地名における姫とは

★はじめに

「姫」などと言う言葉は、男子に「〇彦」などという名前をつけてもおかしくはないが、女子に「〇姫(媛)」などとつけたら、「あそこの家は少しおかしいのではないか」などと陰口をたたかれるのがオチだ。最近では少なくなったが、「〇姫」の代わりに女子には「〇子」とつけるのが一般的だったような気がする。これも、学者によっては本来は男子につけるもので、「孔子」「孟子」が正当で、日本流の「花子」とか「千代子」などと言うのは間違って導入されたものという。古代では蘇我馬子とか小野妹子とか有力男子にも「子」の字がつく人がいたようだが、この男子の「子」は長続きがしなかったようだ。もっとも、「子」というのは実名などにつける敬称あるいは尊称だったという説もあり、それでは男子でも女子でも敬称をつけて呼ぶことには問題はないのではないかと思うのだが、誤解が原因かどうかは解らないが、日本では「子」という敬称ないし尊称は女子のみにつくようになった。なお、姫型(○姫)の名は、臣籍降下した皇女にのみ与えられた、と言う。今は民間人に嫁いだ皇女は強制的に臣籍降下しなければならず、皇族同士の結婚がほとんどない現在では女性皇族が結婚した暁には、「〇姫」と名乗ってもおかしくないのかも知れない。
彦と姫はすでに『魏志倭人伝』にも出てきているようなので当時の上層階級にあっては「〇彦」とか「彦〇」や「〇姫」とか「姫〇」などという名前は一般的であったのだろう。当時の人は血統も重視しただろうから、いわゆる、現在の苗字に相当する「柄(から)」の名もあったと思われるが、上古での露出度はほとんどない。従って、『記紀』に連綿とつながっている各豪族の家系も天皇家はともかくはなはだ疑問ではある。
姫は意外と思われるかも知れないが人名のほかに地名にもついている。その数は古代にあっては多い方ではないと思われるが、西日本に偏ってはいるがまとまってある。以下、少しばかり地名の「姫」を検討してみる。

★地名における「姫」の意味

「姫」のついた地名はままあるが、新しい地名では本来の意味がわからないので、比較的古いもの(『和名抄』程度か)を検討してみる。具体例として、
1.姫社(ひめこそ)『和名抄』肥前国基肄(きい)郡姫社郷。現・佐賀県鳥栖市姫方町か。山下川沿いの平野にある。姫古曽神社がある。
説1。ヒメはヒビ(罅)の転で、「谷などが分かれたところ」か。
説2。ホトと同じで「女陰」ともつながるか。姫も同源か。但し、甲乙が違うという。
説3。コソはコシ・つまり「峠地または崖地」の転か。

2.姫沼(ひめぬ)『和名抄』筑後国生葉郡姫沼郷。現・福岡県うきは市浮羽町田篭(たごもり)か。田篭は旧姫治村の一角で、姫治は姫沼の誤記かという。隈上川(くまのうえがわ)の谷筋沿いでは、石垣で階段状に築かれた棚田が連なる。平成24年5月18日、新川田篭地区の川沿いの集落が、伝統的建造物群保存地区に答申されました、とある。
説1。ヒメはヒビ(罅)の転で、「分岐した沼地」の称か。ヒメ(姫)とヒビ(罅)の転のヒメとでは甲乙が違う。
説2。「小さいこと」を表すヒメ。

3.ひめのえ(姫江)『和名抄』讃岐国苅田郡姫江郷。現・香川県観音寺市豊浜町姫浜。灌漑用溜池を源とする川沿いの地か。
説1。ヒメはヒビ(罅)の転で、「澪条のある干潟の入江」の意か。
説2。ヒメは美称で「海域のなごやかなこと」を称したものか。
説3。「小規模な入江」の意か。

4.ひめのはら(姫原)『和名抄』伊予国和気郡姫原郷。現・愛媛県松山市姫原。灌漑用溜池に囲まれた平地。
説1。ヒメはヒビ(罅)の転で、「山あいに幾筋も分岐している原」
説2。小さい原
衣通姫伝説の地。近親相姦の罪で伊予国に流された木梨軽皇子が同母妹である衣通姫(そとおりひめ)に再会した。

