縄文人は東南アジアから来たのか

★はじめに

過般の朝日新聞で、「縄文人は東南アジアから来たのか 初の全ゲノム解読、配列が類似 金沢大など(2018年7月12日/東京本社版/朝刊紙面37面社会)」とあったが、これって以前どこかで読んだことがあるニュースに似ているなと思い、インターネットの検索で探していたら、宝来聰著「DNA人類進化学」(岩波科学ライブラリー52)に似たような文章があった。それによると、

「一九八八年に埼玉県浦和市で人の頭骨が発掘された。この頭骨の一部分をくり抜いてタンパク質のコラーゲンを抽出して年代測定した結果、約五九〇〇年前(縄文時代前期)という結果が得られた。PCR法を利用してこのくり抜いた部分からミトコンドリアDNAを取り出し、塩基配列を解読することを試みることにした。PCR法による増幅を試みた。DNAがまったく増幅されない場合もあったが、浦和一号から抽出したDNAを増幅することには成功し、DNAの塩基配列を決定することができた。
DNAの増幅に成功したミトコンドリアDNAの二三三塩基の断片は、現代人の比較分析に用いた四八二塩基の領域に完全に含まれている。このうち塩基配列を決定できた浦和一号の一九〇塩基の領域について、一二一人の現代人の配列と比較してみた。その結果、浦和一号の配列は、日本人以外のアジア人二九人中、東南アジア人二人(マレーシア人とインドネシア人)とまったく同じということが明らかとなったが、六二人の現代日本人の中には完全に一致するものは観察されなかった。日本人のなかで浦和一号との違いが少なかった例を上げると、一ヵ所のみ変異が観察されたものが一五人、二ヵ所に観察されたものが八人であった。
この短い領域において浦和一号と三ヵ所から最高八ヵ所の違いが観察された日本人が三九人もいるということである。これらの結果から、約六〇〇〇年前に日本列島の中心部(現在の埼玉県)に住んでいた縄文人は、現代の東南アジア人と共通の起源を持つという可能性が示唆される。さらに六二人の現代日本人との比較では、一九〇塩基対の領域でわずか一ヵ所あるいは二ヵ所のみ変異の観察されたものが三分の一は存在したものの、同じ配列を示したものはまったく存在しないという、注目に値すべき結果が得られたのであった。
DNA情報の別の研究から日本人の中に少なくとも二つのグループ(グループI、グループII)が存在するということが明らかになっている。今回、塩基配列の解読に成功した日本人の遠い祖先と考えられる縄文人骨・浦和一号は、系統樹上の位置づけから、現代日本人に存在するグループのひとつであるグループIIに含まれることがわかっている。」と。

一方、金沢大学の「ニュース リリース」では、
「日本列島の縄文時代遺跡や東南アジアから出土した古人骨26 個体のゲノム解析を実施し,今日の東南アジアで生活する人々の起源と過去の拡散過程を解明しました。今回,ゲノム解読がなされた縄文人骨は,愛知県田原市の伊川津(いかわづ)貝塚遺跡から出土した約2 千500 年前の縄文晩期の女性人骨で,縄文人の全ゲノム配列を解読した例としては世界で初めての公表となります。
この縄文人骨1 個体の全ゲノム配列をもとに,現代の東アジア人,東南アジア人,8〜2 千年前の東南アジア人など80 を超える人類集団や世界各地の人類集団のゲノムの比較解析を実施した結果,現在のラオスに約8 千年前にいた狩猟採集民の古人骨と日本列島にいた約2 千500 年前の一人の女性のゲノムがよく似ていることが分かりました。
このように,本研究は,縄文時代から現代まで日本列島人は大陸南部地域の人々と遺伝的に深いつながりがあることが,独立した複数の国際研究機関のクロスチェック分析によって科学的に実証された初めての研究として位置付けられます。
特に,縄文人骨のゲノム解析は,覺張隆史特任助教,北里大学医学部の太田博樹准教授,国立歴史民俗博物館の山田康弘教授を中心とした『縄文人ゲノム解読プロジェクト』の成果の一つとなります。現在,覺張隆史特任助教らはこの縄文女性を主役としたより詳細な解析結果について,別の論文を発表準備中です。
これらの知見は,日本列島に居住していた各時代の人々の起源の解明に将来活用されるだけでなく,広く東アジア・東南アジアにおける人類集団の起源と拡散に関する研究に大きな寄与をもたらすことが期待されます。
・・・
得られた古人骨ゲノムデータと世界各地の現代人集団のゲノムデータを比較した結果,東南アジアに居住していた先史時代の人々は,6 つのグループに分類できることが分かりました。 グループ1 は現代のアンダマン諸島のオンゲ族やジャラワ族,マレー半島のジャハイ族と遺伝的に近い集団で,ラオスのPha Faen 遺跡(約8 千年前)から出土したホアビン文化という狩猟採集民の文化を持つ古人骨と,マレーシアのGua Cha 遺跡(約4 千年前)の古人骨がそのグループに分類されました。また,このグループ1 に分類された古人骨のゲノム配列の一部は,驚くことに日本の愛知県田原市にある伊川津貝塚から出土した縄文人(成人女性)のゲノム配列に類似していたことが分かりました。さらに,伊川津縄文人ゲノムは,現代日本人ゲノムに一部受け継がれていることも判明しました。」と。

★疑問な点

1.浦和及び伊川津の人の概要は、
浦和一号人 性別:不明 mtDNA:不明(但し、M7cと言う説がある。縄文女性は南方系のmtDNA M系統と北方系のmtDNA N、A、G系統に大別されるようだ。)
伊川津人   性別:女性 mtDNA:未発表 伊川津人の研究の目玉は「全ゲノム配列を解読した」ことである。

