人類の東アジアへの移動ルート

★はじめに

日本人男性については、
「日本の男性は大陸の落ちこぼれである。一度目の落ちこぼれである縄文人と、二度目の落ちこぼれである弥生人が、互いを滅ぼしてしまうことなく共存したのが現代日本の男性たちである。まさに、窓際族同士仲良く机を並べて、極東の小島で自然の恵みを享受し、自然に従って生きてきた。互いの言葉も融合させてしまった。」<『Y染色体からみた日本人』 中堀豊 (岩波科学ライブラリー)>

これに似たことで以前聞いたことのある話があり、人間を能力別に、優グループ、良グループ、可グループと分けると、日本人は可グループのトップにはなれても、優グループはおろか良グループのトップにもなれない。できの悪い連中の中ではできがいいというだけ、と言う。

いずれの話も聞いていて気分のいい話ではない。中堀豊説の「一度目の落ちこぼれである縄文人」とあるが、日本列島に縄文人が来た頃の大陸はそんなに競争が激しかったのか。「二度目の落ちこぼれである弥生人」について言えば、日本に弥生人がやって来た頃は中国大陸にあっては<優勝劣敗>の時代に入り、王朝も変わり、かつ、中国の主食は華北平原の粟や麦だったようなので、日本に入ってきた稲作民は劣等民だったのかもしれない。弥生人が中国大陸から大量に来たのか、それほどでもなかったのかは意見が分かれるところだが、現代の男性について言えば、縄文、弥生は相半ばするくらいではないのか。但し、統計で結果は異なる。
「できが悪い中ではできがいい」というのも「OECD生徒の学習到達度調査」では、古代日本に関係のある日本、中国、韓国はともに調査ごとに後退気味で、東アジアの小国(シンガポール、台湾、香港、マカオ)やヨーロッパ(北欧など)が優勢のようだ。2015年の調査ではアメリカは調査項目のすべてでベストテンに入らなかったそうな。「東アジアの学力レベルはアメリカを抜いているので、今後世界のリーダーとなるのはアジアということになるのだろうか?」とある。あるいは、現在、アメリカで問題になっている「移民」問題が国民の学力に影響しているのであろうか。

日本人のアフリカから列島への移動ルートについては、東大OBで某大学教授が、
日本に至るまでの縄文人のルーツは、「6万年前には中東あたりに居た。」、「その頃地球は寒冷化だった。」、「日本列島に至った縄文人のルートとは、南回りルート。」、「メソポタミアから中国へは、寒冷化で凍っていたので行けない。作物が育たないので移動しようとしても餓死してしまう。よって、日本へは南回りで人が移動してきた。」、「縄文人が日本列島に到達した4万年から3万年前は中国大陸東や半島はほぼ無人だった。」のだとか。ほかに、「日本列島が弥生末期以前、東と西に分かれてフィリピン沖にあった」とか、トンデモ説になっているのか。

★日本人男性落ちこぼれ説について

日本人男性落ちこぼれ組と言っても、将来はともかく今のところノーベル賞を受賞しているのは男性ばかりであり、優秀な男性が残ったと思われる中国や韓国より多くの日本の男性研究者が受賞している。「OECD生徒の学習到達度調査」でも中国や韓国にそれほど劣った位置ではない。
但し、東アジアの国が学力テストで欧米の国を抜いていると言ってもノーベル賞の数は圧倒的に欧米の国が多く、かつ、世界的に有益な発明や発見、システム構築などはほとんどが欧米からもたらされたものである。これは言わば天才と秀才の差で、天才は、人の努力では至らないレベルの才能を秘めた人物を指す、と言い、秀才は、特に訓練によるものや、周囲からの良い影響によるもの、当人の持っている素質などにより、優れているものを言う、とある。欧米人は天才が多く、東アジア人は秀才が多いのであろう。従って、今後世界のリーダーとなるのはアジアかどうかは欧米に天才的な人がいるかどうかにも関わってくるのではないか。
中堀豊説即ち「日本の男性は大陸の落ちこぼれである」というのは科学的根拠を欠くトンデモ説や荒唐無稽説の類いの話になるのではないか。縄文人はシベリアからマンモスを追って北海道へやって来たマンモスハンターの子孫であり、弥生人は殷・周・春秋・戦国と続く中国大陸のゴタゴタで中国を追われた一団の人々とも考えられる。

「日本人はできの悪いなかではできがいい」説も日本人は個々の人の能力はそれほどでもないが複数人で徒党を組んだり、グループになって作業をすると個々の力以上のものを発揮する人種と言われる。言わば、天才は極々少数で、秀才が集まってことを処す国なのだろう。欧米人と東アジア人は少しばかりその性質が違うようだ。

