アイヌ人はアフリカ族か

★はじめに

「アイヌ人はアフリカ族か」と言っても、現在の通説では現生人類の発祥の地はアフリカの大地溝帯と言われ「そんなことは火を見るより明らかである」と言われればそれまでなのであるが、先日、Wikipediaを見ていたら、「古モンゴロイド」の項に、
「古モンゴロイドは、低めの身長、彫の深い顔、二重瞼、体毛が多いこと、湿った耳垢、波状の頭髪などの形質を持つと考えられている。
古モンゴロイドに属すアイヌは、彫が深い、毛深いなど和人とは異質の特徴から、かつてはコーカソイドと考えられたこともあったが、これはコーカソイド特有の形質ではなく、新モンゴロイド以外の多くの人種に共通する形質である。」
と、ばっさりと新モンゴロイドは異質な人種と言ってのけている。また、「すなわち多くの人種と古モンゴロイドの共通点は共有原始形質である。」とも言っている。
これに対し、
国立大学法人 総合研究大学院大学生命科学研究科遺伝学専攻の先生たちは、
「2012.11.01【プレスリリース】日本列島3人類集団の遺伝的近縁性」と言う発表のなかで、
「これらの人々の起源と成立については、以前からいろいろな説があったが、ベルツのアイヌ・沖縄同系説に端を発し、鳥居龍蔵や金関丈夫らが提唱した混血説の流れをくむ二重構造モデルが現在の定説である。これによれば、日本列島に最初に移住し縄文人を形成したのは,東南アジアに住んでいた古いタイプのアジア人集団の子孫である。その後,縄文時代から弥生時代に変遷するころに,北東アジアに居住していた人々の一派が日本列島に渡来してきた。彼らは極端な寒冷地に住んでいたために,寒冷適応を経て,顔などの形態が縄文人とは異なっている。この新しいタイプの人々(弥生時代以降の渡来人)は,北部九州に始まって,本州の日本海沿岸,近畿地方に移住を重ね,先住民である縄文人の子孫と混血をくりかえした。ところが,北海道にいた縄文人の子孫集団は,この渡来人との混血をほとんど経ず,やがてアイヌ人集団につながっていった。沖縄を中心とする南西諸島の集団も,本土から多くの移住があったために,北海道ほど明瞭ではないが,それでも日本列島本土に比べると縄文人の特徴をより強く残した。」と述べておられる。
世界の遺伝的多様性の大きい地域は元祖アフリカと南アジアという。この場合は南アジアは中華人民共和国雲南省以南のアジアの国々、オーストラリアを指すようで、当然のことかどうかは解らないが、総合研究大学院大学生命科学研究科遺伝学の先生たちはモンゴロイドの発祥の地は南アジアと解しておられるようである。南方から北方へ追いやられた人種が新モンゴロイドらしい。アイヌ人も古モンゴロイドと言われながらも南から北へ追われた人種という意見をインターネットなどで時折見かける。但し、正規の学説かどうかは不明。

★出アフリカ人のユーラシア大陸移動経路

出アフリカを成し遂げた人はどのような経路でユーラシア大陸を渡ったかについては、南回り説と北回り説がある。

南回り説は多数の支持を得ているもののようで、スペンサー・ウェルズ博士の見解によれば、
「彼らはアフリカの海岸線をたどり、アラビア半島南部、インド、スリランカ、東南アジアを通り抜けたのだ。集団の中には、最終的にトレス海峡を渡って遙かオーストラリアに移住した者もいた。こうした初期の移動集団は沿岸資源の利用に長けていたため、海岸の旅をしながら新しい技術を身につける必要もなく、オーストラリアの移動はわずか5000年以内に成し遂げられた。」
「旅する遺伝子ージェノグラフィック・プロジェトで人類の足跡をたどる スペンサー・ウェルズ著 上原直子訳」(付録1 P211 ハプログループC 祖先系統アダム→M168→M130)
同著では上記アフリカ沿岸から東南アジア(男性はフィリピンとオーストラリア、女性はカリマンタン島とオーストラリア)までの地図と経路が描かれている。(P139、図3)

また、同著では北回りについて、「初期の移住者は中東を出て、中央アジアを目指したが、西に向かいヨーロッパに進出する者や、東アジアの各地域に住み続ける者もいた。」
男性の移動経路としては大地溝帯→アラビア半島北上→コーカサス(カフカス)地方あるいは中東→中央アジア→東南アジア、東アジア、ヨーロッパ
女性の移動経路としては中央アジア→東西に分岐。但し、女性の移動経路は多岐にわたり主なるものである。
(同著、P116、図6)

