成人T細胞白血病リンパ腫

★歴史の話です

成人T細胞白血病リンパ腫(ATLL)の発症は、HTLV-1キャリアの分布と一致する。HTLV-1キャリアは東アジアでは日本人にしかいない。とは言え、わずかではあるが、他に沿海州からサハリンに分布している少数民族(ニヴフ)や台湾(先住民)に発見されている。東アジアで大きな人口を占める中国や韓国にはいない。世界的にはカリブ海や中央アフリカ、中南米にも分布している。感染のルートは(1)母子感染(授乳)、(2)性感染が主なものである。感染源としては男性にも女性にも可能性はあると思うが、少数ではあるが男性をあげる見解がある。この場合はY染色体ハプロタイプD2が感染源となるのであろうか。 歴史で問題になるのは、日本にやって来た人の移動経路で(1)樺太から北海道(2)朝鮮半島から西日本(3)南西諸島から九州南部をあげるのが一般的である。しかし、(2)の朝鮮半島から西日本ルートは、ことHTLV-1キャリアに関する限り、朝鮮半島にはHTLV-1キャリアはいないとされ、HTLV-1キャリアが伝来した可能性はないと思われる。なお、日本国内でHTLV-1キャリアの密度の高いところとして、北海道(アイヌ人45.2%<30年以上前の数値>、和人1.1%)、沖縄県(33.9%)、九州(7.8%)が主な地域である。即ち、北海道と沖縄の南北に偏在していると言うことである。ウィルスにも種類(亜型)があり、日本にはコスモポリタン亜型のうち(1)大陸横断亜群(2)日本亜群があるようであるが、これで北海道(大陸横断亜群と日本亜群が混在か)と沖縄(大陸横断亜群が優勢か)のHTLV-1ウィルスが別種とは決められないようである。また、論文作成者(本田徳鷹という人)の意図として作図によれば、沖縄のウィルスの多様性を主張するもののようで、「一般に集団が移動すると、起源地から離れるにつれて、元々持っていた塩基配列の多様性は減少する」というので、HTLV-1キャリアは沖縄が起源と言いたいのであろうか。なお、大陸横断亜群と日本亜群が分岐したのは14000年くらい前で、日本亜群が各子亜型に分岐したのは3300年から4200年前であるという。大陸横断亜群は大陸のHTLV-1キャリアに見られ、例えば、樺太ニヴフは6人中6人全員が大陸横断亜群であると言い、台湾や金門島でも高い値を示している。日本では、大陸横断亜群は、沖縄、加計呂麻島、高知、北海道、また、日本亜群は岩手、長崎、高知、加計呂麻島、北海道のHTLV-1キャリアに見られるという。

★日本のHTLV-1キャリアは北から来たの、南から来たの

大陸横断亜群と日本亜群が分岐した14000年前と言えば北海道旧石器人が北海道に居を構えた頃であり、沖縄では港川人がいたか、いなかったか、と言う頃ではないか。港川人は一説によると17000年前から18000年前に存在したとされる。おそらく14000年前では沖縄には人はいなかった公算が大である。何も分岐時点に沖縄に人が住んでいる必要はないであろうが、場合によっては隣国の台湾人から感染した可能性もある。ひるがえって、北海道を見てみると、当時は北海道、樺太、沿海州はつながっていて一つの地域をなしていたようであり、同じ地域のニヴフ人にもHTLV-1キャリアがあると言うことは、当該地域の一種の風土病のようなものではなかったか。病気と言っても潜伏期間が長く成人T細胞白血病リンパ腫(ATLL)が発症するのは50歳以上という見解が一般的だ。無論、旧石器時代に50歳まで生きる人はまれで成人T細胞白血病リンパ腫などという病気は存在しなかったと思われる。HTLV-1やATLLが顕在化したのは戦後のことである。HTLV-1キャリアの分布図を独立行政法人国立がん研究センターがん対策情報センターのサイトで見てみると、南西諸島、九州(特に、鹿児島、五島列島、長崎、佐世保、佐賀、北九州、宮崎、対馬)、隠岐の島、高知、宇和島、北海道などとある。俄然、西日本、特に、九州・沖縄が多いのであるが、興味ある地域として、東北の下北半島、三陸海岸、および、秋田県男鹿半島が載っている。遠近の差から言って北海道から伝染してきたものと思うが、北海道の旧石器人は津軽半島と下北半島の双方から本州に進出して行ったのであろうか。過般発見された青森県三沢市の五川目(6)遺跡では「西日本的な細石刃文化に類似した様相を呈しているとも思われます」(青森県公立発掘調査機関連絡協議会)とあり、津軽半島の湧別技法と相まって下北半島でも西海技法が始まっていたと言うことなのだろうか。また、「剥片を利用した掻器などの剥片石器の少ないことが特徴・・・これは、利用できる剥片や剥片石器が、本遺跡外に持ち出されたか、あるいは本遺跡が細石刃製作に特化した場所であった可能性を示す」とあり、五川目(6)遺跡は現代流に言うと下請け専門の工場だったのか。なお、津軽半島にHTLV-1キャリア分布が見られないのは、津軽の水田稲作は弥生人(中国人)が直接やって来て稲作をはじめ、ノンキャリアの弥生女性に縄文女性が押されてしまったからか。 同様のことは大和国にもいえるのか。そこで、南北のルートを見てみると、