これは朝日新聞が「縄文人は東南アジアから来たのか 初の全ゲノム解読、配列が類似 金沢大など」と言うセンセーショナルな見出しをつけているが、縄文時代のmtDNAにはM系統のほかN9bなどがあり、これは「現代の沿海州先住民や北海道の縄文人に多い。」とあり、縄文人には大別して南方系(M)と北方系(N)があったようだ。縄文時代は北海道、東北、関東までは北方系が優位で、かつ、多様性もあったのではないか。因みに、富山県小竹貝塚遺跡のmtDNAハプログループの構成比は、

「検出されたハプログループは、N9b:5個体(38.5パーセント)、M9a:3個体(23.1パーセント)、A:2個体(15.4パーセント)、M7:2個体(15.4パーセント)、G:1個体(7.7パーセント)であった。」と言い、
「現代日本人で最も大きな比率を占め、渡来系弥生人の主体と推測されているハプログループD4が、小竹貝塚から検出されなかったことは、ハプログループD4が渡来系弥生人の系統であるという仮説(篠田2007)を支持している。」
「中期以降関東縄文人に検出されるハプログループが、縄文時代前期に検出されたことは、縄文時代前期から中後期にかけての縄文人の遺伝的な連続性が証明されたこととなる。
また、すでに縄文時代前期において、北方(N9b、A、G)と南方(M9a、M7)という異なる起源地を持つ可能性のあるDNAの系統が混在していることが分かった。」
(以上、科博・人類研究部長 篠田謙一氏の解析による)

私見を言わせてもらえば、mtDNA M9aは「Haplogroup M9 – found in East Asia and Central Asia, especially in Tibet」とあり、M9aは南方系ではなくY-DNA D1bのご先祖さまがまだDであった頃一緒に北方経由で日本列島へやって来た女性陣ではないか。(但し、移動ルートについては諸説があり、M9はチベット高原から長江流域との説あり。)従って、南方系mtDNAはM7だけとなり、これは縄文男性が沖縄まで遠征し、多産を願って沖縄の女性を北日本にまで連れてきたのではないか。但し、沖縄のM7aと北日本のM7aはその後の突然変異等から少し違うという説がある。

2.「東南アジアの先史時代の人々は,6 つのグループに分類でき、グループ1 は現代のアンダマン諸島のオンゲ族やジャラワ族,マレー半島のジャハイ族と遺伝的に近い集団で,ラオスのPha Faen 遺跡(約8 千年前)から出土したホアビン文化という狩猟採集民の文化を持つ古人骨と,マレーシアのGua Cha 遺跡(約4 千年前)の古人骨がそのグループに分類されました。また,このグループ1 に分類された古人骨のゲノム配列の一部は,驚くことに日本の愛知県田原市にある伊川津貝塚から出土した縄文人(成人女性)のゲノム配列に類似していたことが分かりました。・・・本研究は,縄文時代から現代まで日本列島人は大陸南部地域の人々と遺伝的に深いつながりがあることが,独立した複数の国際研究機関のクロスチェック分析によって科学的に実証された初めての研究として位置付けられます。」と。

何やら昔懐かしい、アンダマン諸島とか、オンゲ族とか、ジャラワ族とかが出てくるが、これらの人々と日本人(縄文人)が無関係とは言わないが、国際機関の近時の見解では日本人とアンダマン諸島人とは共通の祖先から出たという。本当なのかという面持ちだ。あれやこれや思料すると、日本人は男女ともに南方からやって来たと言うことを言いたいようだ。縄文人とアンダマン諸島人の共通な点と言えば、子供のいない夫婦が多く、乳幼児の死亡率が高い、場合によっては女性の高齢出産も同じかもしれない。
「ラオスのPha Faen 遺跡(約8 千年前)から出土したホアビン文化という狩猟採集民の文化を持つ古人骨と,マレーシアのGua Cha 遺跡(約4 千年前)の古人骨が・・・ゲノム配列の一部は,驚くことに日本の愛知県田原市にある伊川津貝塚から出土した縄文人(成人女性)のゲノム配列に類似していたことが分かりました。・・・本研究は,縄文時代から現代まで日本列島人は大陸南部地域の人々と遺伝的に深いつながりがあることが,独立した複数の国際研究機関のクロスチェック分析によって科学的に実証された初めての研究として位置付けられます。」と言うが、たった一例(浦和一号人を入れても二例)をもって「日本列島人は大陸南部地域の人々と遺伝的に深いつながりがある」と言えるのか。それに伊川津人には「縄文人同士の抗争や食人風習の可能性」があるといわれ、当時の一般的な縄文人とは違う人種かとも思われる。大陸南部地域からやって来たmtDNA M7a、b、c(浦和一号か)等は現在の日本人にもあるがその比率は低く「遺伝的に深いつながり」とまで言えるかは疑問だ。男性のY-DNA D1bがアンダマン諸島からやって来たとも言うかもしれないがルートは確立されているのか疑問。

★終わりに

雑誌名:Science
論文名:The prehistoric peopling of Southeast Asia
上記論文の研究の主体はケンブリッジ大学だそうで、論文には日本人の著者もたくさんいるようだが、何か無理をして先史東南アジア人と我が縄文人を結びつけたようでがっかりした。朝日新聞の報道では覺張先生の単独研究かと思いきや日本にも共同研究者がいたようで、東アジアの人類の発祥地は東南アジアにあり、と言うような見解に凝り固まっているようだ。東南アジアは古モンゴロイドの宝庫で日本や北東アジアでは古モンゴロイドはアイヌ人だけであり、日本と東南アジアは疎遠なのではないか。無論、日本にもmtDNA M7aのような南方系と思われる人もおり、現代も先史時代も10%程度の割で全ゲノム配列情報が似たような人がいるのではないか。

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