武蔵(むさし)の起源は

★はじめに

武蔵の意味と言おうか語源については笑い話のようなものから当てずっぽうのようなものまでいろいろあるようだ。例として、

*東国の武(もののふ)のために蔵が建てられていたという。

*賀茂真淵は、「身狭(ムサ)国があり、後に身狭上(ムサガミ)と身狭下(ムサシモ)に分かれて相模と武蔵となった」と言い、類似の説として、総(フサ)国(近藤芳樹)、佐斯(サシ)国(本居宣長)がある。総(フサ)国はともかくとして、身狭(ムサ)国とか佐斯(サシ)国なんて本当にあった地名なのか。

*ムサは俘囚の意味。むかし三韓蝦夷などの俘をおいたところで、その国を上下に分けて、ムサシモ(身狭下)の下略。しかし、古代東国は「けぬ」「ひた」「むさ」「 ふさ」と呼ばれる4地方に分かれていた、と言う人はいるが、「ムサ」が俘囚という辞書は見かけない。

*最後に、イギリス人宣教師バチェラーさんの見解。静かな傾斜に白波の寄せるところの意のアイヌ語(Mu-sashi)から。文学的で微笑ましいが武蔵国にそんなところがあったのか。旧浦和市は浦和と言うくらいだから港かとも思われるが、武蔵の起源地は現在の行田市という説も根強い。

そこで、多くの人は武蔵の語源は地形にあると考えているようである。

★地形地名の検討

ムサシについてはム・サシと分解する見解と、ムサ・シと分解する見解がある。「ムサ・シ」説は上述の賀茂真淵、近藤芳樹、本居宣長等の諸説があり、地形ないし地勢地名として左様な分解をする人はほとんどいないようである。そこで「ム・サシ」だが、このように分解すると「ム」の語義と「サシ」の語義とを明らかにする必要がある。
「ム」の語義
*雑木林を蒸(ム)して 焼畑農地(サシ)を作るに由来し、「ム」は蒸すのムである。柳田國男説
*産(む)・佐志(焼畑)で焼畑を開墾することを言う。「ム」は生産を意味する。「産霊(むすひ)」は生産・生成を意味する言葉、とある。
一応、「サシ」を焼畑と解する見解がほとんどなので焼畑関連の言葉を上げた。
「サシ」の語義
「サシ」の一般的な定義としては、『姓氏・地名・家紋総合辞典』(丹羽基二著・新人物往来社)に以下のごとくある。
<さし>
*焼畑。切畑。新しく開いた畑のこと。サスと同じ。
*朝鮮古語で城、蔵、または大きな村の意。
しかし、上記とは異なった趣旨を説くものもある。曰く、
一般に東京都の奥多摩地域(青梅、八王子を結ぶラインより西方)や埼玉県の秩父地域の「サス」は焼畑と解されているが、所沢以東の「小手指」「指扇」「差間」などのサス(サシ)は<水を差す>のサスであり、水が出てくるところを言う、と説く。
千葉県の「指し輪」「差輪」「小指輪」「小手指」「鶴指」などは焼畑ではないとし、「指し輪」は川が曲がりくねったところで関西の「輪中」のようなところと言う。
関東地方では山岳部の焼畑を「サス」、平野部の焼畑を「サシ」と言っているようで、評価する人により色々だろうが所沢市小手指は武蔵野台地上の原野と言っている人もいる。さいたま市西区指扇は大部分は大宮台地の上で、西部が荒川沿いの低地だったが、村自体は荒川に接していなかった。低地は湿地だったか。埼玉県川口市差間は台地と低地が入り組む地域という。古くは台地上で生産をし、低地の川で取水・排水をしたようである。もっとも、「武蔵田園簿」(慶安2~3年成立1649~1650)には指間村とあり、「田二十一石余、畑二十石余で、畑は<見沼水域ニ成>る冠水地であった」と言う。そこで、「小手指」「指扇」「差間」を判断するといずれも人間の生活基盤は台地上にあり、焼畑による開墾が十分に考えられる。
千葉県の「指し輪」「差輪」であるが、同じ音でありながら漢字を使い分けているので単に当て字の違いと言うだけでなく意味も違うのではないか。次項で検討する。
以上より現状から関東地方の平地の「サシ」が焼畑ではないと断言はできないと思われる。

