スンダランド人とは何者か

★はじめに

歴史の書物で「日本人の起源」とか「人類の発祥」とか言う類いの書籍を読んでいると必ずと言っていいほど「スンダランド」と言う言葉が出てくる。調べようと思って百科事典などを見てみてもほとんどの百科事典には出ていない。外国でもほぼ同じで英語版「ブリタニカ」に「Sunda Shelf(スンダ大陸棚)」と出ているくらいで、それも日本語版「ブリタニカ」ではカットされている。確証のないものは取り上げないのかなと思いつつインターネットを見てみるとこちらは実物書籍とは違い「Wikipedia」とか「Weblio 辞書」とか「ナショナルジオグラフィック日本版」などででかでかと取り上げている。
スンダランドの範囲についてもフィリピンなどを含める人もいるが一般には、南シナ海南部、即ち、東南アジア本土、マレー半島、スマトラ島、ジャワ島、カリマンタン島(ボルネオ島)に囲まれた地域をいい、現在この地域は水面下となっているが水深100m以下と浅く、氷期には海面が100mほど下がるのでこれらの海底は氷期の間は平野になっていたという。生物の分布境界線のウォレス線(インドネシアのバリ島、ロンボク島間のロンボク海峡からスラウェシ島の西側、マカッサル海峡を通りフィリピンのミンダナオ島の南に至る)が東の境界という説もある。我々日本人から見ると周りを火山や高山に囲まれた盆地で平野部はスンダ平野とでも呼ぶべきところなのだろう。日本の氷期にもにており、北海道は樺太と陸続きになりユーラシア大陸の一部になった。また、本州との境界は津軽海峡で生物の分布境界線ブラキストン線があった。
現在、スンダランドを否定する見解は見当たらない。スンダランドが今回の氷期には出現したが、前回の氷期では出現しなかった、などと言うことは少々まずいので毎氷期に出現するためには安定した大陸棚が存在していなければならない。それには土壌(タイの中央を流れるチャオプラヤー川が沃土を運んだという)と運ばれてきた土壌を平らにならす潮流が必要かと思われる。そうしてできたのがスンダ大陸棚で北部は南シナ海盆と境を接する海峡で東部はスンダ陥没やフロレス・トラフを境とする。
歴史の上でスンダランドが出てくるのは、
1.110万年前から30万年前の氷期(ギュンツ氷期)で原人の時代である。「古人類の謎学」(馬場悠男・監修、島田栄昭・著。青春BEST文庫)によれば「・・・その結果、ここ(<注>スンダランド)には多くの原人たちが集まり、110万年前から30万年前までに渡って繁栄を続けることになる。ちょうどアフリカのグレート・リフト・ヴァレーが猿人を育てたように、ここもまた、多くの原人を生み、育てたのである。アフリカを人類の故郷とすれば、スンダランドは”第二の故郷”であるといえるだろう。実際、南部のジャワの各地では、現在も毎年数点の原人化石が出土している。それが、いわゆる「ジャワ原人」の化石である・・・」と。ジャワ島ばかりに原人化石が出土しているようだが、偏在の理由は何なのだろうか。ともかく、我々現代人は原人の直接の子孫ではないと思われるので各種検討は割愛する。
2.次の氷期は、紀元前70000年頃から紀元前14000年頃にかけてのヴュルム(ウルム)氷期であった。スンダランドはまた陸地化したのであるが、モンゴロイドの南方起源説によると広大なスンダランドはモンゴロイドの故郷で、新人の出アフリカ後の東アジアへの人類到達はヒマラヤ山脈の南方を経由してスンダランドに到達したというもののようである。無論、ヒマラヤ山脈の北方を経由したという説もある。あるいは、折衷説もあろうかと思うが、間氷期になってスンダランドがなくなりあちこちに散らばった。現在のモンゴルやシベリアなどの北方へ行った者、さらにアメリカ大陸に、海洋民族として太平洋の島嶼、あるいは、オーストラリアへ散らばった。しかし、モンゴロイドの半数を超える中国人はスンダランドから来たのであろうか。

