日本の庶民神話

はじめに

日本神話の解説を見ていると「縄文から弥生にかけて伝播したと思われる『南方系』の話素と、それらより後の時期に朝鮮半島経由でもたらされた『北方系』の話素があるという。前者は、『日向神話』、『伊弉諾伊弉冉神話』などに顕著であり、後者は、『高天原神話』などに顕著であるという。特に、『高天原神話』は記紀の神話の核心となる部分であり、インターネットのサイトでも詳細に検討しているところが多い。それによると、北方系神話とは古代ギリシャに淵源を発し、イラン系遊牧民(代表的なものとして、スキタイ人)、アルタイ系遊牧民(代表的なものとして、テュルク人、モンゴル人、匈奴)を仲介者に朝鮮半島から日本にもたらされた、と説く。ギリシャ神話と高天原神話は偶然の所為と思えぬほど顕著な類似が見られるという。王権は天に由来するというアジア版王権神授説とも言うべき思想(日本神話もその一部か)は、朝鮮半島の北に広がる北方ユーラシアの遊牧民族が古くから持っていた王権思想であり、朝鮮半島では、高句麗、百済、新羅、加羅などが取り入れていた。日本でも埼玉県稲荷山古墳出土鉄剣に「吾左治天下令」と読める部分があり、既に雄略天皇の頃には「天下」とか「天帝」とか「天命」の概念があったのかとも考えられている。また、熊本県江田船山古墳出土鉄刀に「台天下獲□□□鹵大王」とあり、「天下」の文字が見える。雄略天皇は、倭の五王『武』として強く中国にコミットした天皇であり、中国の模倣がこの頃から始まったのではないかと思われる。ところで、「ギリシャ神話」と「日本神話」の関係だが、偶然以上の類似性とか、大筋から細部にわたってまでの類似性とかいろいろ言われているが、もし、それが事実ならこの伝承は単なる口承ではなく、文章による伝承ではなかったか。具体的に言うと、日本(記紀の素材となる説話)には各国の神話に相当する部分がなく、外国人執筆者に「それはおかしい」と言われ、急遽、外国から書籍を取り寄せたのではないか。その外国も、日本書紀の引用や丸写しが中国文献からのものが多く、中国ではなかったか。おそらく、古く胡人(ソグド人)により中国へもたらされたのではないかと思料する。朝鮮半島と言っても高句麗、百済、新羅などからの移入はなかったものと思う。そもそも、この王権思想は長い年月を経て口(くち)から口へと言い伝えられたものではない。現代でも書籍の巻末に参考文献としてたくさんの書名が上げられることがあるかと思うが、その類いの話ではなかったか。記紀は天皇家の論理、もっと言うと天武天皇の王権願望とも言うべき思想で書かれており、「王権は天に由来する」という思想も朝鮮半島の諸国とは異なり古代ギリシャから時間をかけて日本に伝わったわけではなく、中国から文章により伝わったものであろう。騎馬民族征服王朝説とか遊牧民の来訪などは信じられない。騎馬の習俗のない日本に騎馬民族がやって来たなら、いわゆる、「ケンタウロスの伝説」的伝承があっても良さそうなもの。また、日本は国土が狭く遊牧なんて発生しなかった。したがって、騎馬民族征服王朝説でもとらない限りギリシャ神話が人とともに日本に入ってきたとは考えられない。最近では、法隆寺のエンタシス=ギリシャ起源説さえも学問的にはまったく根拠がないと否定されている。王権思想が必要なのは天皇だけである。庶民にはそんな王権思想は必要がなかったし、天皇家も万世一系かどうかは疑問を持つ人が多い。万世一系が確固たるものになったのは記紀編纂の頃であり、その頃から天皇神話が必要になったのではないか。なお、縄文、弥生神話的なものとして「日向神話」が上げられている。一説によると、現在の鹿児島県人(古代の隼人族の末裔か)にはインドネシア人と血液指数、指紋指数が類似の人が多いという。いわゆる「海上の道」を伝ってインドネシアから鹿児島にやって来たのであろうか。その人達が「日向神話」を伝えたのであろうか。しかし、薩摩、大隅、広く日向に文字があったとは考えづらく、また、語部がいたと言う記録がない。宮中では守護、芸能、相撲、竹細工などを行ったという。芸能の中には「隼人舞」もあったかと思われ、芸能は口承(口伝)が多くその中に「日向神話」もあったのだろうか。とは言え、隼人族が大和朝廷と戦いながら、神話を保持していくというのは大変なことと思う。話の筋はインドネシア的であっても出てくる人名(神名か)は大和的で、これまた、文章で日本に持ち込まれたものを日本風にアレンジしたものではないか。大和語と隼人語にはかなりの違いがあり、その先のインドネシア語とはさらに違いが顕著ではなかったか。ことほどさように、人が口伝えで思想やものの概念を伝えるのは難しいことと思う。

庶民の神話は何か

縄文時代の土偶などの偶像崇拝的なものは弥生時代に入ると徐々に廃れてしまい、米、米、米の弥生時代では水稲稲作に必要不可欠な「太陽」「水」「土」の崇拝ないし信仰が盛んになる。当時の日本は強力な中央集権国家ではなく、現代流に言うと地方分権国家であり、各「クニ」に太陽神や国霊神、水神が祀られていたと思う。しかし、大和朝廷の国家統一がすすむと、そのうち、太陽神は天照大神に収斂され、国霊神は倭大國魂神に収斂された。水神に関しては大和国に強大な権力者が管理するような大河がなかったのでその必要性を見なかったようである。世界的には始祖伝説に、王朝の開祖は天帝と河の神の娘の間の子とするものがある。(高句麗神話、スキタイ神話など)日本でも神武天皇は盧茲草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)と海神の娘玉依姫尊との間に生まれたので高句麗やスキタイの始祖伝説と同類とする見解もあるがいかがなものか。ここで問題なのは、天皇家が庶民の崇拝ないし信仰の対象である、太陽神や国土神を独占していることである。よほど米に執着していたのか米作りの神は我が家の始祖神とまで言っているような感じだ。これじゃあ庶民の出る幕はない。そのせいか、日本には太陽信仰や太陽崇拝の痕跡が乏しいと言う。太陽崇拝が盛んなところは、天体観測も盛んなようで天体の運行が人間の行動を規制する、と考えるようだが、日本にはそういうところがない。古代の天皇家のカレンダーは農業の生産性を上げるのには何の役にも立っていなかったのではないか。日本の庶民の神話は大和朝廷の干渉を受けなかったアイヌ人や琉球人に残されているようだ。世界的に見ると王権神話の始祖神は全部男性であり、女性は日本の天照大神だけという。これは庶民神話を天皇家が取り上げたのでこんなことになってしまった。皇祖神が高皇産霊神から天照大神に転換したと言う説もそこいらを言ったものか。高皇産霊神や天照大神は天皇家とは何の関係もない始祖神であった。

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