種のものは現代で言う、寸志、謝礼、お礼などの類いのもので社会問題とはならなかったのではないか。

しかし、室町時代には日野富子さんの御出現もあり、何らかの権利を与えられることの代償として、下から上へ差し上げるものを礼物(れいもつ)、礼銭(れいせん)といった。朝廷、幕府などの官職、役職への補任や継目安堵(つぎめあんど)(将軍などの代替りに際して、家臣らが前代同様に所領を安堵してもらう)、課役免除などの礼として出される場合が多く、賄賂が公然と利権化して行われていた。ちなみに、日野富子は、
1.富子は応仁の乱の全時期を通じて細川勝元を総大将とする東軍側にいたが、東西両軍の大名に多額の金銭を貸し付け、米の投機も行うなどしていた。但し、異説がある。「畠山左衛門佐」と言う人物が西軍の主将畠山義就か、東軍の畠山政長(左衛門督)なのかはっきりしない。
2.「御台一天御計い」するといわれた富子に八朔の進物を届ける人々の行列は1、2町にも達した。
3.長禄3年以降、京都七口には関所が設置され関銭を徴集していた(京都七口関)。この関所の設置目的は内裏の修復費、諸祭礼の費用であったが、富子はほとんどその資金を懐に入れた。
4.幕府財政は贈答儀礼や手数料収入(いわゆる、礼物、礼銭。すなわち、賄賂)などに頼ったものに切り替わりつつあり、富子の蓄財もその文脈で考える必要がある、との見解あり。
すなわち、賄賂イコール悪ではなく、国家(室町幕府)を運営するための財源であり、君臣を結びつける必要不可欠のものであるというもののようである。君主は臣下に所領、官職、課役免除等を与え、臣下は何事ももらいっぱなしではよくないので、礼物、礼銭を差し上げることとなる。また、荘園,公領の所職への補任について「自立救済を基本としていた中世社会、とくに室町時代の社会はこうしたもてなし、酒肴料、一献料等の授受はまったく当然のこととして行われた。もとよりその過度な要求には強い反発があったが、そのこと自体については、法的、社会的な制裁・批判を受けることもなかったといってよい。」と。

★大伴氏の類似の行為

①【日本書紀 巻第十四 雄略天皇二十三年八月丙子(七日)条】

大連等 民部廣大 充盈於國 大連ら(大伴室屋大連。大連等は憶良等者<万葉337>と同じか)は民部(かきべ)が広大で国に充ちている。

直木孝次郎博士によると大伴氏の職掌は「部」の設置にあったという。おそらく雄略天皇がこんなことを言うのはあるいは嫌みかとも思うが、これは当時の経済態勢の立て直しに関する事項であろうかと思われる。仁徳天皇が、人家の竈(かまど)から炊煙が立ち上っていないことに気づいて3年間租税を免除した、などというのは三年間で経済再建に成功したともとれる話だが、現実はとてもそんなに簡単ではなかったと思われる。朝鮮出兵の影響は九州ばかりでなく、日本全国に及んでいたようである。大伴氏の「部」の設置というのも、当時の不況対策すなわち失業対策のためではなかったか。帰還兵に職を斡旋することは当時の政権執行部の重要課題であり、一部の兵員は好太王の侵略に備え、吉備、明石、摂津等に配属されたかもしれないが、その他の兵員はもとより在郷の人にもまっとうな職業を斡旋することが必要だったのではないか。雄略天皇は何か大伴室屋が大伴氏の勢力伸長を狙って全国に部曲設置を行ったとも解釈していたのかもしれないが、仁徳天皇の系統(倭の五王)は半島進出を諦めきれず、武(雄略天皇)にいたっては、「渡りて海北を平ぐること九十五国。」とか、「臣が亡考済、実に寇讐(高句麗のこと)の天路を壅塞するを忿り、控弦百万、義声に感激し、方に大挙せんと欲せしも、奄(にわ)かに父兄を喪い、垂成の功をして一簣を獲ざらしむ。」とか言って、朝鮮出兵は応神、仁徳両天皇の帰国で終結したわけではなく、雄略天皇の時代になっても依然として朝鮮半島の紛争に干渉していたようだ。それらの出費の工面も大伴室屋大連にとっては大変なものだったのではないか。

②【日本書紀 卷第十五 白髮武廣國押稚日本根子天皇 清寧天皇】

惟河内三野縣主小根 慓然振怖 避火逃出 抱草香部吉士漢彦脚 因使祈生於大伴室屋大連曰 奴縣主小根 事星川皇子者信 而無有背於皇太子 乞 降洪恩 救賜他命 漢彦乃具爲啓於大伴大連 不入刑類 小根仍使漢彦啓於大連曰 大伴大連 我君 降大慈愍 促短之命既續延長 獲觀日色 輙以難波來目邑大井戸田十町 送於大連 又以田地 與于漢彦 以報其恩

