大宜都比売神について

★はじめに

大宜都比売神(大気都比売神)の名は『古事記』に出てくる。『日本書紀』では保食神と言う。双方から引用すると、

1.『古事記』上つ巻 伊弉諾命と伊弉冉命 3 大八島国の生成

「次生伊豫之二名嶋 此嶋者身一而有面四 毎面有名 故伊豫國謂愛比賣 讚岐國謂飯依比古 粟國謂大宜都比賣 土左國謂建依別」

2.『古事記』上つ巻 伊弉諾命と伊弉冉命 4 神々の生成

次生神名鳥之石楠船神 亦名謂天鳥船 次生大宜都比賣神

3.『古事記』上つ巻 天照大神と須佐之男命 5 五穀の起源

「又食物乞大氣都比賣神 爾大氣都比賣 自鼻口及尻 種種味物取出而 種種作具而進時 速須佐之男命立伺其態 爲穢汚而奉進 乃殺其大宜津比賣神 故所殺神於身生物者 於頭生蠶 於二目生稻種 於二耳生粟 於鼻生小豆 於陰生麥 於尻生大豆 故是神産巣日御祖命 令取茲 成種」

4.『古事記』上つ巻 大國主神 8 大年神の神裔

「羽山戸神娶大氣都比賣神生子 若山咋神 次若年神 次妹若沙那賣神 次彌豆麻岐神 次夏高津日神 亦名夏之賣神 次秋毘賣神 次久久年神 次久久紀若室葛根神」

以上を見てみると大宜都比売神という同名の神が複数いるのではないかと言う感じもする。発想力の乏しさからか、はたまた、面倒くさかったのか、神名を使い回ししているのかも知れない。「五穀の起源」を除いては単に神名を当該箇所にはめ込んだと言う様子もある。
1.大八島国の生成の「粟國謂大宜都比賣」の項では、阿波を穀物の「粟」に掛けただけの後附けと言い、即ち、<伊豫之二名嶋 此嶋者身一而有面四 毎面有名>と現在の四国を擬人化する際、阿波国は粟国となったと言うのが多数説のようである。阿波は地名用語で粟の産地の意味もあるが、語源的には暴(あば)くで、「崩崖」の意味というのが有力である。
2.神々の生成の「次生大宜都比賣神」が大宜都比賣神の本来の出生譚で粟國謂大宜都比賣の方は粟国の単なる命名譚にすぎない。即ち、大宜都(おおげつ)とは御食(みけつ)の意味で普通名詞にすぎなかった。
3.五穀の起源については『古事記』の大宜都比売神についても、『日本書紀』の保食神についても神話の主要部分で後ほど検討する。
4.大年神の神裔として<羽山戸神娶大氣都比賣神>に関しても、よく言われるように、一度、須佐之男命に殺された人(神)がどうしてこんなところに出てくるのと言うのが大方の意見かとも思う。どうも『記紀』にあっては天つ神系と国つ神系が結婚する時は双方の世代間に大きなギャップがあるようである。因みに、羽山戸神の神とは<山麓>の神であり、羽山戸神と大氣都比賣神の間の御子神は水稲稲作にまつわる神であることが多い。

『日本書紀』の保食神はと言えば、

『日本書紀』巻第一神代上第五段一書(第十一)<原文は難しいので読み下し文とする>

「一書に曰く、伊奘諾尊(いざなぎのみこと)、三はしらの子(みこ)に勅任(ことよさ)して曰く、「天照大神は、以ちて高天之原を御(しら)すべし。月夜見尊は以ちて日に配(なら)べて天(あめ)の事を知らすべし。 素戔嗚尊は以ちて滄海之原(あおあまのはら)を御すべし」。

