天穂日命について

★はじめに

天穂日命は『記紀』によると天照大神と素戔嗚尊の誓約(宇氣比)により生まれた天照大神の五男神の第二子という。
『古事記』上巻(「天照大神と素戔嗚尊」)
速須佐之男命、乞度天照大御神所纒左御美豆良八尺勾璁之五百津之美須麻流珠而、奴那登母母由良爾、振滌天之眞名井而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命。亦乞度所纒右御美豆良之珠而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、天之菩卑能命。自菩下三字以音。亦乞度所纒御𦆅之珠而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、天津日子根命。又乞度所纒左御手之珠而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、活津日子根命。亦乞度所纒右御手之珠而、佐賀美邇迦美而、於吹棄氣吹之狹霧所成神御名、熊野久須毘命。
即ち、第一子 正勝吾勝勝速日天之忍穗耳命。 第二子 天之菩卑能命。 第三子 天津日子根命。 第四子 活津日子根命。 第五子 熊野久須毘命、である。
この神の不名誉なところは、「思金神令思而詔「此葦原中國者、我御子之所知國、言依所賜之國也。故、以爲於此國道速振荒振國神等之多在。是使何神而、將言趣。」爾思金神及八百萬神、議白之「天菩比神、是可遣。」故、遣天菩比神者、乃媚附大國主神、至于三年、不復奏。」(『古事記』上巻「葦原中国の平定」)
とあって、「葦原中国の平定」が腰砕けに終わった兄の天忍穂耳命に代わりトップバッターとして指名されながら、「媚附大國主神、至于三年、不復奏。」とあることだ。多数説は職務放棄の不届き千万と解しているが、なかには彼我の能力の差からやむを得ない行動と擁護する向きもある。天忍穂耳命と言い天穂日命と言い、天照大神の五男神は思いのほかできが悪かったようだ。但し、『出雲國造神賀詞』(延喜式 神祇八 祝詞)では、異なった趣旨を説いている。曰く、
「出雲臣等我遠神 天穗比命乎國體見爾遣時爾 天能八重雲乎押別氐 天翔國翔氐 天下乎見廻氐 返事申給久 豊葦原乃水穂國波 晝波如五月蝿水沸支 夜波如火瓫光神在利 石根木立青水沫毛事問天 荒國在利 然毛鎭平天 皇御孫命爾 安國止平久所知坐之米牟止申氐 己命兒天夷鳥命爾 布都怒志命乎副天 天降遣天 荒布留神等乎撥平氣 國作之大神乎毛媚鎭天 大八嶋國現事顯事令事避支」
要するに、天穂日命は大所高所より豊葦原水穂國を見て、我が子天夷鳥命に布都怒志命を副えて天降り遣わして荒ぶる神をはらい平らげ、国作りの大神をも媚い鎭めて、大八嶋國の現事(あきつごと)・顕事(うつしごと。いずれも現実のこと)を事よさしめき(大八嶋國の統治を皇御孫命に奉ったと言うことか)、と言うのであろう。大八嶋國を建国したのは天津神ばかりでなく国津神も参画したというのであろうか。
我が国国家形成の始原の話であろうが、どうもはっきりしない。そもそも天穂日命が国家建設や出雲国に貢献のある人なら出雲大社とは同等とは言わなくともそれなりの天穂日命を祀る神社があっても良さそうなものだが、実際には能義神社(のきじんじゃ)しかないようだ。しかも、能義神社は祭神が天穂日命・大己貴命・事代主命と言い、本来の祭神は『出雲国風土記』意宇郡野城駅条に登場する野城大神と考えられている。野城大神と天穂日命は同一神という見解もあるが、こじつけか。『延喜式神名帳』には出雲国能義郡の「天穂日命神社」とある。また、『延喜式神名帳』出雲国意宇郡の「野城神社」ともある。「野城神社」と言うからには能義郡にあり、出雲国造家の祖神というなら「天穂日命神社」は意宇郡にあってしかるべきではないか。

