記紀神話と中国「山海経」

★はじめに

「山海経(せんがいきょう)」は、日本では妖怪作家のカモにされているようで、「魑魅魍魎の跋扈する世界」のこととされているらしい。江戸時代には「山海経」を種本に妖怪作家ばかりか妖怪画伯もいたと言う。「山海経」の怪奇な部分を見ていると、何かトーテムポールなどの彫刻や絵を見て意味が分からず誤解が生じ、人間離れした話が作出されたのではないかと思われる。もっとも、トーテムポールは北アメリカ北西沿岸部の先住民たちのものであり、時代も18世紀後半のものとされる。当然のことながら「山海経」が成立したかも知れない戦国時代(およそ2500年前)とはずいぶん違うではないかと思われるだろうし、中国近隣諸国の異民族がトーテムポールを立てていたのかもまったく定かではない。しかし、米国のトーテムポールは時間とともに朽ちてなくなるもののようで、その発祥はいつの頃かは、はっきりしないという。また、北米の先住民はユーラシア大陸から渡った人々とされ、北アジアの先住民と同じような風習を持っていてもおかしなものではないと思う。北米の先住民にはY-DNA C系統の人が多いようで、これはモンゴルの人と変わらない。そこで、日本の神話にも「山海経」を参考にしたのではないかと思われるものもあるので、魑魅魍魎的な話は極力避けて、歴史的なものを検討してみようと思う。

★蛇と記紀神話

中国は国土も日本に比べ大きく、色々な動物が生息していたと思うが、蛇にしても「長蛇」とか「巴蛇」とか「鳴蛇」とか「化蛇」、「衆蛇(未詳)」とかその数には事欠かないようだ。我々日本人にとっては極めつけは「共工(古代中国の覇者)の臣、相柳(しょうりゅう)氏」で、「九つの首で九つの山のものを食う。相柳がふれて土ほるところは、沢や谷となり、禹は相柳を殺した。その血は腥(なまぐさ)くて五穀の種をうえることもできず、・・・相柳は九つの首、人面蛇身で青かった」(海外北経)である。何やら出雲神話の「八岐大蛇」に似ているではないか。数字が「八」が「九」となっているのは、中国文化の違いという。中国には諸々の先史文明があり、その代表的なものは黄河流域の「黄河文明」と長江流域の「長江文明」である。最終的には黄河文明が中国の主流になったのであるが、その違いは、黄河文明が龍神文化で「九」を神聖な数字にしたのに対し、長江文明は太陽神文化で「八」を神聖な数字としたらしい。日本でかって幅をきかせた占いの「八卦」(八卦思想)も長江文明のたまものらしい。従って、日本にまず入ってきた中国文化は中国では敗者の文化、即ち長江文明だった。それは、日本の縄文時代中期の頃と考えられ、縄文農耕の開始時期とか、釣手土器(蛇身文様)の発生とかが見られる。稲作はどうなっているのかと考える向きもあろうかと思うが、当時は中国でも草創期でとてもとても技術移転などは考えられなかったと思う。中国の春秋戦国時代は江南の地にも影響を及ぼしたらしく、その頃、江南や華南から日本、ことに九州北部へ人々が流入し、日本の弥生時代即ち水田稲作が始まった。その後、日本に根付いた長江文明により太陽神信仰や水稲稲作、八卦思想などが日本の基層文化となった。話は飛ぶが、「山海経」で「相柳を殺した禹(う)」は出雲神話では素戔嗚尊のことか。また、「山海経」の「血」は「古事記」の「十拳の劔を拔きて其の蛇を切り散ししかば、肥の河血に變じて流れき」と言うことか。「山海経」には酒が出てこない。酒が好きなのは人間なのであるから日本の「八岐大蛇」神話も本来は人間にまつわる話ではなかったか。記紀にはこのほかにも大物主神は「小さな黒蛇」とか、素戔嗚尊は試練のため大国主命を蛇の室に入れたとか、豊玉姫が「蛇のように腹ばう」とか、垂仁天皇段には「肥長比売は蛇であった」とか、同「狭穂比売は夢に、錦色の小蛇が私の首に巻きつき」とか、蛇がやたらに出てくる。日本では、蛇が龍になった、と言う見解もあるが、中国では龍と蛇は同類でさえなかったと言う。当然で、龍神信仰と蛇神信仰とは文化が違う。しかし、我々凡人はこんな蛇の話ばかりを聞いては心身がおかしくなるので、もう少し学術的な話を拾ってみることにする。

★「山海経」に出てくる「倭」

「山海経」
巻十二 海内北経
12-23蓋國在鉅燕南、倭北。倭屬燕(d)。
(d) 倭國在帶方東大海内、以女爲主、其俗露[糸介]、衣服無針功、以丹朱塗身、不[女戸]忌、一男子數十婦也。

12-24朝鮮在列陽東、海北山南。列陽屬燕(d)。
(d) 朝鮮今樂浪縣、箕子所封也。列、亦水名也、今在帶方、帶方有列口縣。

12-25列姑射在海河州中(d)。
(d) 山名也。山有神人。河州在海中、河水所經者。莊子所謂藐姑射之山也。

12-26射姑國在海中、屬列姑射、西南、山環之。

12-27大蟹在海中(d)。
(d) 蓋千里之蟹也。
12-28陵魚人面、手足、魚身、在海中。

以上は原文で(d)は後世の人の注釈である。

これによれば、燕 → 蓋國 → 倭國と南に続いているらしい。朝鮮は列陽の東にある。海を北に、山を南にいだいている。(注釈では、朝鮮とは今の楽浪県(郡)で、列とはまた河の名前である。今の帯方、帯方有列口県を言う)蓋(がい)國とは現在の北朝鮮ケーマ(蓋馬)高原を言うとするのが多数説であるが、蓋(がい)を蓋(かん)と発音し、朝鮮半島を指すと言う見解もある。いずれにせよ地理が乱れており、はっきりとは断じがたいが、燕、蓋、倭、朝鮮など現在に通じる国名がある。また、列姑射とか、射姑國とか言っているが、これは朝鮮半島南部の加羅(伽耶)を意味したのではないか。当時は朝鮮半島は韓や濊の時代だと言う人もいるがはっきりしないというのが実情だろう。いずれにせよ「倭」が出てくる。日本が古くから中国の諸王朝に認識されていたことは間違いない。

★まとめ

日本の神話が中国に起源があると言うことは分かっていたにせよ、出雲神話までが中国の説話に染まっていたと言うことは驚きである。元々記紀はその作成の段階において外国人が関わっていたと言うことは間違いないと思うが、おそらく神話の部分はほとんど外国人が執筆したもののようだ。「山海経」も掘り起こしてみると日本にもなじみが多く、書かれた頃が春秋戦国時代と言い、魑魅魍魎の精霊の世界かも知れないが、日本の古代貴族に博物学的な知識をもたらしたことは喜ばしいことである。この書物が妖怪画伯や妖怪作家を生み出したことは何はともあれ日本の娯楽産業に寄与した。中国、日本ともに蛇、蛇、蛇で辟易するのだが、日本の中部山岳地帯に起こった蛇信仰はあくまでも「うま味」とか「動物タンパク質摂取」とか言う実用的なもので、蛇を神として祀ったとは思われない。中国の蛇信仰が水田稲作あるいは太陽神信仰とともに入ってきたのに対し、日本では長野県や山梨県、東京都多摩地区などの山岳地帯に栄えたものである。当然ながらその意味するところは違ったと思う。後世、中国の蛇信仰と日本の蛇信仰が合体したかも知れないが、中国の蛇トーテミズム的なものは日本に入ってきたのであろうか。

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