既にして天照大神、天(あめ)の上に在りて曰く、「葦原中國(あしはらのなかつくに)に保食神(うけもちのかみ)有りと聞く。爾(いまし)月夜見尊、就(ゆ)きて候(み)るべし」。 月夜見尊、勅(みことのり)を受けて降り、已に保食神の許(もと)に到る。 保食神、乃(すなわ)ち首(こうべ)を廻(めぐら)して國に嚮(むか)わば、則(すなわ)ち口より飯(いい)出(い)ず。 又、海に嚮わば、則ち鰭廣(はたのひろもの)・鰭狹(はたのさもの)、亦、口より出ず。 又、山に嚮わば、則ち毛麁(けのあらもの)・毛柔(けのにこもの)、亦、口より出ず。 夫(そ)の品物(くさぐさのもの)を悉く備えて、百机(もものつくえ)に貯えて饗(みあえ)す。 是の時に、月夜見尊、忿然(いかり)て色を作(な)して曰く、「穢哉(きたなきかな)。鄙矣(いやしきかな)。寧(いずくに)ぞ口より吐(たぐ)れる物を以ちて、敢(あえ)て我を養うべきか」。 廼(すなわ)ち劒(つるぎ)を抜きて撃ちて殺しき。 然して後に復命(かえりごともう)して、具(つぶさ)に其の事を言いき。 時に天照大神、甚だ怒りて曰く、「汝は是(これ)惡しき神なり。相い見るまじ」。 乃ち月夜見尊と一日(ひとひ)・一夜(ひとよ)を隔て離れて住みき。 是の後に天照大神、復た天熊人(あめのくまひと)を遣(つかわ)して往きて看さしめき。 是の時に、保食神、實(まこと)に已に死にき。 唯、其の神の頂(こうべ)に 牛・馬化爲(な)り、顱(ひたい)の上に粟(あわ)生(お)い、眉の上に蚕(かいこ)生い、眼の中に稗(ひえ)生い、腹の中に稻生い、陰(ほと)に麥及び大小豆(まめあずき)生いて有り。 天熊人、悉く取り持ち去りて奉進(たてまつ)る。 時に、天照大神、喜びて曰く、「是の物は、則ち顯見蒼生(うつしきあおひとくさ)の食(くら)いて活(い)くべき也」。 乃ち粟・稗・麥・豆を以ちて陸田種子(はたけつもの)と爲し、稻を以ちて水田種子(たなつもの)と爲す。 又、因りて天邑君(あまのむらきみ)を定めき。 即ち其の稻種(いなだね)を以ちて、始めて天狹田・長田(あめのさた・おさだ)に殖えき。 其の秋の垂穎(たりほ)、八握(やつか)に莫莫然(しな)いて、甚だ快(こころよ)し。 又、口の裏に(かいこ)を含みて、便(すなわ)ち絲(いと)抽(ひ)くを得たり。 此より始めて蠶(こ)を養(か)う道有り。

『保食神』、此を宇(う)氣(け)母(も)知(ち)能(の)加(か)微(み)と云う。 『顯見蒼生』、此を宇(う)都(つ)志(し)枳(き)阿(あ)烏(お)比(ひ)等(と)久(く)佐(さ)と云う。

長々と引用して申し訳ないが、大宜都比売神と保食神の本質的な違いは遺体における五穀等の発生についてであると言う。即ち、

『古事記』(大宜都比売神) 頭(蚕)、二つの目(稲種)、二つの耳(粟)、鼻(小豆<あづき>)、陰部(麦)、尻(大豆<まめ>)。
『日本書紀』(保食神) 頭(牛・馬)、額(粟)、眉(蚕)、眼(稗)、腹(稲)、陰部(麦・大小豆<まめ・あずき>)。

となっており、多数の朝鮮語学者は保食神の産物名と産出部位は「古代の朝鮮語の上の一種の言語的遊戯である」(金沢庄三郎博士ほか)と言う。

★大宜都比売神と保食神の説話は出典が同じか。

一応、両神の神話の出典については、

*大宜都比売神 粟や麦、小豆などの穀物が生まれたとする基盤には焼き畑農耕があり、この神話は中国南部から伝播したとも考えられる、とする説。中国南部起源説。
*保食神 五穀の産物名と産出部位は朝鮮語話者が整理して書いている。朝鮮半島起源説。
*このほかに、吉田敦彦学習院大学名誉教授の縄文教からの起源説もある。曰く、
「縄文宗教の主神だったこの女神は、体から食物を惜しみなく出して与えてくれる一方で、殺されてはその死体が作物などの発生の母体になると信じられていたので、オオゲツヒメや『日本書紀』の神話の保食神らは、明らかにこの縄文女神の性質をきわめてよく受け継いでいる」と。

保食神には牛・馬が出てくるのでこちらが新しい説話かと思いきや、必ずしもそうではないようである。上田正昭京都大学名誉教授は「五穀発生の神話は『古事記』よりは『書紀』一書の方が原型に近いと思われ、『古事記』の説話は、まえの須佐之男命の高天原追放神話と直接にはつながらないものである」(「日本歴史大辞典 Ⅰあーう P537 うけもちのかみ))また、月→女性→死→再生→食物という一連のシンボル連合に合致しているから、『書紀』の伝承がより古形を保っているのかも知れない、として結果上田説と同じという先生もいる。
元々この説話の起源は東南アジアから大洋州・中南米・アフリカに広く分布している<殺害された者の屍体の各部から栽培植物、とくに球根類が生じる>という説話で、芋類を切断し地中に埋めると、再生し食料が得られると言うことを神話化したものである。日本に主食となる芋類が入ってきたのはサツマイモ(1597年頃)、ジャガイモ(1600年頃)、サトイモ(縄文後期)で、サトイモは穀物より歴史は古いが、穀物が入ってくると瞬く間に主食の座から駆逐されてしまったようである。従って、日本にハイヌウェレ型神話が入ってきた頃には主食は穀物一色でサトイモは副食の域を出なかった。
多数説はこの種の説話は物と一緒に入ってきたように理解しているようだが、おそらく当該「物」よりかなり後になって中国や朝鮮半島の神話体系として書籍で入ってきたものを日本神話に取り入れたのではないか。日本はもとより中国や朝鮮は穀物の国であり、ハイヌウェレ型神話が日本に入ってくる前にすでに芋は穀物にすり替わっていたのである。よって、大宜都比売神と保食神の説話は日本化した神話と言ってもいいのではないか。