★天穂日命はどこの人か

天穂日命は出雲国には縁の薄かった神ないし人物と思われる。おそらく現在の出雲国造家が出雲国に登場するまではまったく以て出雲とは関係のない神ではなかったか。出雲国の王と言おうか国造と言おうかその種の人はお家断絶を繰り返していたようだ。例として、『出雲國造神賀詞』では、大穴持命の御子は阿遅須伎高孫根命、事代主命、賀夜奈流美命は皇孫命の近き守神と貢り置きて(大和国在住)、天穂日命は『「汝、天穗比の命は、天皇命の手長大御世を、堅石に常石にいわい奉り、いかしの御世にさきわえ奉れ」と仰せ賜しつぎてのままに、』(出雲国在住)と言うが、はなはだ疑問だ。おそらく一族根こそぎ大和国へ連れて行かれたのではないか。次いで、『日本書紀』崇神天皇六十年秋七月の段に、出雲臣の遠祖出雲振根と弟・飯入根の出雲の神宝を勝手に大倭へ渡したと言う諍いから振根の系統が滅亡、さらに、『古事記』には第十二代景行天皇の条には、小碓命(をうすのみこと、倭建命)が出雲建を殺した話が見える。出雲氏と言っても同一の血統ではないと思われる。
そこで、天穂日命の出身地とか氏素性だが、天穂日命一族が勢力を持ったのは親子のまとまりから見て現在の鳥取県鳥取市一円ではなかったかと思われる。同市には、

天穂日命神社 因幡国高草郡 鳥取県鳥取市福井 祭神 天穂日命
天日名鳥命神社 因幡国高草郡 鳥取市大畑 祭神 天日名鳥命 素盞嗚命
阿太賀都健御熊命神社 因幡國高草郡 鳥取市御熊 祭神 御熊命 「アタカツタケミ クマノミコト」と読む。
大野見宿禰命神社 因幡国高草郡 鳥取市徳尾 祭神 野見宿禰

とあり、天穂日命一族を祀る神社が集中している。天日名鳥命、御熊命は天穂日命の子という。野見宿禰は天穂日命の子孫という。この地域にはもう一社著名な神社があり、宇倍神社という。社家は伊福部氏で千代川を挟んで因幡国法美郡に祭神武内宿禰が鎮座している。但し、宇倍神社の祭神については諸説がある。天穂日命神社と宇倍神社を比較してみると、「格式から見ると9世紀中頃までは、天穂日命神社が宇部神社よりも上位にあった。すなわち、因幡国内における中心的勢力はこの高草郡に本拠を於く因幡国造氏であった。」とある。即ち、天穂日命の子孫である因幡国造氏と大己貴命の神裔を称し、かつ、第八世を饒速日命(物部氏)とする伊福部氏とは対立していたのかも知れない。ただ、伊福部という氏の名は石工、あるいは、古墳造営業者を意味すると思われるので、野見宿禰も古墳造営業者として著名な人物で大野見宿禰命神社は千代川の川縁にあり、宇倍神社は古墳の上(双履石は古墳の一部という)にあるというので、野見宿禰は堤防工事を得意とし、伊福部氏は石の細工を得意として、野見氏は土木工事、伊福部氏は石材工事を行い、現在で言う公共事業に関わったのではないか。
一応、天穂日命が出雲国の人とは考えづらい。出雲国の人とする根拠は『記紀』以外に何もない。出雲国造家が天穂日命の子孫と名乗っているのはご先祖が因幡国高草郡からやって来たからではないか。出雲氏と称する家系は大和朝廷に痛めつけられ何度も断絶しており現国造家が因幡の有力者として出雲にやって来て出雲国の再建を果たしたのではないか。従って、出雲臣氏には古墳造営を得意とした人物が多かったのではないか。

