タタあるいはタタラ

★はじめに

「タタ」などと言ったらインドの大財閥であるタタ財閥を連想する。タタ一族はペルシア(現在のイラン)からやってきたゾロアスター教徒で、インドでは少数派とはいえ一定の影響力のある人々と言われる。ゾロアスター教は別名拝火教とも言われ、開祖がザラスシュトラ(ゾロアスター、ツァラトストラ)と言うのでゾロアスター教と言われる由縁である。ペルシャ・インドのタタの意味はわからないが、ここで議論するのは日本の「タタ」で、日本でもそれほど多くはないが、地名や人名に「タタ」と読む場合がある。語源的には世界の「タタ」と日本の「タタ」につながりがあるかどうかはわからないが、意味を狭く解して日本の「タタ」をまず論じ、余裕があれば世界の「タタ」に言及しようと思う。

★日本の「タタ」

日本語、特に、漢字で「タタ」と書くと、多々、田田、多田などの文字が出てくる。文献的に見ても最初に「タタ」と出てくるのは「オホタタネコ」で「古事記」では「意富多多泥古命」、「日本書紀」では「大田田根子」となっている。特異なものとしては、大神神社の摂社に大直禰子(おほたたねこ)神社と言うのがある。祭神は大田田根子という。しかし、大田田根子の氏名の区切り方についてはいろいろあるようだ。一般には、大(美称)、田田(田)、根子(カバネ)と解する説が多いが、なかには、大田(地名)田根子(人名)とするものもある。大田が地名というのは、堺市中区上之(うえの・かっての住居表示は陶器村大字太田字上之と言うが町村合併を繰り返していろいろあるようだ)にある陶荒田神社の平成祭礼データに、「陶荒田神社は崇神天皇の七年の創建にかかり、延喜式(西紀905年制定)にも載っている古社であります。素盞嗚命十世の孫大田々禰古命が勅命を奉 じて大和国大三輪大神を奉斎する大神主となられました時に、祖先の神霊を斎き祀るため、この陶村すなわち茅淳県(今の堺市付近)陶器郷の大田森に社を建立されたのが当社の起源であります」とある。この大田森が大田を地名とする根拠かと思われる。「祖先の神霊を斎き祀るため」などと言っているが、現在の祭神は高魂命、劔根命、八重事代主命、菅原道真公であり、摂社に太田神社、祭神「太田々弥古命」とある。どうしてこの神社の祭神として八重事代主命はともかく素盞嗚命や大物主神が祭られていないのかわからない。「延喜式」神名帳和泉国大鳥郡には陶荒田神社二座とあり、一般には祭神は高御産霊大神、劔根命、配祀八重事代主命、菅原道真公と解されているようだ。そもそも、神社名の由来は、「陶」は陶邑で地名のことであり、「荒田」は「新撰姓氏録」和泉国神別に見える荒田直のことで、氏族の名である。その意味するところは陶邑は元々の地名で、荒田は新田(あらた)に通じ「新しく開墾した田」という意味かと思う。即ち、荒田氏は当該地の開拓者であり、陶荒田神社の祭神高御産霊大神、劔根命は荒田氏の祖神という。大田の意味が一枚の大きな田を意味するのか、はたまた、たくさんの田を意味するのかはわからないが、それは荒田氏が開墾してから後のことであって、失礼ながら「記紀」はともかく「陶荒田神社」は大田田根子伝説を自社に不当に結びつけていると思われる。もし「太田」が地名とすると大和国巻向の太田(奈良県桜井市太田)の説話が混同したものか。
次いで、「大・田田・根子」説だが、この名前の本体は「田田」だけでその意味を検討する。
1.「田田(タタ)」とは「田」の意味であると解する説。
2.東日本のタチ・タテ(漢字で「館」と書く)の西日本版で「台地」と解する説。
3.水を湛(たた)えるから湖沼地帯と解する説。
などがある。なお、地名としては多太、駄太、多駄、太多などの文字で「和名抄」にも出てくる。
(多太郷)出雲国秋鹿郡多太郷、周防国玖珂郡多太郷
(駄太郷)佐渡国羽茂郡駄太郷
(多駄郷)肥前国杵島郡多駄郷、伯耆国河村郡多駄郷
(太多郷)但馬国気多郡太多郷
武蔵国児玉郡振太郷は読み不明ながら一説に「タタ」と読むという説がある。一応、武蔵国児玉郡振太郷を除けば、ほかは西日本の地名である。従って、「タタ」の意味としては上記 2.東日本のタチ・タテ(漢字で「館」と書く)の西日本版で「台地」と解する説が正当ではないか。よって、大田田根子さんは東日本の古代豪族と同じく台地の上に館(たて・たち)を構えていたのかもしれない。

