HUGOの南回り説はどうなったのか

★はじめに

早いもので「日本人の祖先 東南ア経由?」などと言われた、ジュネーブ(スイス)の「the Human Genome Organization」(HUGO)が発表したDNAの国際研究は世に出てから4年になる。ほんの数年前のことと思っていたら月日の経つのは光陰矢の如しだ。この研究の成果は4つあるそうで、1、遺伝学的近縁関係は、民族学・言語学的関係および地理学的関係とよく対応していた。2、東北アジア集団から東南アジア集団に向けてゲノムの多様性が増大する傾向が見られた。3、アフリカから出た先史時代のアジア系集団の先祖は、主としてまず東南アジアに到達し、そこから東アジア、北アジア、オセアニアへ移住、拡散した。4、この研究で得られた情報は、各種の病気のかかりやすさや、くすりに対する反応性の個人差に関わる遺伝子の探索研究にも有用な基盤情報になる、と言うことらしい。この研究には日本からも参加した。菅野純夫・東大大学院新領域創成科学研究科教授と言う先生で「遺伝子の大きな流れからみると、日本人を含む東アジア集団の起源は東南アジアにあると推定される。ただし、今回の解析にはアイヌなど北方の民族が含まれていないので、反論の余地もあるだろう」と話している。東アジア集団の移動ルートには大きく分けて北回り説と南回り説があり、決着はついていない。

(補記)the Human Genome Organization (HUGO)

1989年設立。ヒト遺伝子解析機構。世界のゲノム科学者の共同作業を促進する国際機関。以前にGISのプレス・リリースで「One of the corresponding authors, Professor Edison Liu, Executive Director at the Genome Institute of Singapore (GIS), and the President of the HUGO which initiated and coordinated this research・・・」とあったので、GISは統括機関で、HUGOはGISの下部研究機関、Pan-Asian SNP Consortiumはプロジェクト・チームと誤解していたのを訂正する。
成果1、遺伝学的近縁関係は、民族学・言語学的関係および地理学的関係とよく対応していた。
お説ごもっともではあるが、アジア集団はヨーロッパ集団ほどよく対応しているのか。
2、東北アジア集団から東南アジア集団に向けてゲノムの多様性が増大する傾向が見られた。
ゲノムの多様性が増大する集団(地)が起源(地)と思われているが、ゲノムの多様性が増大するのは集団が定着してからではないのか。したがって、東アジアの人の移動は必ずしも東南アジアから東北アジアではないと思う。あるいは、逆の方が多かったのではないか。後述するスペンサー・ウェルズ説でもY-DNAハプログループCは南アジア(インドのことか)発祥ではあるが、C1、C2、C3などは東南アジアで分岐したものか。但し、諸説があるらしい。
3、アフリカから出た先史時代のアジア系集団の先祖は、主としてまず東南アジアに到達し、そこから東アジア、北アジア、オセアニアへ移住、拡散した。
これも、このように決めつけるにはデータ不足のような気がする。遺伝子学ないし分子生物学ばかりでなく日本流の考古学とか人類学とか他の領域との突合が必要なのではないのか。
4、この研究で得られた情報は、各種の病気のかかりやすさや、くすりに対する反応性の個人差に関わる遺伝子の探索研究にも有用な基盤情報になる。
こちらがこの研究機関の主目的であろうが、具体的な成果は得られていない。

とは言え、その説くところは、既に、米国ナショナルジオグラフィック協会のジェノグラフィック・プロジェクトのプロジェクト・ディレクターであるスペンサー・ウェルズ博士の説いているところであり、それをお手本にしたような雰囲気もある。ここではスペンサー・ウェルズ博士の見解を参考にしながら論考を進めていく。但し、シンガポール遺伝子学研究所説とウェルズ説は双方とも世界地図に集団の移動経路を描いており、その違いは、前者が朝鮮半島を経由して日本列島に人が流入したというのに対し、後者は東南アジアから、おそらく海を渡って、直接、日本列島に人(Y染色体ハプログループC1とD2か。但し、同地図ではM130即ちCのみの表示となっている。出アフリカは一緒だったC、Dはその後行動を別にしたか)が流入したと言うところにある。また、日本には原日本人の南方起源論は埴原和郎博士の「二重構造モデル」をはじめ経路はともかく古くからある。

★スペンサー・ウェルズ博士の見解

同博士はたくさんの書籍を著しており、そのうち初心者向けの「旅する遺伝子」巻末の「付録 用語の解説」の日本に関係する部分を主に引用させていただいた。なお、同博士によるとmtDNAによる解析には限界があるとのことでY染色体ハプログループのみを取り上げた。

Y染色体ハプログループ

ハプログループC
五万年ほど前、おそらく南アジアの地で、M130(C)と言う遺伝子マーカーを持った一人の男性が誕生した。
彼の少し前の祖先は、初の出アフリカを果たした大きな移動の波を先導していた。
その移動経路はアフリカ海岸線、アラビア半島南部、インド、スリランカ、東南アジアで、一部はトレス海峡(ニューギニア島とオーストラリアとの間)を渡ってオーストラリアに移住した。
オーストラリアへの移動は僅か5000年以内に成し遂げられた。
この氏族の多くは東南アジアの海岸地帯に残り、何千年もかけて徐々に北へ向かい内陸部へ浸透していった。
子孫は今でも東アジア、とりわけモンゴルやシベリアに在住している。