★まとめ

天穂日命が天照大神の第二子とか、大国主命に媚びへつらったとか、大穴持命(大国主命)の祭主になったとか、などというのはみんなイカサマ神話で実際の天穂日命は因幡国高草郡の豪族で、土木作業や古墳造営の頭領だったと思われる。阿太賀都健御熊命神社一帯は玄武岩の産地で当御熊神社にみられる横型柱状のものは珍しいもので、鳥取市内にみられるほとんどが縦型柱状節理のものである。古墳造営には土、粘土、石材、水などの素材が必要かと思われるが、天穂日命の支配地である因幡国高草郡ではほとんどが調達できたのではないか。天穂日命の子孫である野見宿禰が土師氏の祖先と言われ、千代川を越えた対岸には石材加工の伊福部氏が本拠を構えていたと言うことは、『新撰姓氏録』では大和国・神別で、土師宿祢 贄土師連 尾張連 伊福部宿祢 伊福部連と記載されているところを見ても因縁浅からぬものがあるのではないか。但し、土師氏は天穂日命の子孫であり、伊福部氏、尾張氏は天火明命の子孫である。
古墳造営に関わった主なる地域の首長は丹波国の天火明命、但馬国の天日槍命、因幡国の天穂日命は美称の天と名前のしたの尊称の命(御事<みこと>の意という)を除いた、火明(ほあかり)とか、日槍(ひほこ)とか、穂日(ほひ)が本名であろうが、火明には「太陽光や熱の神格化」あるいは「<ホアカリ>は「穂赤熟」で、稲穂が熟して赤らむ意味(『古事記伝』)の意味が、日槍には「出石族(渡来系一族)が奉斎した「日矛/日槍」を人格化した」あるいは「元々は日矛を祭祀具に持つ大陸系の日神信仰を持つ集団」はたまた「「天日槍」とは、「ツヌガ(角干:最高官位)アラシト(日の御子の名)」の日本名になるという説もある。穂日とは「<穂霊>の意味として稲穂の神とする説」あるいは「<火日>の意味として太陽神とする説」がある。いずれも火明には「太陽光や熱の神格化」、日槍には「元々は日矛を祭祀具に持つ大陸系の日神信仰」、穂日には「<火日>の意味として太陽神とする」と解する説があり、火明、日槍、穂日のそれぞれは日神(太陽神)に関わるものである。我が国には皇室の祖先神の多くは稲魂に関わる神が多いが、実際は古墳造営に関わるなど土木建設の地方豪族が皇室系図に取り入れられているようだ。しかも、天火明命、天日槍命、天穂日命はともに山陰地方の人であり、かつ、その遠い祖先は北アジアの満蒙の地から渡来したのではないか。彼らが招来した太陽神とは海洋太陽神だったか。天照大神とか高木神とか言う日本の農業太陽神とは違うようだ。日本の縄文産業としては海幸彦、山幸彦に代表される水産業と農林業、それに三内丸山遺跡の六本柱建物に代表される土木建設業だったらしい。新羅王子と名乗っている天日槍命は別にして、穂日、火明は石川県鳳珠郡能登町字真脇にある真脇遺跡に源流があるのかも知れない。同遺跡は「10本の柱で囲んだと思われる直径7.4メートルの環状木柱列(穂日の起源か)」とか、イルカ漁が盛んで「獲ったイルカは食用に供せられるほか、骨を再利用したり、油を採ったりされた(火明の起源か)」とか、「巨木を用いた建物や構築物は巨木文化と呼ばれ、(高木神の起源か)」などがあり、日本古来の神かも知れない。但し、高木神を祀る神社は九州北部に多いので九州北部は弥生文化の玄関口であるとともに縄文文化の最後の終着駅であったか。
一般に、「神話上ニニギの一族とされている天忍穂耳尊や火照命・火闌降命(ほすそりのみこと)・彦火火出見尊とは名前に稲穂の「ホ」がある点で共通している。」とあるが、やや持って怪しの説ではないか。天忍穂耳尊はともかくほかの神はみんな火照命・火闌降命・彦火火出見尊と火の字を用いており、本当に穂の意味なのかどうかは検討の余地がある。天照大神が人為的に創出された神としても稲魂の神ではなかったはずだ。それがどうして子孫が皆々稲穂の神になったのか意味がわからない。
古墳造営に山陰系の神(人物)が起用されたのは畿内系の人物がほとんど役に立たなかったからではないか。例として、当麻蹶速は垂仁天皇に野見宿禰と置き換えられてしまった。当麻蹶速は縄文人という説もあるが、野見宿禰が縄文人で当麻蹶速は弥生人だったのではないか。米、米、米の弥生人当麻蹶速は長弓をキリリと引き、100mを12秒くらいで走る縄文人野見宿禰には体力的にとてもかなわなかったのではないか。
結論とするところは、天穂日命は現代的に言うと鳥取市に本社を置く、天穂日建設工業株式会社(仮称)の会長さんで、『記紀』に書かれているような高天原から葦原中国に天降って大国主命に媚びへつらった神などと言うことは毛頭なかった。『記紀』の原著作者がただ単に因幡国の有力豪族「穂日」さんを天穂日命と名付けて天皇家の系図に追加したのである。穂日さんにとっては迷惑なことだったのかも知れない。

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