★現在のスンダランド

以下は「新版 東南アジアを知る事典」(平凡社刊)P232 古川久雄京都大学名誉教授執筆「スンダランド」より

1.大陸棚の上にはラテライト性土壌の発達が広く認められ、これはそのときに生成した風化生成物である。
2.泥炭も存在することから、熱帯多雨林も広がっていたと推定される。
3.平野をえぐって流れていたと思われる川筋も追跡でき、スンダ陸棚ではボルネオとスマトラの間を流れる北スンダ川、ボルネオとジャワの間の東スンダ川が知られている。
4.今はスンダ海で互いに隔てられたこれらの地に同一種類の川魚が住んでいるが、かってのスンダ川沿いに互いに行きかった仲間の残りだと考えられている。
1.のラテライト性土壌とは平たく言うと「赤土」のことで、主として鉄およびアルミニウムに富む土壌のことである。雨期と乾期の交互するモンスーン、サバンナ地方によく発達する。一般的に熱帯地方に多くアフリカや東南アジア、我が国では沖縄県などに見られる。その定義を見てみると、「ラテライト (英語: laterite) – 熱帯各地。貧栄養の酸性土」とあり、貧栄養の酸性土で食物となる植物は育つのか、あるいは飲み水は大丈夫なのか、と言う思いだが、現在のアフリカを見ても人類発祥以来たくさん人が住んでいるのであるいは人の生存には問題がないのかもしれない。
2.の泥炭については「泥炭地:土壌が低温・過湿などのために、植物などの枯死体の分解が阻害され、それらが腐植化して泥炭が生成しつつある湿地を言う。低湿な沼沢、河岸、三角州などに発達し我が国では北海道、東北に広く分布する。また、冷温帯のみならず熱帯にも見られる」とある。スンダランド(スンダ大陸棚)は水深100m以下であり、ヴュルム(ウルム)氷期の時に海面が100メートル程度低くなったとある。どう見ても、スンダランドは人の定住には適さない湿地帯ではなかったのか。
3.4.はスンダランドにはボルネオ島とスマトラ島並びにジャワ島を結ぶ河川があったようである。これら三島には同一種類の川魚が現在もいると言うことで、三島並びにスンダランドは一つの陸地で、スンダランド沈降後各地に生き残った当時の仲間と言うもののようである。
現在までの所見では石器や土器、遺骨等はスンダランドでは発見されていないようである。
狩猟採集の民と言っても狩猟採集の対象物がなくてはならない。そこで東南アジアではどんなものが食べられていたのであろうか。

★東南アジアの食べ物

東南アジアの新石器時代(磨製石器の使用、耕作の開始)の始まりは比較的新しく内陸部で約6000年前、島嶼部で約4000年前とのことである。そのときの遺物として残った食べ物は、

内陸部 東北タイのバーンチェン遺跡 初期の4000年前(淡水産の貝・魚など、ネズミなどの小動物、シカ・イノシシ・スイギュウ・ウシなどの大型動物)、後半期の鉄器時代(陸上大型獣)この変化は狩猟採集から焼畑・水田耕作へ生業の主体が変化したか。そのころ稲作や豚などの家畜が行われいたか。ただ東南アジアの遺跡では正確なところが今ひとつ不明で、日本の奈良大学の測定では紀元前3000~2000年頃の遺跡という。

海岸部 インドネシア・ティモール島北東部石灰岩洞穴群(貝種は汽水産・海水産の貝。アワ、ヒョウタン、ココナッツなど)。

東南アジアと言えば、米、バナナ、タロイモ、ヤムイモなどが有名であるが、これらを総括した文章として、

*紀元前7000年(9000年前)ニューギニア高地でバナナ、タロイモ、ヤムイモの栽培が始まる。
*紀元前6000年(8000年前)中国、長江流域の村々で稲作と豚や鶏の飼育が始まる。
キャッサバ(芋。悪環境下<乾燥地、酸性土壌、貧栄養土壌>でも生育可能)もニューギニア高地で早くから栽培されていたらしいが、原産地はブラジルという。

いずれの食物を見てもその栽培種が発生した時期にはスンダランドはすでに水面下になっていたので、スンダランドに住んでいた人が食べた物はバナナ、タロイモ、ヤムイモ、キャッサバ、アワ、ヒョウタン、ココナッツなどの野生種、淡水産・汽水産・海水産の貝、魚など、ネズミなどの小動物、シカ・イノシシ・スイギュウ・ウシなどの野生種と言うことになるのではないか。

