「タラシ」の天皇

★はじめに

我が国の天皇の和風諡号に「タラシ」と付く天皇が何名かおられ、「タラシのつく天皇は架空」などという意見もあるようだ。そもそもこの「タラシ」という言葉は現在では「女たらし」という言葉にもっぱら用いられ、あまりイメージのいい言葉ではない。そこで、この「タラシ」の意味を調べてみると、

「たらす」とは「誑す」と書き、「垂らす」は誤字である。
「たらす」とは「だらしない」の略ではない。
「たらし」とは女性を騙したり、言葉巧みに誘惑して弄ぶ男性のこと。
「たらし」には動詞形『たらす』の「巧みな言葉で騙す」という意が含まれている。『たらす』は対象を特に女性を騙す男性と限定していない。例、「人たらし」。

こうなると、「タラシ」のつく天皇は弁舌さわやかに相手をだます詐欺師のようにも聞こえてきて穏やかではない。ただし、垂れるという言葉には〔与える〕という意味があり、例として、
校長が訓示を垂れた
神よ哀れみを垂れたまえ
君がまず範を垂れるべきだ
などがあり、「タラシヒコ」は元々は「タレシヒコ」だったか。例としては適切ではないかもしれないが、「一旦緩急アラバ」を「一旦緩急アレバ」といったたぐいか。この場合は、語源も「命(みこと)、人名で○○命」に近いものになるのではないか。

★和風諡号に「タラシ」の付く天皇

和風諡号に「タラシ」の付く天皇は以下の天皇がおられる。列挙をすると、

第六代孝安天皇 和風諡号は、日本足彦国押人天皇(やまとたらしひこくにおしひとのすめらみこと)
第十二代景行天皇 和風諡号は、大足彦忍代別天皇(おおたらしひこおしろわけのすめらみこと)
第十三代成務天皇 和風諡号は、稚足彦天皇(わかたらしひこのすめらみこと)
第十四代仲哀天皇 和風諡号は、足仲彦天皇(たらしなかつひこのすめらみこと)
第三十四代舒明天皇 和風諡号は、息長足日広額天皇(おきながたらしひひろぬかのすめらみこと)
第三十五代・三十七代皇極天皇、重祚して斉明天皇 和風諡号は、天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)

上記、六天皇のうち第六代孝安天皇は、欠史八代の天皇であり和風諡号の日本足彦の部分は後世に付加された美称で国押人は国土開発の神であったという。一般には天皇家とは関係のない人物あるいは神と思われているようだが、古いことなのでなんともいえない。御名からは高句麗の広開土王が連想される。私見では、天皇家の草創期にはこういう人もいたのではないかと思っている。
第三十四代舒明天皇と第三十五代・第三十七代皇極天皇・重祚して斉明天皇は実在した天皇でここでは問題にならない。なお、重箱の隅をつつくような話であるが、舒明天皇の息長足日の足日は足日(子)の子が脱落したものか。皇極(斉明)天皇は足姫となっている。

そこで、架空なのか実在したのかが問題となる天皇は第十二代景行天皇、第十三代成務天皇、第十四代仲哀天皇である。これらの天皇は一群の天皇と認められ、和風諡号の大足彦、稚足彦、足仲彦も初代、二代、三代をあらわそうとしたもののようで、現代流に書き直すと、大足彦、若足彦、中足彦となるのではないか。その中で、諡号に有意義な御名があるのは初代の大足彦忍代別天皇くらいでほかのお二方は二代目、三代目といわれているだけで、実体は何もないようである。大足彦忍代別天皇にもご子孫がいたかもしれないが、これでは皆目わからない。おそらく、大足彦忍代別天皇は業績多大な天皇で(記紀では東は関東、南は熊襲までを統一したことになっている)一代の天皇にその事績全部を盛り込むことができなかったので、景行天皇、成務天皇、日本武尊などに分散して表記したのではないか。この頃から日本の文字による記録が飛躍的に伸長したのではないかと思われる。

★まとめ

第六代孝安天皇は口承による天皇であり架空ではないにしてもその実像は限りなく不明というほかない。また、第三十四代舒明天皇と第三十五代・第三十七代皇極(斉明)天皇は実在の天皇で、その「足日(足彦であろう)」や「足姫」の美称が欠史八代の天皇や大和朝廷統一期の天皇に波及したというのはいかがなものか。「足彦」とか「足姫」というのは「彦命」とか「姫命」と同じく日本のどこかの地域で使われていた「姓(かばね)」や「美称」ではなかったか。
第十二代から第十四代の天皇については第十二代景行天皇はともかく、第十三代成務天皇や第十四代仲哀天皇は実在を否定する見解が多数説のようだ。特に、十四代仲哀天皇に至っては神功皇后と日本武尊を作出するための人物とか、「日本書紀」では父の日本武尊の死後36年も経ってから生まれたとか、さんざんである。
以上を総括するなら、第十二代から第十四代の天皇のうち確実に実在したのは第十二代景行天皇だけで、第十三代成務天皇と第十四代仲哀天皇に関してはその実在性ははなはだ低く、架空の天皇になろうかと思われる。景行天皇があまりにも偉大すぎて、子や孫は影が薄くなっているというのが実情なのかなとも思われる、

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