古代の人名に「タタ」と類似の発音で「トト」というのがある。例として、

・倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)第七代孝霊天皇皇女。「日本書紀」崇神天皇7年8月7日条に見える倭迹速神浅茅原目妙姫(やまととはやかんあさじはらまくわしひめ)は諸説で百襲姫と同一視される。
・倭迹迹稚屋姫命(やまとととわかやひめのみこと)第七代孝霊天皇皇女。倭飛羽矢若屋比売(やまととびはやわかやひめのみこと)とも。
・倭迹迹姫命(やまとととひめのみこと)第八代孝元天皇の皇女。
なにやら一人の人物の使い回しで、まず、倭・迹迹・姫命があり、次いで、倭・迹迹・稚屋・姫命となり、最後に、倭・迹迹・日百襲・姫命となったものか。
稚屋は「若い」の意味かと思う。日百襲は、襲は上着のことをいい、百は後世のことであるが襲は二、三枚重ね着をすることをいいその複数を意味し、日は霊のことか。しかし、私見としては「日」の文字は余計で本来の名は倭迹迹百襲姫命ではなかったか。いずれも倭(ヤマト)の迹迹(トト)に住んでいた女性と言うことかと思うが、倭飛羽矢若屋比売ともあるので迹迹は飛の間違いで倭迹(日)速神浅茅原目妙姫は(日)を追加すると飛羽矢と類似してくるのでみんな同根の人かと思われる。また、「飛」は桜井市外山(とび)のことか。外山(とび)の起源については「日本書紀」神武即位前紀戊午年十二月四日条「皇軍之得鵄瑞也 時人仍號鵄邑(とびむら) 今云鳥見是訛也」とある。こんなのは怪しいと言う人に対してはその後の文献として、応永六年(1399)興福寺造営段米田数帳(春日神社文書)の十市郡に一条院方として「外山庄 二十二町五段」とある。もし、「飛」を生かそうとするなら倭迹迹日百襲姫命も迹迹の一文字をカットし倭(迹→カット)迹日百襲姫命(やまととびももそひめのみこと)となるのか。ここではしつこく「迹迹」の文字が見えるので「トト」の話を進める。

「トト」の地名は「和名抄」にはないようであるが、文献等に見える「トト」地名として、

・とと島 酒田市飛島 飛島を「とと島」とした文章あり。当該地では魚の方言を「とと」と言うとある。縄文時代からの遺跡あり。
・戸々島(ととしま) 上越市大潟区岩野古新田 岩野古新田は戸々島という島形の丘陵が田のなかに浮かび開発以前は潟の中の島であったという。同所には縄文後期から古墳期の遺跡がある。
・戸渡島(ととじま) 佐賀県伊万里市木須町 戸渡島、辺古島、戸ノ須などはもと島であったのが干拓され陸繋島になった。
・等々島(とどじま) 島根県松江市美保関町  地蔵崎の東北約3kmの「沖の御前島」と呼ばれる小島。「出雲国風土記」には、「等々島(とどじま)」と記されている。
・百々村(どどむら) 石川県加賀市百々町 三谷川と支流曽宇川の合流地近くに位置し、町の西方は丘陵地。

