神社の起源

はじめに

神社の起源については「伊勢神宮」の祭神が天照大神で日神とは言え、穀霊神(主として「米」)としての側面を持ち、また、蚕神(かいこがみ)の意味も持っていたのではないか。但し、記紀ではこれらの役割は古事記では「大宜都比売」とされ、日本書紀では「保食神」が担っている。ほかに「日本書紀」で神産みの第二の一書に、火の神軻遇突智(火之迦具土神・かぐつち)と土の神・埴山媛(はにやまひめ)の間に生まれた稚産霊(和久産巣日神・わくむすひ)の頭の上に蚕と桑が生じ、臍(ほぞ)の中に五穀が生まれたという説話がある。ちなみに、これら殺された神(大宜都比売は、素戔嗚尊に、保食神は月読尊に殺される)の死体から作物が生まれたとする説話はハイヌウェレ型神話と言い東南アジアが起源だという。そこで、神話に限らず日本の諸々の起源は南方にあるという見解が威勢を強めている。但し、東南アジアの神話では発生したのは宝物や芋類で、五穀ではない故、中国江南経由の話ではないかと言う説もある。人間、生きていくためには蚕より米が必要とばかりに、食べ物専門の神として「豊受大神」とか「宇迦之御魂神」など大物の神もいる。
そこで、神社の起源だが、「縄文時代の東北北部の竪穴式住居には、たいてい浅い穴が堀り込まれている。ほかの地域でも、住居の奥壁に石を囲った部分があることがわかっている。研究者の多くはこれを祭壇とみている」とあるが、これって現代に言う「トイレ」のことではないのか。特に、雪国に外便所がないとは言わないが、東北北部の地域は冬は豪雪で外に用足しに行くのは大変なことと思う。のみならず、この種のものを聖所と限定するのに懐疑的な意見もある。謂わば、仏壇・神棚、縄文時代発祥説は否定するが、(仏壇は、「日本書紀巻二十九」「天武天皇十四年(六八五)三月壬申の詔で各家庭に仏壇を設けるようにとある)縄文時代には巨木信仰とか、山岳信仰、母神信仰、海洋信仰のようなプリミティブな信仰があったのではないか。そういう信仰は今でもあるし、どちらかというと神道の範疇に位置づけられているのではないか。日本古来の縄文信仰には常設の神社などはなかったようで、祭事の際に臨時に建てた神籬(ひもろぎ)などの祭壇が発端で、その後神殿などの建物ができたと言うことはほかの宗教とか地域からの影響を受けたものであろう。したがって、神社の起源は一元的ではない。縄文信仰を基軸に他の要素が加わったと言うことである。神社と言っても一様ではなく、いろいろあるようだが、ここでは主なる神社施設の起源を見てみると、
1.縄文信仰を起源とするもの
2.北方を起源とするもの
3.南方を起源とするもの
などが考えられる。そこで、その各々を検討すると、

★縄文信仰を起源とするもの

参道(さんどう)
山岳信仰では山頂を遙拝するので障害物がない方がよい。後世、社殿が出来て山頂に代わる遙拝の対象となったので参道を作って障害を取り除いた。

御神木(ごしんぼく)をはじめとする境内の杉木立などの高木
現在の御神木などは巨木信仰の名残であろうが、大きな神社には高木がうっそうと茂っているところが多い。縄文信仰の一端だろう。年一回の祭礼に天にまします神が御神木を目印に降りてくると言うのも、何やら素戔嗚尊が鳥髪山(現在の船通山)に天降ったと言う話に似ている。

要石(かなめいし)
地震を鎮めるための石という。鹿島神宮にあるものが著名。巨石信仰の名残か。

★北方を起源とするもの

神殿(しんでん)
神殿の古来の用途は今で言う旅館やホテルだっただろう。この場合のカミは交易商人のことでおそらく遠方より年一回くらいの割合で来訪したのではないか。今、神殿と言われている施設も交易商人の宿泊施設だったのではないか。頻繁に来ても取り立てて買い付けるものや売りつけるものはなかっただろう。彼我の経済力の差が大きかったと思われる。その後、日本にも経済力がついて日本商人が外商に出かけるようになったので「カミ」も来なくなったし、この種の施設も要らなくなったが、彼(カミ)がおいていったものを保管しておいたかと思われる。その保管物が神宝となったか。もっとも、現在の神社はほとんどが高床式建物でこれは南方由来のものだ、と言う人がいるかも知れないが、どのような建物を建てるかはこちらの都合で相手が高床式にせよと言ったわけではないだろう。但し、様子は少し違うが大国主命は荘厳な掘立柱建物を要求している。また、神社は元は竪穴式建物であったかも知れない。

★南方を起源とするもの

鳥居(とりい)、手水舎(ちょうずや)、鎮守の森(ちんじゅのもり)
以上は縄文、弥生の狩猟場の三点セットと言うべきもので、漫然と網を持って狩りに出かけても鳥類は簡単に網にかかってはくれない。そこで考案されたのが狩猟場の概念で、鳥をおびき寄せる場所を作ったものである。鳥居(とりい)は鳥かごの止まり木のようなものかと思われる。手水舎(ちょうずや)は鳥が水浴びをしたり、水を飲んだりする施設であろう。鎮守の森(ちんじゅのもり)は鳥が日常生活をする場所であろう。「古事記」中巻「神武天皇段」に天皇の歌として「宇陀の高城に 鴫罠張る 我が待つや 鴫は障らず いすくはし 鷹等障る・・・」とある。動物性タンパク質を鳥類に頼っていた家では鳥を捕獲できるかどうかは重要事だっただろう。狩猟場を設けることが出来る家は当時でも上級階層に属していたのではないか。

