魏志倭人伝に出てくる香辛料のこと

★はじめに

いわゆる「魏志倭人伝」に”有薑橘椒襄荷不知以爲滋味”( 薑(キョウ)橘(キツ)椒(ショウ)蘘荷(ジョウカ)有り、以って滋味に為すを知らず。)とあるが、これは本当かという気がしてならない。日本では、「この記載内容は中国史官の誤認と考えられています」と決めつけている人も多い。一応、これらの食べ物が現在の何を意味しているかは難しいのであるが、漢字で表記されていたり中国で食せられていたようなので、当時にあっては中国にも日本にもあった食材なのかと思う。何でも食べる中国とだんだん自分たちの嗜好に合うものしか食べなくなった日本とでは少々様相も違うと思うが、薑(キョウ)橘(キツ)椒(ショウ)蘘荷(ジョウカ)などというのは原産地が東アジアや日本、中国なのであろうから、日本が原産地なら”食べられる物は何でも食べた縄文人”(小山修三国立民族学博物館名誉教授)なのだからその系譜を引いている人が途中でこれらの香辛料を食べることを放棄したとは考えられず、中国など外地から持ち込まれたものなら持ち込んだ人が食べようとして持参したのであろうからそれを食べないと言うことはおかしな話だ。日本の食べ物との味覚等があわなかったと言えばそれまでだが、それは屁理屈というものだろう。そこで、これらの食べ物が現在の何だったのかを検討してみる。

★薑(キョウ)橘(キツ)椒(ショウ)蘘荷(ジョウカ)とは何なのか

【1】薑(キョウ)

はじかみ【×薑/×椒】
1 (薑)ショウガの別名。《季 秋》
2 (椒)サンショウの古名。

読み方:ハジカミ(hajikami)

コブシの別称。
モクレン科の落葉高木、園芸植物、薬用植物

おおむね、ショウガ、サンショウ、コブシを意味するようであるが、サンショウは後掲<椒(ショウ)>されており、コブシは”日本では「辛夷」という漢字を当てて「コブシ」と読むが、中国ではこの言葉は木蓮を指す”と言い、薑(キョウ)の字とは関係がないようである。従って、ここでは薑(キョウ)とは「ショウガ(生姜)」と解する。

生姜は熱帯アジアが原産(インドからマレー半島にかけてのアジア南部と考えられている)という説が有力だが、野生のショウガが発見されたことがないためショウガの原産地は厳密には不確定である。
インドでは紀元前300-500年前にはすでに保存食や医薬品として使われていた。
中国でも論語の郷党編の中で孔子の食生活にはじかみの記述があり、紀元前650年には食用として利用されていた。
日本には2-3世紀ごろに中国より伝わり奈良時代には栽培が始まっていた。
「古事記」には以下の記載がある。
美都美都斯 久米能古良賀 加岐母登爾 宇惠志波士加美 久知比比久 和禮波和須禮士 宇知弖斯夜麻牟
厳々し 久米の子らが 垣本に 植えし山椒 口疼く 我は忘れじ 撃ちてし止まむ
(「古事記」中巻、神武天皇、歌謡)
この「波士加美」はここの場合を山椒と解する古文学者が多いようであるが、一般的にはハジカミとは生姜と解しているようである。

【2】橘(キツ)

橘(たちばな)

「ミカン科の常緑小高木。日本原産唯一の柑橘類とされ,四国・九州・沖縄などに自生。初夏に芳香のある白色の五弁花を開く。果実は小さく,黄熟しても酸味が強く食用には向かない」と言うが、ここの橘は食べ物の話であり、”食用には向かない”はいただけない。

中国では、
〔説文解字・巻六(段注本)〕に「橘果なり。江南に出づ」とある。
〔書経・禹貢〕の註に「小なるを橘と曰ひ、大なるを柚と曰ふ」とある。(橘柚<きつゆう>という単語もある。但し、大を橘、小を柚と言う反対の説もあるようだ)
吉樹とされ〔楚辞・九章〕に〔橘頌〕という橘を称える詩がある。
また、字源として橘の実は外が赤く内が青で、矞雲という雲に似ているため、この字ができたという。

柚(ユズ)は、中華人民共和国中央および西域、揚子江上流の原産であると言われる。日本の歴史書に飛鳥時代・奈良時代に栽培していたという記載があるのみである。

〔説文解字・巻六(段注本)〕に「橘果なり。江南に出づ」から判断して現在の温州ミカンや本ユズとも思えるが、雰囲気的にはミカンの野生種か。

【3】椒(ショウ)

