高皇産霊神とは

はじめに

日本の国家神、皇祖神は「天照大神」ではなく「高皇産霊神」というのが某女性教授のお説であるようだが、その先生が述べられているような「研究者の間の多数説」というのはいかがなものか。現時点の解説記事などを見る限りにおいては「そういう説もある」と述べるのがほとんどである。記紀では「古事記」の方が日本の国家神、皇祖神は「天照大神」説に傾き、「日本書紀」では「皇祖高皇産霊尊」とか「高皇産霊尊、大日孁尊」と列記して皇祖神は高皇産霊神を臭わせている。兎にも角にも、高皇産霊神は造化三神の一神であり、そういう神がなぜ神代七代の後の天照大神と同世代の人になるのかはなはだ疑問である。もっとも、我々は勝手に造化三神以下を縦系列の世代と解しているが、造化三神が一世代目、神代七代が二世代目、三貴子が三代目とすると造化三神と天照大神は祖父と孫と言うことか。まあ、記紀はなにがしかのつぎはぎで成り立っている書物でいろいろな矛盾があるのは当然で、我々はその中の自己に都合がよい部分を取り上げて自説を展開しているに過ぎない。

迷惑なお雇い外国人

卑弥呼女王の時代もそうだろうけれど、日本人は長い間文字の読み書きを朝鮮半島や中国大陸の出身者に頼っていたようだ。特に、正史の「日本書紀」は中国人にも見せなければならない、と無理をして漢文(中国語)で書いたようだ。その後の研究で「日本書紀」の大部分は中国人の筆になると言う見解もある。不思議なのは、中国人は簡単に日本語をマスターして日本人はなかなか中国語をマスターできなかったのか、と言うことである。一応、日本人が日本語を漢字表記(例、万葉仮名のようなもの)にするには、中国語特にその漢字の音をマスターし、日本語表記にする必要があるので当時はそのような余裕がなかったのかも知れない。
天武天皇が「日本書紀」の元となる「帝紀」「上古諸事」の作成を命じた(681年)12人のうち半数は皇族であり、半数は上毛野君などの豪族の一族であり外国人は見当たらない。いきさつは不明だがこの39年後(養老4年(720年)5月)に舎人親王が編纂を総裁した「日本書紀」が完成している。おそらく、冗長と言おうか異常に長い39年の間に総裁も代替わりして「日本書紀」の編纂に外国人の採用をみたものであろう。
「日本書紀」の原資料とされたものをみても「帝紀」「旧辞」となっており、「帝紀」と言うからには「天皇の記録」であり、記紀にある「神代」の部分はなかったのではないだろうか。「天皇の記録」とはこれ則ち「神武天皇」以降の記録ではなかったか。神武天皇以前の天照大神の子、孫につながるような話はなかったと思う。
しかるに、この天皇家の「帝紀」「旧辞」に嘴を容れたのが”お雇い外国人”で、おそらくこの外国人は複数で、中国人、高句麗人、百済人等であっただろう。30年経っても完成しなかったところに、「古事記」が奏上され、関係者も焦ってしまったのかも知れない。その中でも特に、中国人と高句麗人は自国の国史を引き合いに出し、「天子(天皇)の上には天帝という最高神がいる」とか「日光感精神話(太陽崇拝)」とか、まったく訳のわからない祖先神話を主張し、神武天皇の先にはさらに天上界があるはずだなどと説き、日本の編纂者はまったく思いもよらぬ話に当惑しただろう。無論、既に、「古事記」に天地開闢以下の「神代の巻」があるので一概に外国人がごり押ししたとまでは言えないが、「日本書紀」の方が外国の影響を受けていると思われる。「古事記」も神代の巻の素案をまって完成されたのかも知れない。

日本の神代の話は筑紫、出雲の地域統一の説話か

それでも何でも受け入れるのが日本人の良さと言おうか、総裁の舎人親王は「ないものはない」と割り切ったかも知れないが、その余の日本人編纂者は彼我の資料を検討し、いわゆる、「神代」の巻を追加したものであろう。その時の日本側の資料は出雲国の事代主命等が大和に持ち込んだ、筑紫と出雲の地域統一史が大いに参考になったのではないか。本来は人間の闘争の話を神話に格上げし、それぞれの地域史の主人公は神に祭り上げられたのである。その際、紛争を繰り返していた筑紫と出雲をそれぞれ「高天原」(天上界)と「葦原中国」(地上界)に設定し、神話の内容は地域統一の過程で起こった話をそのまま援用したのであろう。