5.ひめの(姫野)越中国射水郡姫野保。現・富山県高岡市姫野 海岸沿いの平地。水運と陸運の交差する地。

6.ひめだ(姫田)阿波国板野郡姫田邑。現・徳島県鳴門市大麻町姫田(おおあさちょうひめだ)北半は山地、南半は平野部で農業地域である。
新潟県新発田市東姫田・西姫田 姫田川を挟んで東西の平地。水田。

7.ひめしま(姫島)豊後国国東郡姫島。現・大分県東国東郡姫島(ひめしま)村 島には島中央部に標高266mの矢筈山、島西端に標高105mの達磨山、島西北部に標高62mの城山があり、この3つの山の間が中心集落になっている。
灰白色の黒曜石を産す。姫島産黒曜石は中国、四国の縄文時代遺跡から発見されている。

8.ひめじ(姫路)因幡国八東郡姫路邑。鳥取県八頭郡八頭町姫路。私都川(きさいちがわ)に沿った両側が山の山間地。
兵庫県姫路市は奈良時代に「日女道」の表記で記録のある地名。

9.ひめい(姫井)現・熊本県菊池市旭志弁利姫井(クマモトケンキクチシキョクシベンリヒメイ)
姫井の井は川の意であろう。合志川の二条の支流(これを姫井というか)に挟まれた地。

10.ひめみや(姫宮)現・埼玉県南埼玉郡宮代町姫宮。姫宮神社にちなんだ地名か。
姫宮落川沿いの旧笠原沼周辺は、台地に囲まれるように「後背低地」と呼ばれる低い土地が分布しています、とあり、川沿いないし川の中洲の地。

11.ひめこまつ(姫子松)岩代国安達郡二本松姫子松。現・ 福島県二本松市姫子松。
阿武隈川支流杉田川沿岸の地。

12.ひめ(姫)美濃国可児郡姫庄、紀伊国牟婁郡姫邑あり。美濃国は旧・岐阜県可児郡姫治村。現・多治見市姫町・可児市下切など。紀伊国は和歌山県東牟婁郡串本町姫。
多治見市姫町・可児市下切などは姫川の沿岸の地。
和歌山県東牟婁郡串本町姫、姫川は山間地。姫はあるいは海岸沿いが起源地か。

13.ひめこまつ(姫小松)三重県伊勢市二見町江字姫小松(伊勢市市道江21号線)
五十鈴川の川口にあるので江と言う、とある。五十鈴川川口の扇状地上にある。

★まとめ

姫の地名としての語源には、
1.小さい、と言う形容詞。
2.罅・皹(いずれもヒビ)の転。姫(ヒメ)と罅・皹(ヒビ)の転訛したヒメとは上代特殊仮名遣の甲(日、比、氷)、乙(飛、火、樋)が違うという。割れ目のことを言う。
3.日陰の意。
4.「日目」で「日の当たる平坦地」もしくは「緩傾斜地」
5.「秘め」であまり知られていないところ。
一応、1.2.が有力で、ほかはあまり顧みられていない。

1.小さい、と言う形容詞については、全国には「姫島」と称する島が散見するが、多くが無人島(愛知県田原市、山口県阿武郡阿武町、高知県宿毛市など)で愛知県田原市の姫島は古墳が一基あるので、かっては人が住んでいたのであろう、と言われているが、ほとんどの姫島は面積が小さく、飲料水や食糧の自給ができなかったようだ。なお、有人の姫島としては福岡県糸島市志摩姫島と大分県東国東郡姫島村がある。ほかに地名としては内陸のものもある。おそらく「姫」が小さいものを形容する言葉だったことは古くからあったようだ。『万葉集』にもあるという。
2.「罅・皹(ヒビ)の転訛」説は『和名抄』にも「ヒビ」地名があり、
ひびた(日田)相模国大住郡日田郷。現・神奈川県伊勢原市日向。意味としては、1.日当たりの良い地2.谷の割れた箇所、等がある。
ひびる(氷蛭)相模国御浦郡氷蛭郷。現・神奈川県横須賀市野比あたりか。比定地不詳。意味としては、1.ひび割れた谷2.海苔粗朶(そだ)を篊(ひび)と言った、等。
罅・皹(ヒビ)は地面にできた割れ目だけでなく、河岸段丘のような段差も言ったものではないか。また、ヒビには「湿地」説もある。上記の日田、氷蛭は相模国(現・神奈川県)にあり、何か火山の大噴火、大地震、大津波などにより地割れや段差ができたような気もする。東京にも日比谷などという地名もあり、何かひび割れした谷のことかとも思われるが、ヒビには湿地の意味を説く見解があり、ヤ、ヤト、ヤチなどは東日本では低湿地と解する説が多数だ。従って、日比谷と言ったからと言って必ずしも地形的に言う「谷」とは限らない。しかし、東京には渋谷とか四谷とか市ヶ谷とか「谷」のついた地名が多く、いずれも谷底にできた町のように見えるが、四谷と市ヶ谷は外堀の沿岸にあり人為的なものかも知れない。渋谷はそのものズバリ「しぼんだ谷」を意味するのかも知れない。渋谷駅には宮益坂、道玄坂、玉川通り、六本木通り、明治通りなどが集中しており、その谷底が渋谷駅である。渋谷の谷が谷底を意味したのか、その谷底にある猫の額ほどの湿地を意味したのかは解らないが、東日本の谷(ヤ)は谷(タニ)を意味したものか、はたまた、低湿地を意味したものかは今となっては不明と言うほかない。但し、渋谷の語源は多々あり、上記の説は古くからある一般的な説である。