★まとめ

1.私見で恐縮ではあるが、スンダランドは悪環境(湿地、酸性土壌、貧栄養土壌)で、多数の人が住める土地ではなかったと思う。今でもアフリカの赤土には樹木がぽつん、ぽつんと生えてはいるが、日本の技術援助で日本にもないような広大な農業栽培ハウスが建てられている。露地栽培でいいのなら何もそんな巨大なハウスを造る必要はないと思う。ヴュルム(ウルム)氷期のスンダランドの人はわずかな人数で貝、魚、シカ、イノシシ等の狩猟、ナッツ類、バナナ、イモなどの採集で細々と岩陰、洞穴等で生活をしていたのではないか。
2.「スンダランドはモンゴロイドの故郷」と言い、「紀元前50000年頃から一部が北上しモンゴルやシベリアにまで広がりマンモスハンターになった」などと言っているが、何年かけて寒冷対応を成し遂げたのかは不明であり、そんな早くに移動したのならY-DNAはCと思われるが、仮にスンダランド人がY-DNA Cとするならば北方へ行った人はハプログループC2(旧C3)になったと言うことか。しかし、ハプログループC2は 約32,600年(±14,100年)前に中央アジアまたはシベリアで発生したと考えられる、とされ、何ともいえないが東南アジアに残ったスンダランド人がパプアニューギニア、オセアニア、オーストラリアに見られるC1b2(C-B477)となったと言うことか。とは言え、Y-DNA Cはユーラシア大陸及び北米大陸に広く存在するので、まず、中近東あたりで大きくC1系統とC2系統に分岐したと考えるのが合理的ではないか。従って、モンゴロイドがスンダランドから拡散したというのはいかがなものか。また、紀元前50000年頃から一部が北上と言うのも大いに疑問である。
3.スンダランドの人々はスンダランド消失後どこへ移ったかと言えば、やはり周りの高地へ移ったのであろう。代表的な地名としてはスマトラ島、ジャワ島、ボルネオ島、インドシナ半島などかと思われる。一体にインドネシアの都市は低地にあり、実例<都市名(海抜m)>を挙げてみると、ジャカルタ(8)、バンドン(768)、スマラン(2)、スラバヤ(3)、メダン(25)、パダン(3)、パレンバン(8)、ポンティアナ(4)、バリクパパン(3)、メナド(80)、ウジュンパンダン(14)、アンボン(12)クパン(45)などである。おそらくこれらの都市の起源にスンダランド人の移住があったのかもしれない。あるいは、スンダランドにはほとんど人が住んではいなかったならば、スンダランド人などというのは幻の民で当該地の民は初めっから当時の高地に住んでいたのかもしれない。
4.スンダランド人の後継者と言おうか現在の民族はと言えば、スンダ族とかジャワ族なのではないか。お隣のニューギニア島に住むメラネシア人について「ネアンデルタール人がユーラシア大陸西部に分布していたのに対し、デニソワ人はユーラシア大陸東部に広く分布していたと考えられる。メラネシア人の祖先は、東南アジア付近でデニソワ人と出会い交雑した後、パプアニューギニアまで移動したというのがわれわれの説である」と述べる見解もあるが、この説では「パプアニューギニアをはじめ太平洋の島々に住むメラネシア人のゲノムの5%に、デニソワ人が貢献している」というが、スンダランド人とは関係はないのではないか。

(追記)

インターネット検索で「スンダランド」の項を見ていると、「縄文人はスンダランドから来たか」、「縄文人のふるさとと思われるスンダランド」、「南ルートの縄文人 スンダランドから丸木舟」、「縄文人はスンダランドから来た」、「東洋人の基層は南方(スンダランド )で形成された」、「日本人の起源についてスンダランドから考える」 などモンゴロイドの起源ばかりか縄文人の起源をスンダランドと考える向きが多いようだ。理由は判然とはしないが多くはジャワ島などで発見される先史時代人の遺骨と沖縄で発見された港川人遺骨の類似を述べる人もいる。しかし、現在では両者を同一とするには否定的な見解が多いようだ。歯科医には歯の分類の一つであるシノドントとスンダドントを取り上げ、縄文人はスンダドントなのでスンダランドが起源という人もいるようである。しかし、これもシノドントとスンダドントが同時期に発生したのならそういう説も成り立つであろうが、おそらくスンダドントは単純な歯でシノドントは複雑な歯というようなので、前者が先に出現し、後者は後に出現したものではないか(但し、反対の説もある)。即ち、男性のハプロタイプばかりを挙げて恐縮ではあるがY-DNA Oが現れた頃がシノドントの出現期ではないか。その前はすべてのモンゴロイドはスンダドントであったと思われる。日本にY-DNA Oがやって来たのは弥生時代とされ2300年ほど前か。縄文時代に日本列島にいたと思われるY-DNA C、mtDNA M7a及びY-DNA D、mtDNA N9bはスンダドントではなかったかと思われる。但し、遺伝的にはシノドントが優性のようで現在の日本人の9割以上がシノドントであるという人もいる。以上を要約すると、環境の厳しい中・高緯度のモンゴロイドはすぐに変異し、暖かいところでぬくぬくと育った低緯度のモンゴロイドは変化に乏しかったと言うことか。

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