おじいさんとおばあさんにはどうして子供がいなかった

★はじめに

児童文学者の楠山正雄さんの「日本の神話と十大昔話」(講談社学術文庫)を見ていたら、昔話に出てくるおじいさん、おばあさんにはほとんど子供がいないことになっている。関敬吾という民俗学者で元東洋大学教授の編纂した「日本の昔ばなし(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ)」(岩波文庫)は地域、地域の語り部の話すことを採録したもので少しばかり趣が違うが基本的におじいさん、おばあさんには実子がいないことになっている。以下、楠山正雄さんの「日本の神話と十大昔話」から抜粋、要約してみると、

1.「桃太郎」(発生年代は正確には分かっていないが室町時代とされ、江戸時代以降に広まったとされる)
(1)おじいさんとおばあさんには子供はなく、おじいさんは山へしば刈りに、おばあさんは川に洗濯に行くことを常としていた。
(2)ある日、おばあさんが川のそばで洗濯をしていたら、川上から、大きな桃が一つ流れ着いてきた。
(3)おじいさんは桃を両手にのせて眺めていたら、桃は中からポンと割れて、勇ましい産声を上げながら赤さんが元気よく飛び出した。
(4)おじいさん、おばあさんは、平生、どうかして子供が一人ほしい、ほしいと言っていた。
(5)以下略

2.「花咲じじい」(発生年代は日本で室町時代末期から江戸時代初期にかけて成立した勧善懲悪の話。朝鮮半島や中国にも似た話がある)
(1)おじいさんとおばあさんには子供がなく、飼い犬の白(しろ)を本当の子供のようにかわいがっていた。
(2)お隣にもおじいさんとおばあさんがいましたが、欲張りで、白を憎らしがっていつも意地の悪いことばかりをしていた。
(3)以下略

3.「かちかち山」(発生年代は室町時代末期には現在の形で成立していた)
(1)おじいさんとおばあさんがありました。子供のことは出てこない。

4.「舌切りすずめ」(発生年代は原型が宇治拾遺物語(鎌倉時代初期建保年間<1213~1219>の成立か)に「腰折れ雀」の話がある。明治時代に国定教科書に採用され一般化)
(1)おじいさんとおばあさんには子供がなく、おじいさんはすずめの子を一羽かごに入れて飼っていた。
(2)おばあさんが井戸端で洗濯をしていて台所にのりを取りに行ったところ、井戸端の皿ののりはすずめが全部なめてしまった。
(3)以下略

5.「猿かに合戦」(発生年代は江戸時代か)
(1)人間は出てこないが、猿にだまされて殺された親がにに子がにがいて、子がにが仲間とともに親がにの敵を討った。

6.「くらげのお使い」(発生年代は江戸時代か。類話はユーラシア大陸に広く分布している。原型は仏教とともに伝来か)
(1)海の底に竜王とお后がりっぱな御殿をこしらえて住んでいた。人間ではないだろうが、子供のことは出てこない。

7.「ねずみの嫁入り」(発生年代は鎌倉時代か。鎌倉時代の仏教説話集『沙石集(しゃせきしゅう)』にみえる。原型は古代インドか)
(1)ある家の倉の中に豊かに暮らしている金持ちのねずみがいた。
(2)子供がないので神様にお願いすると、やっと女の子が生まれた。
(3)以下略

8.「猫の草紙」(発生年代は江戸時代初期か。日本での創作おとぎ話と言う)
(1)人間のことは出てこないが、
「ねずみ仲間は、親ねずみ、子ねずみ、じじいねずみにばばあねずみ、おじさんねずみにおばさんねずみ、お婿さんねずみにお嫁さんねずみ、孫、ひこ、やしゃ子ねずみ」とある。

9.「文福茶がま」(発生年代は江戸時代か。茂林寺にある茶釜は、1394年から1428年の間に住職であった守鶴が愛用した茶釜と言う)
(1)人間は脇役である。

10.「金太郎」(発生年代は江戸時代。但し、金太郎は平安時代の人)
(1)金太郎という強い子供がありました。相模国足柄山の山奥に生まれて、おかあさんの山うばといっしょにくらしていた。

以上は楠山正雄さんの「日本の十大昔話」と言うべきもので、楠山さんのリライトであるから、真偽のほどは定かでないとしても、古い日本人のイメージではおじいさん、おばあさんの組み合わせでは子供がいないと言うことが定着していたのか。人間ばかりでなく「ねずみの嫁入り」ではねずみまでが子供がいないと言っている。有名な”ねずみ算”という言葉はどこかへ吹っ飛んでいったような感じだ。