★「サシ」をあらわす漢字

「サシ」の地名を表すには主に「刺」「差」「指」と言う漢字を当てている。汎用で用いられているのは「差」「指」である。それぞれの漢字の地名を挙げて検討をしてみる。

*「刺」
刺牛(さしうし) 北海道白糠町刺牛 サㇱウシ(sash-ush-i 昆布・群生する・処)の意であろう。山田秀三説
刺田(さしだ) 福島県伊達郡桑折町大字下郷字刺田 刺処の意か。
刺松(さしまつ) 宮城県仙台市泉区松森字刺松 七北田川の河岸段丘の上部にある。刺牧の意か。松は瑞祥地名として付けられることが多いが、意味不明の地名用語という。例、浜津が浜松へ。
刺巻(さしまき) 秋田県仙北市田沢湖刺巻 玉川のわずかに開けた氾濫原に立地する。刺牧の意か。あるいは、玉川の水流が形成する渦巻きのことか。
刺鹿(さつか) 島根県大田市久手町刺鹿 安山岩質火砕岩の台地上にある。サスカと読む説があり焼畑かと言う。地元の読みはサツカ。

アイヌ語という刺牛(さしうし)と読みが違う刺鹿(さつか)を除くと、刺田、刺松、刺巻はいずれも東北地方の地名であり、東北地方ではサシ、サスの地名が多いが、サシ、サスはともに焼畑を意味し、焼畑によって開墾が進められたところという。しかし、刺田(田地のことか)、刺松、刺巻(牧か。勅旨牧や諸国牧は東北には見当たらないが、東北の馬は中央で好まれたので悪徳国司がアルバイトで私的牧を経営していたか。但し、有力説は「「川の曲流する処」と言う。あるいは、水流の渦巻きか。東日本にやたらに多い地名。そんなに牧場があるはずがないと言われれば少し弱いのだが。<注>)を字義通り解すると「田」とか「牧」となり、それらは当時にあっては資産価値の高いものであったと思われるので現今で言う明認方法として看板を立てたり、あるいは、地に刺して占有や所有を明らかにしていたようである。日本ではこの種の方法が古くからあるようで、例として、

『古事記』中巻 仲哀記
爾以其御杖衝立新羅國主之門
爾くして其の御杖を以ちて新羅の國主の門(かど)に衝き立て

日本書紀 巻第九 神功皇后紀 九年冬十月
「即以皇后所杖矛 樹於新羅王門 爲後葉之印 故其矛今猶樹于新羅王之門也」
即ち皇后の所杖(つ)ける矛を以て、新羅の王の門に樹(た)て、後の葉(よ)の印(しるし)としたまふ。故(かれ)、其の矛、今猶新羅の王の門に樹てり。

大祓詞 - 延喜式祝詞から
六月晦大祓 (十二月は之に准へ)
天津罪と 畦放 溝埋 樋放 頻蒔 串刺 生剥 逆剥 屎戸 許々太久の罪を天津罪と法別て
あまつつみと あぜはなち みぞうめ ひはなち しきまき くしざし いきはぎ さかはぎ くそへここだくのつみをあまつつみとのりわけて
<串刺(くしさし) 収穫時に他人の田畑に自分の土地であることを示す杭を立てて横領すること>

とあり、即ち、往古にあっては我が国では立て看板、縄張り、王杖・矛(王などの場合)などが当該物件の占有・所有を示す有力な方法だったのではないか。
以上より「刺」の字が書かれた「さし」地名は明認方法が施された不動産物件等を表すのではないかと思われる。

<注>「サシ」「サス」と「マキ」の語義だが、地名が東日本に多い(「マキ」は西日本にも多い)こともあって日本語とアイヌ語に類似の言葉があるのでその「差、指、刺」や「巻」の地名文字が日本語由来のものか、はたまた、アイヌ語由来のものかに分けるべし、との考えがある。即ち、「サシ」「サス」は日本語では「焼畑」の意味だが、アイヌ語では「エ(頭)」+「サ(前・浜)」+「ウシ(ところ)」<漢字で江刺、江差、枝幸など>となり、岬の地形を意味する。また、「マキ」は日本語では「牧(牧場)」の意味だが、アイヌ語では「マキ」(maki)は「開いた空地(an open space)」や「マク」(mak)(後ろ・奥・山手)のことという。

*「差」

「さし」に関しては漢字の「差」「指」が通用されているようであるが、「差」の特色としては、海や川の項目と結びついた組み合わせが多いようだ。従って、意味合いも<焼畑>とは異なる解釈をする人も多い。例としてあげるなら、

