邪馬台国滅亡とはなんのこと

★はじめに

歴史の大衆啓蒙書を見ていると、「邪馬台国滅亡」とか「邪馬台国消滅」とかの言葉が出てくるがこれは本当なのだろうか。邪馬台国についてはいろいろ混乱があるのであるが、

まず、その読みについてであるが、「やまたいこく」(現時点での多数説のようである)とか「やまだこく」とか「やまとこく」とかがある。「臺」「台」の文字は「魏志倭人伝」では「臺」と「壹」との混用があるものの邪馬壹【臺】國」「宗女壹【臺】與」「壹【臺】與遣倭大夫」「政等還因詣臺」などがあり、「壹【臺】與(とよ)」の使用例から見て「邪馬壹【臺】國」は「やまとこく」と読むのが正解ではないか。

道程については、對海國(對馬國)→一大國→末盧國→伊都國→奴國までは異論がないが、不彌國と投馬國及び邪馬壹國については諸説がある。
不彌國は宇美(福岡県宇美町)や穂波(同飯塚市)に比定する説がある。しかし、不彌国から船で投馬國へ行くのであるから宇美町はともかく、飯塚市は該当しないと思われる。
投馬國の比定地は邪馬台国の比定地を九州にするか畿内にするかによって諸説がある。「邪馬台国九州説では日向国都萬(つま、都萬神社周辺、現西都市妻地区)説、薩摩国説、五島列島説、等がある。瀬戸内海航行説の場合、名称の類似から備後国の鞆とする説等があり、日本海航行説では出雲国や丹後国、但馬国等にあてる説がある。」と言う。
邪馬台国九州説では九州南部(日向国、薩摩国等)に投馬國を当てる説が多いが、その先邪馬台国まで「水行十日陸行一月」としたらどこへ行き着くかである。九州北部の筑後川流域説などもあるが長期日程を要する邪馬台国までどのようにして行くか、と言うことである。
瀬戸内海航行説は当てはまらないと思われる。魏の使節団は不彌國で倭の丸木舟に乗り込んだようで、そうならば一行は丸木舟で瀬戸内海、淀川、木津川を一気に進んだと思われるが、そういう記録は中国にも日本にもないようだ。それに当時の瀬戸内海の大国は「吉備国」と思われ、「備後国の鞆、即ち、吉備国の鞆」は音が似ていると言っても「吉備国」は「吉備国(きびのくに)」と発音されていたと思われ、投馬國(とうま、つま)とは音が似ていない。
日本海航行説では出雲国は「いつま」が正音で、「い」が脱落した、あるいは、元々は「つま」で何らかの理由で「い」が追加された、などが考えられる。おそらく、投馬國は「つま」で出雲国も三世紀頃までは「つま」と発音されていたのではないか。また、『日本書紀』(日本書紀 卷第一 第八段 一書第六)に「又曰、事代主神、化爲八尋熊鰐、通三嶋溝樴姬・或云玉櫛姬而生兒、姬蹈鞴五十鈴姬命。是爲神日本磐余彥火火出見天皇之后也。」とあるところを見ると、出雲国は早くに(神武天皇によってか)大和国に併呑されていたのではないか。従って、卑弥呼女王時代は朝鮮半島へ行くルートは日本海ルートだったのではないか。

倭の領域については、
女王國東渡海千餘里 復有國 皆倭種
又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里
又有裸國 黑齒國復在其東南 船行一年可至
參問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連 周旋可五千餘里
などと言って、邪馬台国九州説ではこれが今の四国や本州であると言うもののようであるが、方角を東、南あるいは東南としているところを見ると、何か中国の東南アジア方面の文献を見て書いたようで、女王国への道程「水行十日陸行一月」にはあわないのではないか。<水行十日陸行一月>を正とするなら邪馬台国は内陸の地であろう。「女王國東渡海千餘里」などと言うのもまったくおかしい。従って、倭の領域というのは現在の日本国とほとんど変わらないのではないか。

彦姫制については、
邪馬台国では女王卑弥呼のほかに男弟がいて、卑弥呼女王を補佐していたようである。国王とされる卑弥呼女王は呪術的(祭祀的)支配を行い、男弟が卑弥呼の意思を実際的(政治的)に執行したと言う。農耕的女子集団の長を主に姫、軍事的男子集団の長を主に彦といった。農作物を作ってもそれを略奪するものがいるので撃退する人物も必要とのことで生産は女性、保安は男性の仕事になったのであろう。
『記紀』に出てくるのは、
宇佐地方(豊国)に菟狹津彦と菟狹津媛( 『日本書紀』神武天皇即位前記甲寅年条)、
孝元天皇皇子に埴安媛と武埴安彦(『日本書紀』孝元天皇七年二月)、
開化天皇皇子に日子國意祁都と意祁都比賣(『古事記』開化天皇段)、
崇神天皇皇子に豊城(鍬の誤写か)入彦と豊鍬入姫、八坂入彦(父)と八坂入媛(女)(『日本書紀』崇神天皇元年二月)、
垂仁天皇期に狭穂彦と狭穂姫(『日本書紀』垂仁天皇四年九月)、
景行天皇皇子に五百城入彦と五百城入姫(『日本書紀』景行天皇四年二月)など、
地方にも、阿蘇地方に阿蘇都彦と阿蘇都媛(『日本書紀』景行天皇十八年六月)、加佐地方(丹後国)に加佐彦と加佐媛<本来は笠津彦(うけつひこ)と笠津媛(うけつひめ)と言い、笠(うけ)を笠(かさ)と読み違えた。豊宇気大神に由来するという>(丹後風土記残缺・志楽郷)、など。
彦と姫を対として祭る神社は北陸、近畿、出雲、播磨、そして伊豆から武蔵地方を中心に点在している。