★昔話におじいさん、おばあさんが出てくるのは日本だけか

昔話の分類方法にはいろいろあるらしく、
世界的には、
1.アールネ=トンプソンの「昔話の型」が著名のようで、「アンティ・アールネにより編纂され、スティス・トンプソンにより増補・改訂されたことから二人の名を取ってこう呼ばれている。昔話の研究においては分類体系の標準として世界的に用いられている。類型ごとにAT番号と呼ばれる番号が振り当てられ、索引(インデックス)または目録(カタログ)として参照される」という。

日本では、
2.『日本昔話通観』全31巻 稲田浩二,小沢俊夫責任編集 同朋舎出版 1977-98 【KH22-341】
*第28巻が「昔話タイプ・インデックス」になっています。
県別に編集し、約6万話を「むかし語り」、「動物昔話」、「笑い話」、「形式話」の4分類に分け、1,211話型を収録しています。(国立国会図書館 リサーチ・ナビから抜粋)
「IT」の記号に続けてタイプ番号とタイプ名を表記している。
3.『日本昔話集成』 全6巻 関敬吾著 角川書店 1950-58 【388.1-Se126n】
*外国の昔話研究の進展を考慮し、師の柳田国男とは別の話型の確定をしました。MT番号を記載しています。話数は約8,700、話型は約650です。(国立国会図書館)
『日本昔話集成』の増補版として、
話型分類:『日本昔話大成 11 資料編』「1 昔話の型」(関敬吾著 1978 角川書店)に依拠し、「TA」の記号に続けて表記しています。(例:TA. 鮎は剃刀)(国立民族学博物館)

しかし、各分類はまちまちで解りづらいので、「昔話入門」(小澤俊夫編著、ぎょうせい)という本に「AT分類」(同書 第五章 昔話の類型ーアールネ=トンプソン共著「昔話の型」の示す話型とその意味 小澤俊夫執筆)の解説があるのでそれによると、「アールネ=トンプソンの「昔話の型」に収められている資料はヨーロッパのものが圧倒的に多い。日本の昔話はアールネ=トンプソンの「昔話の型」にはまだ反映されておらず・・・」とある。従って、日本昔話にあるおじいさん、おばあさんが出てくる昔話は皆無と言っていいほどで、ましてや、爺婆に子供がいないなどという話はまったくない。一般論としても、小澤先生が抜粋したヨーロッパの昔話に日本の昔話が符合する例は少ないようである。また、日本の神話や昔話は東アジアや東南アジアに類似の話があると聞くが、これまた、おじいさんやおばあさんが単独で出てくるが、夫婦のおじいさんやおばあさんというのはほとんどいないようである。

★「昔々、おじいさんとおばあさんがありました」はどう言う意味で言っているのか

(1)意味はない。英語の Once upon a time,there lived an old man an old dame(斎藤秀三郎訳)と同じで昔話の切り出し口上である。
(2)語り手が自分と同年代(老人)の登場人物を設定したほうが感情移入なども容易で、語りやすい。
(3)主人公を際立たせるためには兄弟多数というよりは、子供のいない夫婦に突然訪れた特殊能力を持った子供というほうが印象が強くなる。
(4)昔話に出てくる「おじいさん」と「おばあさん」は、生殖活動をやめた人々、という意味であって、老人という意味ではない。
(5)後世、昔話を編纂する際、成人と看做される前の少年少女や、これから結婚するような若者でさえなければ、判りやすく「老人」であることに整えられた。
(6)「おじいさんおばあさん」なら、白髪でシワがあってとか連想が働くが、「おにいさんおねえさん」だとイメージが特定しづらい。

(1)や(2)は論理性もあるが、(3)以下はいかがなものか。日本でも「昔々、おじいさんとおばあさんがありました」は物語の冒頭に出てくることが多く、その意味では(1)が最も適切ではないか。即ち、「昔々、おじいさんとおばあさんがありました」は「これから昔話が始まるぞー」、と言う合図であり、物語の構成上意味を成さないものではないのか。おそらく英語でも Once upon a time,there lived a so-and-soと言う定型句があり、 a so-and-soのところに、いろいろな人間や動物がはめ込まれたのではないか。