★まとめ

吉田敦彦学習院大学名誉教授によると大宜都比売神は縄文宗教の主神だった女神で、世界的に見ると大地の豊饒(ほうじょう)、生成、繁殖力を人格化した女神と言うことになり、これは地母神に他ならない。その源流は、旧石器時代末期の象牙(ぞうげ)、骨、石などに彫られたいわゆるビーナス像にまでさかのぼると言い、日本では縄文のビーナス像や縄文の女神像でおなじみの土偶のことと思われる。吉田名誉教授はまた「 縄文時代に、土偶や土器に姿を表現され崇められた女神がその前身だが、女神像だったと思われる土偶のほとんど全てが、破片の状態で発見されることから、縄文時代の人々が、土偶を作っては壊すことで、女神を殺してその体から作物を生じさせようとする祭りを繰り返していたことが想定できる。また料理に使われた深鉢形の土器の中には、口の縁に土偶の顔とそっくりな顔の付けられたものがあり、土器そのものが土偶に表されたのと同じ女神の像であるようにみえる。もしそうなら、これらの土器の中で料理された食物を口にするたびに、当時の人々はまさしく、土器に表された女神が、体から出して与えてくれるものを食べていた」という。おそらく、おおむね吉田説は<正>なのであろう。
「次生伊豫之二名嶋 此嶋者身一而有面四 毎面有名 故伊豫國謂愛比賣 讚岐國謂飯依比古 粟國謂大宜都比賣 土左國謂建依別」は何やら西欧や中近東の「双頭の鷲」や「双頭の蛇」の伝承に尾ひれがついて伊豫之二名嶋と言いながら四名になったような話だ。
そこで、<粟國謂大宜都比賣>の件であるが、阿波国や淡路国については一般的には淡路国の語源は阿波国にいたる路(みち)の意と言い、阿波は粟で穀物の粟のとれるところと解している。しかし、近時の地名研究家の説では「アハ」とは発(あば)く=剥げるで崩壊、崖、急傾斜、地滑りを意味するという。従って、阿波国も淡路国も地滑り地に由来するようだ。粟国を大宜都比売と言うのも後付けの付会と言うことになるが、実際はどうだったと言うことだ。大の美称を用いるので天の美称を用いる天神系の神様ではなく、地祇系の神様だったのではないか。天神系の神様が弥生系の神様なら、地祇系の神様は縄文系の神様ではなかったか。時代とともに縄文系の神様は駆逐されているのであるが、それでも大国主命とか大宜都比売神、大物主神(おおものぬし)、大山咋神(おおやまくい)、大日孁貴神(おおひるめ)=天照大御神など細々と残っている。
大宜都比売神と言えば現在では阿波国(徳島県)専一の神となっているようだが、縄文時代や弥生時代初期には全国的に崇められた食物の神ではなかったか。ご多分に漏れず、大宜都比売神も全国的には天神系神に駆逐されたのであるが、阿波国に残ったのは唐突で恐縮だが阿波国に対する大伴氏の進出があったのではないか。大伴氏は元々大阪湾岸を勢力下においた豪族とは思うが、徐々に吉備国に浸食され(『古事記』では孝霊天皇の時代に針間の氷河<今の加古川のことか>が吉備国と大和国連合の境だったらしい)、大伴氏はその対抗策として四国から吉備への進出を図ったのではないか。大伴氏の進出策の第一としては進出先の宗教、氏族、習俗などを聞いて進出先との同化政策をとり、兵器による殺戮は最後の方法だったと思われる。特に、どういう神を主神としているかは重要なことだったようで大宜都比売神の名もそういうことが元で残ったのではないか。単なる粟国に対する後付けの理論ではないと思う。
四国には瀬戸内海沿岸を主に大伴氏に近い佐伯氏(讃岐国、空海は讃岐の佐伯氏出身)とか久米氏(伊予国、伊予来目部小楯の出身地)がいる。大伴氏が対吉備氏対策のため配置したものであろう。但し、佐伯氏に関しては景行天皇の皇子の子孫とか景行天皇時代の東国の捕虜とする見解が一般的。

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