しょう【椒】

[音]ショウ(セウ)(呉)(漢) [訓]はじかみ

1 木の名。サンショウ。「胡椒・山椒」
2 皇后の御殿。「椒房」

サンショウ(山椒)はミカン科サンショウ属の落葉低木。別名はハジカミ。日本の北海道から屋久島までと、朝鮮半島の南部に分布する。 中国も産地の一つであるとする説もある。
別名であるハジカミ(椒)はショウガなどの他の香辛料の別名でもあり、その区別のため古名では「ふさはじかみ」(房椒)、「なるはじかみ」(なりはじかみ、成椒)と呼ばれた。
古くから香辛料として使われており、薬用にも使われる。縄文時代の遺跡から出土した土器からサンショウの果実が発見された例もある。
現在の山椒のことなのであろう。

【4】蘘荷(ジョウカ)

蘘荷(ジョウカ) [訓]みょうが

1 ミョウガ(茗荷)

ミョウガは東アジア(温帯)が原産。日本の山野に自生しているものもあるが、人間が生活していたと考えられる場所以外では見られないことや、野生種がなく、5倍体(基本数x=11、2n=5x=55)であることなどから、大陸から持ち込まれて栽培されてきたと考えられる。但し、東南アジア原産説もある。現在、野菜として栽培しているのは日本だけで、食用しているのは日本と韓国・台湾一部だけと言う。
春に幼茎が伸びた若芽を「ミョウガタケ」、夏になると地下茎からさや状の鱗片を付けた花茎を出して、地上へ伸長すると、紫脈のある紅緑色の苞葉の間から花穂が出て、淡黄色の花(一日花)が咲く。1つの花穂(蕾)から数輪の花が咲く。この花が咲く前の蕾の状態で採取して「花ミョウガ」とか「ミョウガの子」と言って食用とする。花穂を襄荷(じょうか)と言う。
現在の茗荷のことなのであろう。

★まとめ

「魏志倭人伝」は眉唾な話が多いと言い、踏んだり蹴ったりなのだが、上記の原産地を見ても、
1.薑(キョウ)<ショウガ>は熱帯アジアが原産(インドからマレー半島にかけてのアジア南部)
2.橘(キツ)は、橘を柚とするなら中華人民共和国中央および西域、揚子江上流の原産と言い、「橘果なり。江南に出づ」とすれば中国の江南地方なのであろう。日本の橘は中国人は解らないだろうからオミットする。
3.椒(ショウ)は日本が原産か。 中国も産地の一つであるとする説もある。
4.蘘荷(ジョウカ)は東アジア(温帯)が原産とするも、東南アジアが原産地とする説もある。
上記四種類の香辛料は当時中国にも日本にもあったと考えられるが(但し、「魏志倭人伝」眉唾説ではこの限りにあらず)、例えば、椒(ショウ)は日本原産の可能性が高いと言っても過去に於いて日本人が交易品として大陸に持ち出したと考えるのはいかがなものか。もちろん、これらの品は食物としてのほか現今の医薬品とも考えられるので薬に弱い中国人ゆえ当初は薬として使用していたが効験が今ひとつだったので香辛料として転用したか。
一般論で言えば、上記四品目は、おそらく、すべて大陸原産で日本へは外国品として持ち込まれたものではないか。ほとんどが弥生時代に入って中国人・朝鮮半島人(弥生人)によって持ち込まれたものと思われる。当時の植物分布と現在の植物分布が異なると思われるので「薑・橘・椒・襄荷」が現在の何を指しているのかは不明であるが、薑・橘・椒・襄荷を食していたのは外来系の人(弥生人)が主で、当時の多数派と目される縄文人は舶来品をただ傍観していただけか。それに食習慣も違って、大陸系の人は現在の香辛料のようにパッパッと降って味付けをしたのに対し、倭人はある程度の主食代わりとして食べたので体に変調を来し食べるのもやめてしまったか。大陸人と日本人の食味の違いとか日本人が大陸物に手を出さなかったのにはいろいろな原因があろうかと思われる。ただ、「魏志倭人伝」が言うように無知で食べなかったと言うことはなかったのではないか。当時の日本人のみんながみんな薑・橘・椒・襄荷を食していたとは思われない。開明的な少数の人が滋養強壮のため食べていたと思われる。

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