地名については

差川(さすがわ)山口県岩国市周東町差川 島田川に沿った地形。内陸。
差木地(さしきじ)東京都大島町差木地 東京都大島町の最南端の海岸
差木野(さしきの)宮崎県延岡市差木野町 北川沿岸の地
差岸(さしぎし) 青森県北津軽郡鶴田町山道(大字)差岸 岩木川を始め水路が縦横にある。大巻、強巻の地名あり。
差波(さしなみ)青森県八戸市是川(大字)差波 新井田川に沿う。
差海(さしうみ) 島根県出雲市湖陵町差海 神西湖と日本海に挟まれた砂丘
差須浜(さすはま) 広島県江田島市江田島町差須浜

意味については

1.海に向かって伸びた陸地を言う。半島や岬を言うもののようで、アイヌ語の「エ(頭)」+「サ(前・浜)」+「ウシ(ところ)」(esausi・江刺、江差、枝幸)と同義か。
2.川の間の狭少な地を言う。差嶋(さしじま・秋田県鹿角市)、差間(埼玉県川口市)等のことか。差木地、差木野の佐敷(さしき)は川の中洲という説あり。
3.川の曲流、蛇行。差(指)輪(さしわ)は箕輪・水輪(みのわ)と同義か。

などが加わっており、それぞれ川や海の近くにある土地の一断面をとらえて言っているようだ。

★まとめ

「サシ」の語源を細分化して述べたものに「地名用語語源辞典」(楠原佑介編、溝手理太郎編)があり、それによると、
1.「直線的に力が働く」。地名用語では、「真っ直ぐに伸びた状態」を言う。
2.傾斜、勾配。(奈良県吉野郡の方言)
3.焼畑。動詞「サス」(点)の連用形で、「火をともす、火をつける」意。
4.城。古代朝鮮語。
5.日向(ひなた)地。サアシから。南向きの日の当たる土地。(広島県豊田郡、愛媛県大三島郡の方言)
そのうち、「3.焼畑」説については、『大言海』では、
さしもぐさ 指焼草「夫木抄、二十八、題、「指焼草(さしもぐさ)注焼草ノ義、注(さ)すトハ、点火(ひつ)クルコト(灸ヲスウルヲ、灸ヲさすト云フ)燃(も)すノ語根灯(とも)すのもすナリ
これが一番説得力があるのではないか。従って、サシ、サスを「焼畑」と解する。
関東地方にはサシ、サスの地名が群馬県、埼玉県、東京都に多いと言うが、東日本に多い地名のようである。消滅した地名も多いであろうから現存地名から推測することは難しいかも知れないが、一応、武蔵国の国府が現在の府中市に移される前は埼玉県行田市にあったといわれている。よって、武蔵の地名の起源は行田市界隈に求めるのが適切であろう。また、ムサシの地名も周りにサシ地名が多いところから見て「ム」「サシ」と分けるのが正しいと思われる。「ムサ」「シ」説もいろいろ解説している(ムサ=湿地、裂<崩壊地、分岐点>)が一般的ではないと思われる。行田市は縄文時代から人が住んでいたようであり、古墳時代の古墳も多く、武蔵国の中心であってもおかしくはない。何かの本で読んだのだが古くは二千町歩余の田畑があったという。おそらく、その前身の原野は弥生時代にあっては無尽蔵の焼畑資源であったのではないか。地名の「行田」の意味も行田は「なりたとよみて成田とも書く」。川、原、沼などが田になったので、成田・行田は同じという、と。
ところで、行田市には「野(の)」(行田市野)という地名がある。野は上代東国語では「ぬ」と発音されたらしく、野(ぬ)は緩(ぬる)キの意と『大言海』にあって、ゆるやかに暢びている野原、と言う。この「ぬ」と近くにあった「さし」地名が合体し「ぬさし」となり、「ぬさし」が「むさし」に変化したのではないかと思うが、その相方の「さし」地名が近隣には見当たらないようだ。せいぜい、「佐間」(行田市佐間)という地名があり、その「佐間」は元々は「佐志間」とか書かれており、その「佐志間」が中略されて佐間となったとかを考えるのが関の山か。行田市野は純農村であったにしては「久伊豆神社」とか「氷川神社」とか埼玉県(武蔵国)の名の通った神社があり、行田市佐間も「さきたま古墳公園」が近く、双方とも早くから開けていたところではないかと思われる。
以上より「武蔵(むさし)」の地名の発祥地は埼玉県行田市野から埼玉県行田市佐間のあたりであり、その地域一帯が武蔵(むさし)と言われていたのではないか。また、語義も「広大な野原を焼畑により開墾すること」を意味していたのではないか。佐間の表記も川口市差間(さしま)との類似性を感じさせる。差間(さしま)も読みようによっては差間(さま)とも読める。あるいは、漢字二字表記の影響で「佐志間」が「佐間」となったのかも知れない。

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