北海道からのルート  いわゆる、細石刃の湧別技法ルートと同じ北海道から津軽半島、そして最終的には山口県にまで至ったものか。独立行政法人国立がん研究センターがん対策情報センターの「Geographical distribution of HTLV1 in Japan」にはないが、他にHTLV-1キャリアの地域集積性の高いところとして日本海側の秋田県象潟地方や能登半島などをあげる見解もある。いずれも海岸域にあったり、離島(隠岐の島)である。

沖縄からのルート  時代は下るが弥生時代中期に「ゴホウラ」(二枚貝)とともに鹿児島県に持ち込まれたものか。ゴホウラは九州北部などで貴人男性の腕輪に加工されたようである。国立がん研究センターがん対策情報センターの「Geographical distribution of HTLV1 in Japan」では先島、沖縄本島から一足飛びに鹿児島県が載っているが、途中の薩摩諸島(加計呂麻島など)をあげる見解もある。その後、九州の西海岸を北上し九州北部に到達したものと思われる。但し、ゴホウラは鹿児島商人が沖縄・奄美大島などに買い付けに出かけた、と言う説もあり、実際のHTLV-1の媒介者は鹿児島県人であったかも知れない。

★結 論

結論を簡単にまとめると、北海道旧石器人と沖縄あるいは鹿児島弥生人との活動にはかなりの時間差があり、まず、北海道旧石器人ないし津軽旧石器人が九州北部から九州西岸を周り鹿児島県の上野原遺跡に到達したのではないか。当時の日本人はヨーロッパ人と同じで温暖期には北に住み、寒冷期には南に住んで移動を繰り返していたか。上野原遺跡に「燻製製造のための連穴土抗15基」があったというのも気がかりなところで、私は寡聞にして「燻製」とか「乾物」などと言ったら北海道や東北しか思い当たらない。「倭の地は温暖、冬夏生菜を食す」(魏志倭人伝)の鹿児島県と半年間は食べ物が満足に得られない北海道・東北では全然違う。そもそも鹿児島県に燻製製造装置なんて必要だったのか。これは他の文化の継受かと思う。また、土器も津軽旧石器人がもたらしたものではなかったか。こんなことを言ったら鹿児島の人に「俺たちは東北人とは関係がない」としかられるかも知れないが、その昔、シベリアから南米アンデスまでいった人のことを考えると津軽半島と鹿児島県はほんの「指呼の間」ではないのか。ちなみに、南米アンデス山中のHTLV-1ウィルスの型と日本のHTLV-1ウィルスの型は同じという学者もいる。

沖縄県のHTLV-1ウィルスの塩基配列の多様性についてであるが、これは起源地からの遠近ではなく、他に原因を求めた方がいいのではないか。例えば、当該地の「気温」とか「湿度」とか、あるいは海を渡ってきているので海水の影響とかが考えられると思う。人類の発祥の地がアフリカであるのも気温が高い地であり、塩基配列の変化が早く、人類が滅亡せずにすんだのかも知れない。

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