「神代」の巻で追加したもの

1.「天上界」即ち「高天原」の創設である。この種の世界はこれまでの日本にはなかった概念で中国の史観の影響を受けたものであろう。モデルは「魏志倭人伝」の末盧国、伊都国、奴国、不彌國で、特に、「高天原」は奴国の中心地であったとされる「須玖岡本遺跡」か。奴国は大国主命統治下の不彌國に破れ「那珂遺跡」から「須玖岡本遺跡」へ移転したものか。一応、末廬国以下の国王を比定すると、末廬国は月読尊、伊都国は天照大神、奴国は高皇産霊神、不彌國は素戔嗚尊となるのではないか。四者の内、実名らしきものは「素戔嗚尊」だけで、月読尊(月神)、天照大神(日神)、高皇産霊神(皇祖神か)は実名らしきものはまったくわからない。即ち、これら月読尊、天照大神、高皇産霊神の名は「帝紀」「旧辞」の編纂者が作出したもので当然ながらその存在を否定する見解もある。月読尊はツクヨミと読む見解が多く、元の名は何か「筑紫」に関係があったか。天照大神も太陽神ではなく海洋に関係があった名前だったか。高皇産霊神はまったく九州に似つかわしくない名前で、「古事記」に言う別名「高木神」は長崎県の旧郡名「高来郡(たかきぐん、たかくぐん)に由来する名前か。あるいは、神武東征で熊野から大和に入る際に「高木大神」の名が出てくるので現在の熊野本宮大社あたりにいた有力豪族を高木大神としたものか。要するに、高皇産霊神と高木神は別神であろう。但し、「日本書紀」では高天原は「古事記」の冒頭部分を紹介する程度の記載なので「高天原」の概念は採用するところではないのかも知れない。また、豊前、豊後、筑前等にある高木神社は前身が現英彦山神宮の末社である「大行事社」であるという。九州北部に自然発生した神社ではないようだ。高良山の高樹神社も英彦山神宮が高良大社乗っ取りに失敗し、神社だけを残したものか。高樹神社は古く高牟礼権現と言ったという。牟礼とは朝鮮語で山を意味し、日本語では村を意味し、高樹とは若干意味が違うのではないだろうか。
2.太陽神、皇祖神、国家神の創設。これらは中国、高句麗双方の影響か。日本にも弥生時代に入り水田稲作が主流になると太陽神信仰が発生したという。したがって、太陽神信仰は地域、地域に存在し国家の太陽神が必要になった理由は何かと言うことだ。あるいは、天照大神とは大袈裟に言うと各地の太陽神を国家神道に統一する際に作出された神なのか。皇祖神、国家神については天照大神なのか高皇産霊神なのか論争があるようだ。最初の皇祖神・国家神は高皇産霊神だったが、天武天皇が出てきて伊勢神宮ともども天照大神を皇祖神・国家神にしたというもの。高皇産霊神は「古事記」では「高御産巣日神」と書くのでムスヒのヒは日のことでムスヒとは「万物を生成する日」と言う意味だと主張しているが、これってこじつけの範疇に入るものではないのか。「ムスヒ」にはいろいろ意味があるとは思うが、私見では「結び」と解し、「結び」とは一本の紐などの両端をつなぎ合わせエンドレスにすることではないか。即ち、『高皇産霊(タカミムスヒ)」とは「天皇(現代の用語で言えば「天皇制」)よ、永遠なれ」』と言うことであって、しかも、奈良官僚が作出した神名であって、こういうことに蘊蓄を傾けるのはいかがなものか。

まとめ

天照大神にせよ高皇産霊神にせよ元々日本にはなかった神(人物)であり、九州北部の諸豪族(漢籍で言う国の王)をモデルに作出されたものである。私見で言うと、天照大神(伊都国の女王)と高皇産霊神(奴国の王)は夫婦で大国主命の不彌國に対抗しようと現代流に言うと二国が合併をしたと言うことであろう。あまりパッとしなかった夫に比べ天照大神は積極果敢に大国主命に対抗し、ついには大和国の神武天皇の助力を得て大国主命に勝利したのではないか。そもそも、奴国はその中心地を「那珂遺跡」から「須玖岡本遺跡」へ移転するなどと言うのも奴国王が大して戦闘能力がなかったと解されるのではないか。要するに、奴国王は、歴代、商売上手だったが、腕力には弱かったと言うことだろう。博多商人がその後継者か。

(補記)

高皇産霊神は別名を「高木神」という、とあるが、多数説は高木、高城、高儀等をタカ(高)・キ(場所を示す接尾語)と解して高地集落としていて、特に、木とか、城とか、柵に結びつけて考える必要はないとしている。無論、字義通り高木神は高い木の神格化であり、高城は高地の砦と考える向きもある。もし、多数説の言うとおり高木=高地集落ならば高木神は高天原の神とでもなるのであろうか。「日本書紀」第九段本文以下では「高皇産霊尊は真床追衾(まとこおふすま)を以ちて、皇孫(すめみま)天津彦彦火瓊瓊杵尊を覆って降臨させた」としつこくあるので、高皇産霊神が本来の皇祖神説があることは上述した。また、律令制では、神祇官の八神殿の祭神の一つで鎮魂祭(天皇の御魂の鎮安をはかる祭儀)や大嘗祭や祈年祭(いずれも宮中の農耕祭式)で祀られていたという。高天原の最高神説から農耕神説までだんだん神格が下がってくるのはどういうことなのであろうか。

 

 

広告
カテゴリー: 歴史 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中