大意は、河内三野縣主小根は星川皇子の配下であったが、大伴室屋大連の攻撃に怖じ気づき戦火を逃れようとした。家臣(あるいは、同僚)の草香部吉士漢彦に助けを求め、漢彦が室屋に助命嘆願したところ極刑は免れた。その恩に報いるため、大伴大連へは難波來目邑大井戸田十町を、草香部吉士漢彦へは田地を送った、と言う。

大伴室屋大連に送られた田十町がどれほどのものかはわからないが、室屋大連は田十町を期待して小根の罪一等を減じたわけではないと思う。いずれにせよ、河内三野縣主小根、草香部吉士漢彦は河内国の人で、河内国には大伴氏もある程度の勢力があり昵懇の間柄とは言わないまでも三人は顔見知り程度の知り合いではあったと思う。それに、大伴室屋は多忙な人でしつこい人間には弱く、漢彦のグズグズに対してすぐに「不入刑類」を決断したのではないか。対する小根も間髪を入れず難波來目邑大井戸田十町を決めて、室屋、小根のやりとりには賄賂の概念が入る余地はなかったと思われる。

③【日本書紀 巻第十八  廣國押武金日天皇 安閑天皇】

元年七月、廼差勅使 簡擇良田 勅使奉勅 宣於大河内直味張 【更名黒梭】 曰 今汝宜奉進膏腴雌雉田 味張忽然悋惜 欺誑勅使曰 此田者 天旱難漑 水潦易浸 費功極多 収獲甚少 勅使依言 服命無隱
元年閏十二月、今汝味張 率土幽微百姓 忽爾奉惜王地 輕背使乎宣旨 味張自今以後 勿預郡司・・・大河内直味張 恐畏永悔 伏地汗流 啓大連曰 愚蒙百姓 罪當萬死 伏願 毎郡 以钁丁春時五百丁 秋時五百丁 奉獻天皇 子孫不絶 藉此祈生 永爲鑒戒 別以狭井田六町 賂大伴大連

大意は、勅使は(良田を選定する)勅を受け、大河内直味張(黒梭とも)に宣べるに「今汝肥えた雌雉田を奉進すべし」と。味張はにわかに惜しくなり、勅使を欺いて「この田は旱魃では水を送りがたく、潦が入れば冠水します。出費が極めて多く、収獲は甚だ少いのです」と言った。勅使は言葉のままに復命して隠すことは無かった。
今汝味張は国内の人民一人に過ぎない。急に王地を惜しみ、勅使を軽んじて背いた。味張は今後、郡司職に預かることはない。大河内直味張が大連に言うには「愚民の罪は万死に当ります。伏してお願い申し上げます。郡ごとに钁丁を春には五百丁、秋には五百丁、天皇に奉献致します。子々孫々に至るまで絶やしません。これによって生を乞い、永く戒めと致します」と。別に狭井田六町を大伴大連に賂した。

これも安閑天皇が金村を同道して金村の味張に対するお説教を了として決めたことで、「賂」の字はいかがなものか。おそらく金村はお礼なんてほしくはなかったはずで、狭井田六町に相当する田地を大伴氏の勢力下にある摂津国に与え、味張を県主にでもしたのではないか。現在の河内国魂神社(神戸市灘区国玉通)あるいは綱敷天満神社(神戸市東灘区御影)のあたりか。その後、金村は失脚し、大河内直味張は欽明天皇、蘇我氏、物部氏のいずれかに「そんな大伴の縁故人事ではだめだ」などと言われて追放されたか。そもそも金村のしたことは味張の郡司職(当時は国造かと言う)解任だけであり、万死に値すると大げさに言ったのは味張の方である。

④【日本書紀 巻第十九 天國排開廣庭天皇 欽明天皇】

廿三年八月、天皇遣大將軍大伴連狹手彥、領兵數萬、伐于高麗。狹手彥乃用百濟計、打破高麗。其王踰墻而逃。狹手彥遂乘勝以入宮、盡得珍寶貨賂・七織帳・鐵屋、還來。舊本云「鐵屋在高麗西高樓上、織帳張於高麗王內寢。」以七織帳、奉獻於天皇。以甲二領・金飾刀二口・銅鏤鍾三口・五色幡二竿・美女媛媛、名也幷其從女吾田子、送於蘇我稻目宿禰大臣。