ほかに、「5万年前ーこのとき人類の壮大な旅が始まった」(ニコラス・ウェイド著、安田喜憲監修、沼尻由紀子訳)によれば、出アフリカは一回限りで、人数は150人、そのルートは、
アフリカ→アラビア半島→紅海→インド→ミャンマー→タイ→マレー半島→インドネシア→ニューギニア→サフル→オーストラリア及び中国大陸と朝鮮半島。すべて海岸沿いを移動した。

以上を要約すれば、北回りルート説は中央アジアあたりで人類は袂を分かち東西南北へ分岐したようであり、南回りルート説はアラビア半島からユーラシア大陸の沿岸を東に進み、南アジア(インド、東南アジア、オーストラリア)で各地へ拡散したようである。海を航海して移動したという説はいずれの説にもないようで、わずかに南回り説で最終氷期に紅海を渡ったというものである。せいぜい紅海を徒渉したと言うことか。
出アフリカを果たした人々はユーラシア大陸のある地点までは同一行動を取ったようであるが、そこからあちこちへ散らばったようである。出アフリカは一回で、150人程度という説にあっては、ある地点で四方に分散したとして各方面の人数は40名ほどであり、北回りなら南国アフリカ出身の人々にとっては寒冷にまつわる病気に悩まされ、南回りならアフリカからまとわりついてきた風土病に相も変わらず悩まされていたのではないか。移動速度は100km歩いては一休み(数千年単位)、また、100km歩いては一休みのとろとろ組と、一気に大陸の終わりまで突き進んだ足早組に分かれたのではないか。我が日本人のご先祖様は一気呵成に日本列島までやって来たのではないか。いろいろな見解もあるが、日本には三万年前ほどの旧石器時代遺跡が割と多いようで、その頃が国家形成の草創期となるのであろうか。アイヌ人を含めて現在の日本人につながる人々はその頃日本列島にやって来たと思われる。

★結 論

アイヌ人はその身体的特徴から南方系の人と考える向きが多いようである。(例、耳垢は湿型が非常に多い(87%)、歯の咬合型式は鉗子状が多い、頭毛が波状を呈し、断面形が扁平など)
参考文として、
「異論もあるが、いちおうオーストロネシア語族の源郷は東南アジアと考えられている。今日ここでこの言語を話す人々は古モンゴロイドで、モンゴロイド大人種に属するが、東アジアで発達した内眼角(ないがんかく)ひだの特徴は弱く、皮膚の色も他のモンゴロイドよりやや濃く、髪も直毛とは限らず波状毛もある。」(日本大百科全書(ニッポニカ)、オーストロネシア系諸族)
しかし、これらの特徴は上記Wikipediaの見解にもあるように、古モンゴロイドに属すアイヌの特徴は、「新モンゴロイド以外の多くの人種に共通する形質である。」と言い、人類の発祥地がアフリカという熱帯地方である以上、根底には南方的要素が強弱の差こそあれ残っているのではないか。従って、アイヌ人の特徴がオーストロネシア系諸族に似ていると言っても、即南方系の人、ましてや東南アジア経由の人とはなり得ないのではないか。オーストロネシア系諸族の人々が古モンゴロイドと言っても、アイヌ人の古モンゴロイドに即結びつくかは疑問である。モンゴロイドの発祥地が東南アジアなのか、はたまた、中高緯度地なのかは議論のあるところではあるが、モンゴロイド人種が寒冷地仕様に特化した人とするならば、北から南へ移動したと考えるべきではないか。
以上より考察するなら、アイヌ人はアフリカより中央アジア経由の北回りでアフリカ大陸から直接日本列島にやって来たのであり、Y-DNA Dの日本人との多少の違いは住む地域性の違い(日本人は温帯に住んでいたが、アイヌ人は亜寒帯に住んでいた)や、混血の度合い(問題となるのはmtDNA M7aでアイヌ人や沖縄県人に多いという。悩ましいのは、ハプログループM7から分岐したハプログループM7bやハプログループM7cがベトナムなどの東南アジアや、中国大陸南部で多く検出される、と言い、ここでも東南アジアが出てくる)などであろう。アイヌ人にM7aが多いというのは、いわゆる、男性不妊症を女性が原因と勘違いしたアイヌ人男性が本州の女性を集めてきたからではないか。沖縄に多いのはM7aの発祥地は沖縄県、あるいは、台湾という説もある。

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