以上、トト、トド、ドドと書かれた地形を総括してみると、島の名前に多く(例示は島ばかりだが島以外もある)、島は一般に水平な海面から突きでたところが多く、なにがしかの目印になったためか多くの「ととじま」には縄文時代からの遺跡がある。石川県加賀市百々町の百々は本当は丘陵の上の地名であってほしかったが、これは擬声音のドドで三谷川と支流曽宇川の合流地で川音がどどーっと鳴る音を言ったものか。酒田市飛島を「とと島」と言ったのも「とと」が魚を言ったものかどうかはなお不明だ。大まかな「トト」の語義としては「タタ」と同じく「台地」としていいのではないか。

★「タタ」と「タタラ」

「タタ」も「タタラ」も地名、人名として今もあるが、タタとタタラは同じ意味なのだろうか。「和名抄」の「タタ」の地名は上述したが、「タタラ」の地名については「達良」と書いて「タタラ」と読ませるところが二カ所ある。
周防国佐波郡達良郷(現・防府市多々良)
安房国平群郡達良郷(現・南房総市富浦町多田良)
タタラの漢字表記も多田羅、達良、多々羅、多々良、田多良、多田良、太田良、田多羅、夛々良などがあり、多田羅とか多々羅とか田多羅などはお隣の朝鮮半島にあった「新羅」とか「加羅」とか「安羅」とか「耽羅」から連想してかタタラとは朝鮮語だ、と言う見解もある。今でも全羅南道とか全羅北道とかがあるのでなんともいえないが、日本にもその種の地名はたくさんあるので例示してみる。

「和名抄」では、
山城国久世郡那羅(なら)郷
摂津国西成郡安良(あらら)郷
尾張国愛智郡佐良(さくら)郷
遠江国佐野郡幡羅(はら)郷
武蔵国播羅(はら)郡播羅郷
甲斐国都留郡多良(たら)郷
安房国平群郡達良(たたら)郷
周防国佐波郡達良(たたら)郷
上総国海上郡福良(ふくら)郷
武蔵国久良郡鮐浦(ふくら)郷
近江国犬上郡甲良(かはら)郷
土佐国長岡郡気良(けら)郷
信濃国伊那郡育良(いから)駅
薩摩国日置郡合良郷(あひら、かふら、かはらーー読み不明)
大隅国姶羅(あひら)郡
大隅国大隅郡姶羅(あひら)郷
大隅国熊毛郡阿枚(あひら)郷
「和名抄」にはないが沖縄県にも多く、
沖縄県石垣市宮良(みやら)
沖縄県宮古島市平良(ひらら)
沖縄県八重山郡与那国町久部良(くぶら)
沖縄県島尻郡久米島町アーラ浜(漢字不明・下の阿良浜と同じか)
沖縄県国頭郡伊江村阿良浜
これをまとめると、こんなに日本の津々浦々まで朝鮮人が来たとは考えづらく、××羅(良)は日本語で羅(良)は地名の接尾語なのであろう。新羅は日本語で真良と書き、加羅は日本語では韓良と書き、安羅は日本語では阿良と書き、耽羅は日本語では田村と書き、まったくの日本語で外来語由来の言葉ではないと思う。
そこで「タタ」と「タタラ」の意味なのだが、同じことと解していいのではないか。ある地方では「タタ」で終わり、他の地方ではハイカラに「タタラ」と接尾語をつけたのだろう。その意味するところは、台地、高地、丘陵地など少し高くなったところを言うようだ。
大田田根子が住んでいた茅渟県の陶邑は、堺市・和泉市にある泉北丘陵の一角にあり、陶邑とか大田田根子の母方の祖父陶津耳とかの「陶」は須恵器の生産地を意味するようだ。また、タタラとは古代製鉄法で使われた溶鉱炉のことでそのタタラが置かれた地をタタラというとある。砂鉄がとれる川砂や海砂のある川沿いや海岸に多い地名という。しかし、窯業にせよ製鉄業にせよ高温の火気を扱い、当時の人にあってもそういう作業を住宅地で行うことは危険であると認識していたのではないか。従って、さような作業を行うときは人里離れた山の中とか海岸が多かったものと思う。特に、高原や丘陵地は薪などの燃料確保にも適し、その種の高地にあった工業用炉(窯炉、溶鉱炉など)を地形から名付けて「タタラ」と言ったのではないか。
ところで、大和国には「トト」地名はなく、「タタ」地名は 現・宇陀市室生多田(摂津国多田庄の多田源氏が移住したという説もあるが確証はない)、現・奈良市来迎寺町(旧・山辺郡都祁村大字来迎寺小字多田と言う)があり、「タタラ」は現・奈良県磯城郡田原本町法貴寺に「ホケシ(磯城郡田原本町大字法貴寺)字多々羅部」があったという。当該地は孝霊天皇の「黒田廬戸宮」に近く、また、「鏡作」の名のつく神社もあるので鋳造施設等があったのかもしれない。以上より考察するなら「倭迹迹」の迹迹は迹美とか迹日の誤記で現・桜井市外山と解するのが妥当か。