以上より私見をまとめてみると、
「姫」の字がつく土地には、水がまとわりつく場合が多いようだ。無論、姫川という地名や河川もある。山間部にある「姫〇〇」という土地ではほとんどが谷底に集落、田畑があり、水田稲作を行っている場合が多い。また、平地の「姫〇〇」というところは、川の沿岸が多く、かつ、一条の川の両岸に同じ地名がある。無論、後世には両岸の地名が同じでは不便なので地名の頭か尻に何らかの文字をつけて分けているようである。これらから判断すると、「姫」という言葉は水田稲作とともに発生した言葉であり、中国語の水田稲作用語を日本式発音に移し替えたものかも知れない。「姫」地名が山間部の谷底平地から谷川を下り、平野部に至ったものか、はたまた、その逆で、平野部から谷川を遡上して山間部の小盆地にいたったものかは定かではないが、一般的には山間部の小盆地の小区画の田んぼから水田稲作を始め最終的に現在のような平野部の大型水田になった、と考える方が多いようである。おそらく当初は焼畑農業との併用が主だったのではないか。何か「姫」は「田」に相通ずる言葉かとも思うが、中国語にせよ日本語にせよ発音がまったく違う。もっとも、姫という言葉が地名についている割には語源辞典等ではそのような扱いはなく、専ら「貴人の娘」等を意味する「姫」に限定するものが多い。かろうじて地名語源辞典などでは「姫」の地名における意義を述べているだけである。その意味では、「姫」は「罅・皹(いずれもヒビ)」のことなのだろうが、甲・乙が違うとやや持って非難されている。日照り,熱波,旱魃,雨不足などによる湿地のひび割れた地を「姫」と言ったものか。私見では、やはり「姫」とは日本語の「氷・目」で氷は水を意味し、目は場所を意味する、水田稲作適地を言ったものではないか。「ヒメ」とは端的に言うと現今の「水田」になろうかと思われ、その移動の一端が中国・長江河口から筑後川河口へ、次いで肥前国基肄(きい)郡姫社郷。現・佐賀県鳥栖市姫方町へ、筑後国生葉郡姫沼郷。現・福岡県うきは市浮羽町田篭(たごもり)へ、伊予国和気郡姫原郷。現・愛媛県松山市姫原へ、讃岐国苅田郡姫江郷。現・香川県観音寺市豊浜町姫浜へ、(以上は、『和名抄』に出てくる地名)阿波国板野郡姫田邑。現・徳島県鳴門市大麻町姫田(おおあさちょうひめだ)へ、と移動し、その先はおそらく淡路国、和泉国を経て大和国へ入ったものと思われるが、不明となっている。水田稲作のほかの国内伝播ルートとしては現在の佐賀県唐津市菜畑遺跡、あるいは、福岡市板付遺跡(福岡市博多区板付)、福岡県飯塚市立岩遺跡などを経て吉備国(岡山県、広島県一部)から大和国へ入ったルート。菜畑遺跡、あるいは、板付遺跡から福岡県宗像市、出雲国、北陸、東北に伝播したルートがあったのではないか。

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