神社の神殿はいつ頃出来たのか

「古事記」に
「速須佐之男命、宮を造作(つく)るべき地を出雲の國に求めき。 爾くして須(す)賀(が)の地に到り坐して、「吾、此の地に來て、我が御心、須(す)賀(が)須(す)賀(が)斯(し)」と詔りて、其の地に宮を作り坐しき」
とか
「僕(大国主命)が住所(すみか)は、天つ神の御子の天津日繼(あまつひつぎ)知らす、登(と)陀(だ)流(る)天の御巣(みす)の如くして、底津石根(そこついわね)に宮柱(みやばしら)布(ふ)斗(と)斯(し)理(り)、高天原に氷木(ひぎ)多(た)迦(か)斯(し)理(り)て治め賜わば、僕は百(もも)足(た)らず八十(やそ)手(くまで)に隱れて侍(はべ)らん」
とある。
この速須佐之男命の「宮」とか僕(大国主命)の「住所(すみか)」の「宮」や「住所(すみか)」は単にそれぞれの人物の邸宅なのであろうか。私見では速須佐之男命にせよ大国主命にせよ交易商人の側面が強い人物と思っている。速須佐之男命の場合は今の朝鮮半島から九州北部を商圏にしており、大国主命は九州北部から新潟県を商圏にしている。(但し、出雲神話のスサノヲは高天原の素戔嗚尊と出雲国の速須佐之男命は別人とする見解がある。上記では、交易商人は高天原のスサノヲで、宮を建てたのは出雲国のスサノヲとなろうかと思われる)それぞれが後世の神殿となる建物を出雲国に建てさせたのかとも思われるが、時期的にはかなり早い時期(西暦1世紀乃至2世紀の頃か)からその種の建物があったのではないかと推測される。

結 論

神社の起源は、まず、「磐座(いわくら)や神の住む禁足地(俗に神体山)などでの祭事の際に臨時に建てた神籬(ひもろぎ)などの祭壇であり、本来は常設ではなかった」かも知れないが、日本海側の地方では早い段階から神殿類似の建物ができ、周りも狩猟場のように厳かなものに整備されていったのではないか。これに対し、大和国の大神神社に見られるように神殿はなく遙拝所のみという神社も内陸部を主として維持されていたのではないかと思う。建物も高床式は海岸沿いに多く、竪穴式は内陸部に多かったのかも知れない。

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神社の起源 への4件のフィードバック

  1. 渟田門 より:

    はじめまして。
    神社・神道って、御神体じゃなくて、宮司が社殿の中で祈祷しているのを、社殿の外から拝むのが不思議です。
    魏志倭人伝の「大人の敬する所を見れば、但だ手を博ちて、以て跪拝に当つ」は、
    この慣習の元ネタになった当時の風習を観察したものなんじゃないかな、と思ったりします。
    なのでやはり、神社の社殿は、司祭階級の屋敷が元ネタなんじゃないでしょうか。
    Tomさんのおっしゃるように、神が精神的な存在でなく実在の商人で、彼らに対する挨拶の方法が、神道の作法になったのかもしれませんが。

    • tytsmed より:

      拙文をご覧いただきありがとうございます。
      >御神体じゃなくて、宮司が社殿の中で祈祷しているのを、社殿の外から拝む
      >のが不思議です。
       あれは、神主さんを拝むのではなくその奥の鏡などのご神体を拝んでいる
       のではないでしょうか。どの宗教でもそうなっているはずです。
      >魏志倭人伝の「大人の敬する所を見れば、但だ手を博ちて、以て跪拝に当
      >つ」は、この慣習の元ネタになった当時の風習を観察したもの
       「手を博ち」は今の柏手と思われ、「跪拝」は正座のことかとも思われます。
       貴殿の見解が正鵠を射たご見解かと思われます。
       但し、大人は屋外にいたのではないでしょうか。 
      >神社の社殿は、司祭階級の屋敷が元ネタなんじゃないでしょうか。 
       私見は、上古において司祭(神主)がそこまで宗教(神)に密着していたかは
       疑問ですが、何人(なにびと)かの豪邸が神社の起源となったことは考えら
       れなくはないと思います。しかし、ひもろぎがどうして神殿へと格上げされ
       たのかも検討しなければならないと思います。

        

  2. 渟田門 より:

    お返事ありがとうございます。
    寺にしろ教会にしろ建築の中で拝むのに対して、神社は基本的に神職以外は建築の外から拝むのが、他の宗教と違う点だと思います。
    もちろん拝んでいる本人は神職ではなく、秘された御神体を拝んでいるのでしょうが、
    客観的には大人(神職)に最敬礼しているように見えたので、件のコメントさせてもらいました。

    • tytsmed より:

      >神社は基本的に神職以外は建築の外から拝むのが、他の宗教と違う点だと思います。

      これは神社の起源にもよりけりだと思いますが、もし三内丸山遺跡で墓地の横に作られていた高床式建物が一般に言われるように神殿とするならば、儀式は現在の寺や教会(即ち、建物内)のような形で行われたのかも知れません。何分にも当該地は冬場は雪などが降り外で諸行事を行うことは難しいと思われます。また、祠などの小規模な建物から出発したのなら当然建物の中に人は入れなかったので、現在のような形になったかと思われます。

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