★タタラは外国語か

日立金属のウェッブ・サイトでは、

(タタラの語源については)実はまだはっきりしないのですが、外来語のようです。
古事記(日本書紀か)には百済(くだら)、新羅(しらぎ)との交渉の場にたたら場とか、たたら津などが出て来ます・・・。
『<神功皇后 摂政5年3月7日・・・次于蹈鞴津 拔草羅城還之>とあって蹈鞴津(たたらつ・釜山南の多大浦)があったようである。』
窪田蔵郎氏は、たたらをダッタン語のタタトル(猛火のこと)から転化したものでないかとしています。
安田徳太郎氏によれば、古代インド語のサンスクリット語でタータラは熱の意味、ヒンディー語では鋼をサケラーと言うが、これは出雲の鋼にあたるケラと似ていることなどから、たたら製鉄法はインドの製鉄技術が東南アジア経由で伝播したものではないかと言っています。

いずれにしても、たたらという言葉は、金属製錬と密接に関係し、インドあるいは中央アジアに源をもつ言葉であると考えられます。

と、述べられておられるが、タタラの「タタ」は日本語の「高(たか)」と同源の言葉で、「ラ」は地名につく接尾語と解するなら、タタラは日本語ではないのか。日本には今はなくなったかもしれないが古い地名で小字に多田羅、達良、多々羅、多々良、田多良、多田良、太田良、田多羅、夛々良などと言うのがたくさんあっただろうし、朝鮮半島に日本ほどの「タタラ」地名があるのか。また、製鉄技術がそんなに日本の隅々まで行き渡ったのかも疑問である。製鉄技術が東南アジア経由のものか朝鮮半島から渡来のものかははっきりしないが、東南アジア経由のものならインド人が直接日本へ来た可能性が高いと思うが日本の男性Y-DNAにはインドの多数派「H」や「R1a」はいないようだ。

★結 論

以上より結論を出すと、タタないしタタラは日本語であり、製鉄等に関係がある言葉としてもタタ、タタラはその製造方法や主力原料、設備等を表す言葉ではなく、製造が行われた場所を示す言葉であると思料する。即ち、古代製鉄の多くは原料、燃料の確保はもとより、環境の面でも人家の密集した現今で言う住宅地では行われず、少し離れた高地で行われたのではないか。また、その製造方法についても素戔嗚尊を始め伝説等により朝鮮半島伝来のものという意見が多数を占めるが意外と日本でもこつこつと独自の開発がなされていたのではないか。

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