大意は、欽明二十三年八月、欽明天皇は大将軍大伴連狭手彦に高麗を討つべく数万の兵をつけて送った。狭手彦は百済の作戦を用いて高麗を破った。王は墻(かきね)を越えて逃げた。狭手彦は勝に乗じ宮殿に入り、珍寶貨賂(宝物・金銭)・七織帳(七色の糸で編んだ布)・鐵屋(不明。鉄でできた堅牢なものであろう)を得て帰還した。七織帳を天皇に奉献し、甲(よろい)二領・金飾刀二口・銅鏤鍾(銅に装飾を彫った鍾)三口・五色幡(はた)二竿・美女媛(名前)媛、それらと併せて其の從女吾田子を蘇我稻目宿禰大臣へ送った。

何か大伴氏は今までのもらい物が多い家からお遣い物の多い家に転換したようだ。上記の場合は、いわゆる、戦利品を提供したのであろうが、取りようによっては贈賄とも見られあまり芳しいことではない。

以上より大伴氏は全盛期の室屋、金村の時代は良きにつけ悪しきにつけ贈答品のやりとりがあったようだが、それ以降の世代ではあまり見られなくなった。賄賂的性格の強い金品はやはり贈賄側が期待する決定権のある人のところに集まるようである。その点、大伴室屋や金村はほかの大臣や大連と違い実務能力に長け、室屋、金村の祖父・孫に話せば意思の疎通がよく図れると言うことで贈り物が多かったのではないか。この種の話が大伴氏ばかりに偏っているのは大伴氏の実務能力の高さを示すものではないか。あるいは、大伴氏の記録しかなかったのでこういう結果になったか。

★その他の貨賂

古代の「賂」の話は大伴氏にまつわる「賂」の話以外は非常に少ない。『日本書紀』に出てくるのは次の一例のみである。

【日本書紀 卷第十七 男大迹天皇 繼體天皇】

廿一年夏六月、筑紫國造磐井 陰謨叛逆 猶預經年 恐事難成 恆伺間隙 新羅知是 密行貨賂于磐井所

筑紫国造磐井は密かに(大和朝廷に)反逆を起こそうと謀っていたが、心で思いつつ年が経るばかりだった。反逆の成り難いことを恐れて、常に隙(チャンス)をうかがっていた。新羅はこれを知って、密かに賄賂を磐井のところへと送った。

磐井は決断力の鈍い男だったらしく、新羅が背中を押したと言うことなのだろう。貨賂と言っても何を贈ったものか。当時の日本はまだ貨幣は鋳造されていなかったし、田地と言っても新羅が日本国内にそんな不動産なんて持っているとは思われない。話は逆で、日本が新羅に占領地でも持っていたかもしれない。もし新羅が磐井に物品を贈ったとしても現代的に言うと盆暮れの贈答品程度のもので賄賂とは見なしがたいものではないか。

★まとめ

賄賂の概念は日本が半島へ進出した応神・仁徳両天皇の時代に我が国へ導入されたものであろう。賄賂はいわば役人の裏切りで、枉法行為である。我が軍が半島へ渡ったとき、占領の長期化とともに両軍に小賢しく立ち回るものがいて賄賂の贈収が日常化したのではないか。しかし、当時のことはよくわからないが、渡韓あるいは渡朝した日本軍(倭軍)の将軍が賄賂太りしたなどという話も聞かないし、賄賂を贈る側と思われる新羅、任那、百済の人々が役務を逃れて高笑いをしたなどと言うことも聞かない。おそらく現代的に言うと贈る方も贈られる方も「些少の金子」と言ったところで、贈る方は食料の供出で多少のお目こぼしをいただき、贈られる方は今日も無事に終わったと飲み会の酒代などに当てたのではないか。
それでは大物の紀角宿禰・羽田矢代宿禰・石川宿禰・木菟宿禰等はどうだったのかと言えば、これらの将軍は賄賂などには目もくれず、自分たちの主義主張を強引に押し通す人たちと見え、贈賄はあまり効果がなかったようである。
無論、天皇にはそんな魔の手は伸びなかった。ただ、倭軍も十年ほど半島に駐留していたのでその間半島の人民の協力が不可欠であることを考え合わせると、潤滑油とでも言うべき賄賂的なものがあったことは間違いないと思われる。

天皇以下大勢の半島からの帰国者が日本に定着した後の賄賂的なものはどうなったかと言えば、もっぱら死刑回避の手段として使われているようだ。河内三野縣主小根の例では大伴室屋大連へ難波來目邑大井戸田十町が贈られ、大河内直味張の例では大伴金村大連へ狭井田六町が贈られ、いずれも死刑を免れている。これも贈賄者側の勝手な早とちりとも思われ、金村が味張に申し伝えたのは郡司解任だけである。贈賄品も田地がほとんどでこれも大河内直味張のように贈賄品とともに田を耕す田部をも提供してくれるのならいざ知らず、そうでもない限りもらった方も甚だ迷惑なことではなかったか。

日本の古代にあっては賄賂を完全に自家薬籠中のものにする観念が希釈ではなかったか。収賄側は半ば公費として使用していたのではないか。

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