大倭とは

★はじめに

本稿で言うところの大倭とは日本の史書で大和国や日本国を言う大倭<やまと>とか大倭<おおやまと>の意味ではなく、中国のいわゆる『魏志倭人伝』に出てくる「収租賦有邸閣 國國有市交易有無 使大倭監之」(租賦を収むるに邸閣あり。國國市ありて有無を交易し、大倭をしてこれを監せしむ。)の「大倭」のことである。この場合の「大倭」の意味については諸説あるが、主なものを列挙すると、

1.大倭とは市の交易の監督者を言うとする説。大倭とは大人・下戸という身分関係の大人に相当するという。(『魏志倭人伝』には大人・下戸という言葉がしばしば出てくる。)
各国が各々の大人に命じて市を監督させた。大倭は各国の官吏か、あるいは、邪馬台国が派遣した官吏か。とは言え、現今の多数説と思われる。
2.大倭とは大和朝廷とする説。邪馬台国と大和朝廷は双頭政治を行っていたのか。
3.「大倭をしてこれを監せしむ。」の使役者は「魏」で、魏が大倭(大和)に命じて市を管理させた説。大倭とは倭国のこととする。
4.大倭とは「倭国を治政する規則(規律)、制度」説。
5.大倭とは「徴税官」とする説。大倭を派遣しているのは邪馬台国か大和朝廷。
6.『魏志倭人伝』に「大夫難升米次使都市牛利」とある「都市」は中国で市場を管理する人の意という。大倭は日本固有の市場管理者か。

と、いろいろな説があるのであるが、以下、各説を検討してみる。

★各説の検討

1.大倭は官名で、市の交易の監督を職掌とする説
中国では「大」のつく役職は国の役職で、かつ、長官であることが多いようである。「倭」は「道が曲がりくねって遠いさま」を言うとある。よって、大倭は中央にあって遠い地方の現今で言う市場長を監督した人物を言うか。従って、大倭は中央の高位高官で一大率と同じく、一人しかいなかったのではないか。一大率は一大率が一つの官名か、一・大率と分けて一人の大率の意として大率が役職名かは意見が分かれている。
<「大倭」は「カラモノツカイ(加羅物使)」というヤマト国が使わした役人であり、(辰韓)カヤ国からの輸入品の選定・購入を担当していた。>という人もいるが、公平な市場の運営を司ると『魏志倭人伝』にはあるのに、大倭自らが商品取引を行っているなんて考えられない。また、「収租賦有邸閣國國有市交易有無使大倭監之自女王國以北特置一大率檢察諸國(諸國)畏憚之常治伊都國」とあるのは、大倭は全国的な役職者だが、一大率は女王国以北に特に置いたもので伊都国ともあるので九州北部に駐在していたと考えてもいいが、大倭は九州にはいなかったと思われる。とにもかくにも、監督するものと監督されるものが同一人物では話にならない。各国の市はその国の大人によって運営され、その当否の判断は邪馬台国の大倭が行ったと思われる。但し、単に倭人の大人説は意味をなさない。

2.大倭とは大和朝廷とする説。
これは日本の大倭(やまと)ないし大倭(おおやまと)からの類推か。しかし、『魏志倭人伝』にも、卑弥呼女王やその弟、台与など現在で言う皇族とも言うべき支配者と、「官有伊支馬 次曰彌馬升 次曰彌馬獲支 次曰奴佳鞮」とある『記紀』で言う天皇の和風諡号に似ている官人がいる。これを、双頭政治と言おうか政教分離と言おうかはっきりはしないが、一応、『魏志倭人伝』にも現代の社長とも言うべき卑弥呼女王と部局長とも言うべき伊支馬以下が上下の身分関係で記述されているので微妙ではあるが邪馬台国と大和朝廷は彼我の記述の違いで倭国はある程度統一されていたと解すべきか。『記紀』の豊鍬入姫命と倭姫命及びいわゆる「イリ王朝」の関係並びに『魏志倭人伝』の卑弥呼女王と官人との関係をどのように解すべきかは検討しなければならないとは思うが、大倭は大和朝廷とする説は成り立たないと思われる。

3.魏が大倭(大和)に命じて市を管理させた説。
魏が日本の政治に直接干渉したという話はどこにもない。大倭を倭と解したと思われるが、大倭の文字は当時の日本では一般的だったかも知れないが中国ではほとんど使われなかった。従って、大倭を国名と解するのも間違いかと思われる。