★日本人南回り説

某大学教授のお説は、

1.「6万年前には中東あたりに居た。」 ⇒ 講学上の中央アジアを少しずらしたのか。
2.「その頃地球は寒冷化だった。」 ⇒ ウルム氷期のことかと思う。第四紀の氷河時代の最後の氷期。第4氷期とも。ほぼ7万年〜1万年前。この間に4亜氷期が認められる。
3.「日本列島に至った縄文人のルートとは、南回りルート。」、「メソポタミアから中国へは、寒冷化で凍っていたので行けない。作物が育たないので移動しようとしても餓死してしまう。よって、日本へは南回りで人が移動してきた。」 ⇒ 一般に寒冷化の極みはシベリアで、その他の地域の寒冷期の状況は不明。当時にあっても極寒のシベリアに人類は住んでいたのであって、その人々が寒冷地適応を経て新モンゴロイドになったと言うのが現今の一般的な解釈である。「メソポタミアから中国へは、寒冷化で凍っていたので行けない。作物が育たないので移動しようとしても餓死してしまう。」 ⇒ 寒冷化の実態は不明かと思う。「作物が育たないので移動しようとしても餓死してしまう。」 ⇒ 人類の食生活はまず狩猟採取から始まったので、マンモス狩りや鹿狩り、サケ・マスの漁撈、木の実の採取などで飢えをしのいでいたので、作物が育たない(農業のことを言っているのか)は当たらない。現在でも北極圏に人は住んでいる。
4.「縄文人が日本列島に到達した4万年から3万年前は中国大陸東や半島はほぼ無人だった。」 ⇒ 中国大陸東や半島は無人だったというのも確証はないが、当時の中国大陸ではY-DNAハプログループCから分岐した人々が多数いたのかもしれない。兎にも角にも、中国、チベット、モンゴルなどはY-DNA Cから後世に分岐した Oを除くと、C、Dが圧倒的に多く、これらの人々が出アフリカの初期に北回りで東アジアへ到達し、当時は陸地だったであろうベリンジアを通ってアメリカ大陸へ渡ったものと思われる。
東南アジアにおけるヒトのY-DNAないしmtDNAハプログループの多様性が高いのは、アジアで人口過多の国は中国とインドでいずれの国でも人口が飽和状態になると境界線部分の少数民族が、インドなら東へ、中国なら南へはじき出されたのではないか。但し、気候変動(寒冷化)による南下説等もある。はじき出された先が東南アジアで男女のいろいろなハプログループの人々が集合したものと思われる。
5.「日本列島が弥生末期以前、東と西に分かれてフィリピン沖にあった」と曰っておられるようだが、弥生末期ともなれば中国正史にも日本(倭国)を取り上げ始めており、中国正史の曲解か誤解のいずれかであろう。
以上より出アフリカ後の人類は東へ北回りで進路をとり、南米南端まで到達したのである。「ミトコンドリアDNA・Y染色体といった分子人類学的指標、旧石器時代の石刃技法という考古学的指標、成人T細胞白血病ウイルスやヘリコバクター・ピロリといった微生物学的指標のいずれにおいても、東アジアのヒト集団は北ルートから南下したことを示し、南ルートからの北上は非常に限定的で日本列島には及ばなかった」 <崎谷満『DNA・考古・言語の学際研究が示す新・日本列島史』(勉誠出版 2009年)>が代表的なもの。

★まとめ

Y-DNA C(モンゴル人、韓国人、ヨーロッパ人)及びD(縄文人、チベット人)は出アフリカの先頭を切ってユーラシア大陸を北回りで東へ横断したのだろう。縄文人を古モンゴロイドと分類する向きもあるが、寒冷地適応をするいとまもなく当時にあっては温暖な日本列島に到達したのではないか。いずれの国も北回帰線の北にあり全部の人種が南から北とは思われない。崎谷満博士の言う「南ルートからの北上は非常に限定的」なのである。また、Y-DNA CやY-DNA Dの拡散についてであるが、あちこちにこぢんまりといるので少人数で拡散、生き延びたと考える見解もあるが、やはりある程度の人数が必要ではなかったか。競走馬のサラブレッド(記録があるので説明しやすい)であるが、サラブレッドは1791年に生産を始めるときは百数十頭(文献によって少し数字が違う)の種牡馬が登録されたそうな。しかし、その後、人間の欲ぼけのためか三頭(現代のサラブレッドの血統表はこの三頭を始祖とし、それより上代は書かないようである)に淘汰され、今はネアルコが「直系子孫は世界のサラブレッドの約半数を占めるまでに発展している。」という。あと百年もするとサラブレッドの始祖はネアルコでネアルコの子孫しかいなくなってしまうのかもしれない。しかし、関係者はサラブレッドの始祖はネアルコ以外にもたくさんいたのであり、そのおかげで繁殖牝馬のブルードメアサイアーを通じてサラブレッドとして繁栄していると考えるであろう。従って、人間もある程度のいろいろな人が集まって優秀な人が生まれるのであって、Y-DNA CとかY-DNA Dばかりが固まっていてはいい結果にはならないのではないか。従って、現在の日本人のY-DNAやmtDNAの多様性を見ていると落ちこぼれ、即ち大陸や半島からの落ちこぼれと言うことはないのではないか。但し、それが即天才の集団に繋がるかは不明ではある。
某大学教授の縄文人は南回りで日本へ到達したと言うのも、寒冷化が原因であるらしいが、漢民族のように本格的な畑作(粟、麦のようだ)を行っていたのならともかく、当時の縄文人はせいぜい狩猟採取の民で食べられる何かがあれば寒帯、温帯、熱帯などは関係がなかったのではないか。従って、モンゴロイドが北回りで新大陸へ渡ったのも、新モンゴロイドが誕生したのもひとえにモンゴロイドの特性であって寒冷化したから北回りが困難になったとか、「日本列島が弥生末期以前、東と西に分かれてフィリピン沖にあった」などと言うのもトンデモ説以外の何物でもない。

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