★結論

日本の「昔話」はほとんどが室町時代以降のものであり、当然文字による物語と言うことになるのであるが、それ以前は「今昔物語集」(こんじゃくものがたりしゅう)<平安時代末期に成立したと見られる説話集>や「宇治拾遺物語」(うじしゅういものがたり)<1213年(建保元年)から1221年(承久3年)頃(鎌倉時代)にかけて成立したらしい説話集>などがある。はじめから文字で表されている「今昔物語集」や「宇治拾遺物語」は著者も有識層の人であり高尚な文学であろうが、「昔話」の方は商業主義と言おうか庶民相手の儲け主義に徹した誰にでも解る低俗的な物語ではなかっただろうか。無論、昔話を子供が生きていくための知恵や生活の掟の伝承ととらえる見解もある。昔話がそうした倫理性や社会規範性を教えるバイブルではあろうが、昔話の起源に文字に表される前に口承文芸の期間が長かったものもあったのではないかと言われているものも多い。諸説あるも口承文芸の方を丹念に拾っていくとあまり子供に聞かせられないような部分があったようである。当然のことながら子供の教訓話にふさわしくないものはカットされあるいは別の話に差し替えられるなどして改変されて現在に伝わっているのであるが、語り部の話を直接採録した昔話(上記、関敬吾編「日本の昔ばなし(Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ)」(岩波文庫)」など)にはあまり感心しないものもあるがそれでもリライトされたもののようである。
ところで、論題の「おじいさんとおばあさんにはどうして子供がいなかった」についてであるが、当時(物語を口承で伝えていた時代)にあっては今のように子供たちは独立して家から出て行き、残ったのはおじいさん・おばあさんだけと言う時代ではなかったと思う。奈良時代には墾田永年私財法と言う聖武天皇の勅もあるが、多くの庶民は結婚しても親と同居(現今の三世代同居)とか、親の敷地に分家を建ててわずかばかりの親の土地を雀の涙ほど分けてもらい細々と生活をしていたと思う。そういう時代にあって、子供のいないおじいさん、おばあさんというのはあまり考えられない状況なのだが、実際には昔話の冒頭に切り出し口上として語り始められる。一般論として考えるなら、子供のいないおじいさん、おばあさんが皆無の社会にあってはそんな切り出し口上を述べられても聞く方の子供は何のことか理解できないのではないか。しかるに、そういう話が広まっていると言うことは、当時にあっては子供のいないおじいさん、おばあさんは珍しくなかったのではないか。社会保障制度が充実していない時代にあってはそういうおじいさん、おばあさんは自分たちが死ぬまで働かねばならず、「おじいさんは山に柴刈りに、おばあさんは川に洗濯に」という労働の話が出てくるのではないか。
日本には、以前、無精子症/乏精子症のような精子数に問題を抱える縄文系男性(ハプログループD1b)が40%ほどおり、それが子供のいないおじいさん、おばあさんの原因とも考えられたが、子供のいない夫婦は現在では世界的であまり問題にもされないようだ。しかし、縄文時代、弥生時代にあっては弥生人が浸透するまで、また、それ以後の時代にあっても子供のいないおじいさん、おばあさんは珍しくない普通の人々で昔話を聞く子供たちにも違和感を与えなかったようだ。

(追記)

日本の昔話で「かぐや姫(竹)、一寸法師(小人)、桃太郎(桃)、瓜子姫(瓜)」などで異常出生譚の話が出てくるが、これを特殊能力者などと解する向きもあるがざっくばらんに言うと現在の貰いっ子とか養子縁組の話で、ヨーロッパでも古くは爵位の継承は嫡出子に限ったようで正夫人に子供がいないと貴族は狩りに出かけ鷲の巣で子供が泣いていたので連れ帰ったとか、極端な話では街へ買い物へ行ったらゴミ箱で子供が泣いていたので拾ってきた(いずれも正夫人以外の女性との子供という)、などという話がある。日本の代表的な昔話である「桃太郎」にしても、桃から生まれたというのは産着あるいはベビー服を着せてもらってきたと言うことであり、犬、猿、雉を従えて鬼退治に行ったというのも、領主から隣国とのいざこざ紛争の出動命令が出て年寄りのおじいさんに代わって家来を連れて桃太郎が出動し、軍功が素晴らしかったのでご褒美をたくさんもらったと言うことなのだろう。おじいさん、おばあさんが超能力を感じたというなら老いぼれじじいのおじいさんと若武者の桃太郎との若さから来る体力の違いであろう。昔話自体が尾ひれをつけて話をしているが、それに輪をかけてあれやこれや論ずるのはいかがなものか。

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