4.大倭とは「倭国を治政する規則(規律)、制度」とする説。
『魏志倭人伝』に出てくる大倭は人名ないし官名と解するのが常識的な解釈ではないか。法(現在で言う憲法か)に基づく規則、制度とは市場における商行為を制度的保障しているとも考えられるが果たしてどうか。但し、市は全国にあった(國國有市交易有無)というのでこのような考えにも一考は要する。

5.大倭とは「徴税官」とする説。
人間社会に直接生産に携わらない人間が現れると、生産者の生産物を横取りしなくてはならない。翻って邪馬台国の時代を見てみると「以婢千人自侍 唯有男子一人給飲食傳辭出入居處 宮室樓觀城柵嚴設常有人持兵守衛」とあって、婢千人、男秘書一人、守衛数十人か、がいたようである。これだけの非生産人間がたむろしていると雇用主(卑弥呼女王)も大変で、勢い徴税強化となる。私見で恐縮だが、『魏志倭人伝』に出てくる邪馬台国女王卑弥呼と狗奴国男王卑彌弓呼の争いは税金の分配の問題ではなかったかと思っている。卑彌弓呼は卑弥呼の放漫経営に怒り心頭だったのだろう。しかし、市場監督官を徴税官とするのはいかがなものか。『魏志倭人伝』では「國國有市交易有無使大倭監之」と言って市場ないし交易の監督あるいは監視役として位置づけている。

6.「都市」は中国で市場を管理する人と言う説
この説を紹介した書物を読んだ気がするが、例が少なかったように思われた。現在インターネットで検索しても全然出てこない。中国での市場管理者は「都市」と言い、日本では「大倭」というのだろうか。『魏志倭人伝』では日本の市場管理者のことを言っているので都市牛利の「都市」が中国で市場管理者の意味としてもここでは関係ないと思う。

★まとめ

どの説にも一長一短はあるが、ここでは「1.大倭は官名で、市の交易の監督を職掌とする説」が一番妥当なものと考える。しかし、大倭が各国に一人ずついたものか、はたまた、中央に一人がいたものかは判然としない。『魏志倭人伝』には類似の語として、一大率と言う単語がある。一大率の意味については一大率とは最高位の大率と解すべきか、あるいは、一人しかいない大率と解すべきかは意見の分かれるところで、大も率もリーダーの意味と思われるので一大率も大率も一人ではなかったかと思われる。現代にあっても、大統領や首相が複数の国は皆無だ。首相は我が国の戦前の制度では同位者の代表という位置づけだったようだが、一人であったことには変わりはない。一大率も大倭も一人であって、邪馬台国(大和朝廷)の機関であったと思われる。任命権者は当然天皇家で、邪馬台国の場合は卑弥呼女王が任命したものと思われる。初期の天皇家の忠臣と目される人々は神武天皇から論功行賞を受けた人々で、以下のごとくである。
・道臣命(大伴氏の祖)      築坂邑の土地、宅地
・大来目(久米氏の祖)      来目邑の土地
・椎根津彦(珍彦)        倭国造に任命
・弟猾(菟田主水部の祖)     猛田県主に任命
・弟磯城(黒速)         磯城県主に任命
・剣根              葛城国造に任命
・八咫烏(葛野主殿県主部の祖)  不明(葛野県主か)
卑弥呼女王も一大率や大倭を選定するのにこれらの人々の子孫から任命したものと思われる。具体的には、「自女王國以北特置一大率檢察諸國(諸國)畏憚之常治伊都國」とあるのは、はっきりはしないが何やら軍事的懲罰権をもつようで天皇家の軍事氏族である久米氏を当て、経済活動の側面が強い大倭は経済領主(官僚)の大伴氏を当てたのではないか。従って、大倭とは大伴氏の一族のものを言い、大伴氏はほかにも卑弥呼女王の宮殿の守衛とか卑彌弓呼(吉備津彦と思われる)との折衝、戦闘、各国に派遣した長官の指導などで忙しかったと思われる。もっとも、大伴氏が大和朝廷に従属するようになったのは大伴室屋の頃と言い、卑弥呼女王の頃は独立性の強い領主や官人が多かったようである。その中でも大伴氏は大和朝廷寄りの氏族だったのだろう。

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