「私見」
このハプログループは、C1は日本、C2は東南アジア(特に、島嶼部)、C3は東アジア(モンゴル、シベリア)に拡散したのであるが、モンゴル、シベリアは東南アジアよりかなり遠いので別ルートを想定する説もあるようだ。即ち、ウェルズ説の「何千年もかけて徐々に北へ向かい内陸部へ浸透した」はダメと言うことだ。日本のC1も意味不明なところがあり、沖縄の港川人のように単に南方より漂流して流れ着いた人たちと言うことか。日本の人口に占める割合は今でも少ない。以上より判断するなら、Y染色体ハプログループCはインドかどこかでC1、C2グループとC3グループが分かれ、それぞれ別ルートでモンゴル、シベリアや東南アジア、オーストラリアへ入ったものか。C3は北米にも達しているらしい。

ハプログループD
ハプログループCが出アフリカを果たした頃、Dの祖先たちはそれに同行した。
D集団の一部は、東南アジアやアンダマン諸島に暮らしているがインドには存在しない。
アフリカからの移動は二度あり、一度目は東アジア沿岸を北上して日本へ入り込んだ。二度目は過去数千年間に行われ、チベットやモンゴルに導いた。

「私見」
ハプログループCとDが行動を共にしていたと言う根拠が分からない。当時は人口も少なく出アフリカを果たした集団の一団体あたり人数も10名とかそこいらと言う説もある。遺伝子マーカー(遺伝子標識名)M130(C)やM174(D)の分岐前のM168(CR)のことを言っているのかも知れない。それならC、Dはまだ分岐していないのだから行動を共にしたというのはおかしい。
「D集団の一部は、東南アジアやアンダマン諸島にいる」と言うことで、東アジアには日本人しかいないので、日本人北方渡来説は不可という見解もあるが、当時の移動単位(人数)から判断するとDならDがそこかしこに定住すると言うことは難しかったのではないか。Dは最終的に日本列島に定住したと言うことなのではないか。東南アジアであちこちにDがいると言うことは、チベットないし日本で定住後人口が増えそれが拡散したと言うことではないか。例えば、日本人なら山田長政の子孫とか。Dがインドにいないと言うのも東南アジアへアフリカより、直接やって来たか、あるいは、インドより北の方を回って東南アジアへ入ったと言いたいのかはっきりしないが、いずれにせよC、D同行説は成り立たないと思う。そもそもCとDは当時にあっては今で言う別人種でありそれが同一行動とは考えづらい。また、ウェルズ博士はCとDが別々に出アフリカを行ったという説があることを紹介はしている。
Dが出アフリカを二度に分けて行ったという見解もDの発祥地がアフリカなのか、はたまた、その他の地域かによってその後の展開も異なると思う。まさか元祖が二人と言うことはないと思う。

ハプロタイプD2
およそ三万年前、東南アジアの地で、P37・1と言う遺伝子マーカーが初めて出現した。
ハプロタイプD2を特徴付けているこのマーカーの保有者たちは、北へと歩を進め最終的には日本に到着した。

「私見」
ハプロタイプD2は、およそ三万年前、日本列島で発祥したと言うのが日本での通説だ。遺伝子マーカーもP37・1ばかりでなくほかにもたくさんある。ニーチェ流に言うと「脱皮をしない蛇は死ぬ」のとおり、変異の起きなかった系統はなくなってしまったらしい。
P37・1マーカーの保有者たちは、北へと歩を進め最終的には日本に到着した、と言うが、D2の北回りルートと同様どのようなルートであるかを描ききれない。

ほかに日本には最大のハプログループOがあるが、どの説を採っても朝鮮半島、中国江南の地から日本列島にやって来た、と説くようなので、起源地で論じるべきであろうから、ここでは割愛する。

★結 論

スペンサー・ウェルズ博士の見解やHUGOの結論は傾聴すべきものではあろうけれど、日本における研究や実情とはかなりかけ離れたものではないのか。やはり両者は異国の人であるから、自国に対するひいき目もあるだろうし、対抗者に対する競争心などもあって異論を述べざるを得ないのかも知れない。しかし、

1.日本人は日本人であって、C1及びD2を始祖とする人種である。何せC1とD2は世界に日本にしか存在しないY染色体ハプログループと言われている。朝鮮半島人とも中国大陸人とも、はたまた、東南アジア人とも違って当然だ。東アジアのY-DNAにせよ、mtDNAにせよ南は南、北は北という感じで、南の人々と日本とはあまり関係がないように思われる。

2.日本に来たルートだが、南回りと仮定すれば、スペンサー・ウェルズ博士の見解ではCに関してだが5ないし6万年前に5000年でアフリカからオーストラリアまで来たと言う。それから15000年ないし25000年かけて日本列島に来島し3万年前にD2が日本列島で誕生したことになる。(但し、ウェルズ説ではD2が誕生したのは東南アジア)これではアフリカから東南アジアへの移動時間と東南アジアから日本列島へのそれとはかなり開きがある。やはり30000年をかけて北回りルートをユーラシア大陸の端までやって来たのではないか。但し、これは確定的ではなく移動年月に関しては異論もある。北回りでは東西方向へしか移動しないので、季節の変化は今までどおりでいいだろうが、南回りでは南北方向への移動が加わるので季節の変化が考慮されなければならないと思う。したがって、日本人の渡来ルートは合理性を考えれば北回りと言うことになるのではないか。

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