以上を総括すると、1.彦姫制はいわゆる神武天皇及び欠史八代の頃に始まり、三輪王朝の頃に終焉を迎えたようである。2.稲作導入とも関係があるようで、稲の収穫期に稲束を強奪・窃取するものが現れたので、一年間の労働を無駄にしないためにも防御が必要になった。3.組み合わせは兄・弟と姉・妹(きょうだい)が多いようであるが、父と娘、夫と妻などもあるようである。4.地域的には大和国の支配地域即ち邪馬台国の支配地域のようである。九州にも菟狹津彦と菟狹津媛とか阿蘇都彦と阿蘇都媛とかがあるが、九州北部に偏っていて、大和国(邪馬台国)の影響を受けたものではないか。

★まとめ

邪馬台国滅亡とか邪馬台国消滅とか日本人にとっては見るも無残な論調の本が結構多いが、邪馬台国の時代は連合国家と言っても邪馬台国が支配したのは東は現在の関東地方から西は現在の九州北部に渡り、そこに国都として大和国(邪馬台国)があったのである。崇神天皇の四道将軍の派遣は大和の覇権を強固なものにしようとしたのであろうが、東は関東まで伸びているのに対し、西は九州まで到達せず丹波国や吉備国という近間で終わっている。おそらく、丹波国や吉備国は軍事力が強大であったのであろう。とは言え、両国とも徐々に大和国へ歩み寄りを見せており、大和国としても朝鮮半島のルートは確保したようである。
この時代のものとして、近江国や淡路国では大規模な鉄器工房遺跡が発見されているが、原材料の確保はこれらの国が独自に半島や大陸と交易を行い確保したと言う見解もある。従って、邪馬台国時代の鉄遺跡が大和国にはないと言ってもこれらの周辺地域から供給を受けていたのかも知れない。そもそも近江や淡路は何らかの需要がなかったらそんな鉄工所なんて作らなかったと思う。おそらく近江国稲部遺跡では大和国の対丹波国に対する兵器を製造し、淡路国「舟木遺跡」「五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡」では対吉備国に対する兵器を製造していたのではないか。現代流に言うと「死の商人」と言うことになろうかと思うが、これに八咫烏(賀茂氏)<稲部遺跡>や大伴氏<「舟木遺跡」「五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡」>が絡んでドロドロしたものになっていたのではないかと思われる。当時にあって国産の鉄の原料は出雲国と吉備国が主産地であったが国内の需要をまかなうことができず、ほとんどを朝鮮半島からの鉄鋌(てつてい)の輸入に頼っていたようだ。「稲部遺跡」や「舟木遺跡」「五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡」では鉄鋌の国内移送ルートも重要だったと思われる。
『日本書紀』(景行天皇五十一年八月)「其置神山傍之蝦夷 是本有獸心 難住中國 故隨其情願 令班邦畿之外 是今播磨・讃岐・伊豫・安藝・阿波 凡五國佐伯部之祖也」とあるが、佐伯部と言う人が何をしていたかは解らないが、おそらく景行天皇・大伴氏連合の吉備国包囲網で吉備の鉄を狙っていたのであろう。『続日本紀』では備前国赤坂郡佐伯郷もあったという。また、吉備国を囲むようにして久米郡とか久米郷の地名も多い。久米、佐伯という大伴氏の息のかかった包囲網であったのだろう。
『日本書紀』(卷第九 氣長足姫尊 神功皇后六十六年)【是年 晉武帝泰初二年 晉起居注云 武帝泰初二年(266年)十月 倭女王遣重譯貢獻】とあるが、この倭女王は台与でこのときから日本と大陸との国交は途絶え、次に大陸の文献に現れるのは125年後の好太王碑「百殘新羅舊是屬民由來朝貢而倭以耒卯年(391年)來渡海破百殘加羅新羅以為臣民」である。おそらく、日本の文献では崇神、垂仁の外国との交流は終わり、景行天皇の国内統一専念の時代に入ったのであろう。125年とは垂仁天皇後半→景行天皇→成務天皇→(五百城入彦皇子)の治世か。
邪馬台国の時代というのは畿内の実在の時代であり、それは『記紀』に書かれている一時代なのである。『魏志倭人伝』に書かれている倭の政治体制も関東から九州に及び畿内発祥の政治体制だったと思われる。その点、九州北部の国々は全国をまとめる政治システムの構築には不慣れだったのかも知れない。
失礼ながら、「邪馬台国滅亡」とか「邪馬台国消滅」などと言う人は狭視眼的で九州ばかりが大きく見えて倭国全体は顕微鏡ででも見る人のようだ。当時の日本は九州ばかりでなく、現在の日本とほぼ変わらず理解されていたものと思う。

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