アイヌ人と日本人

はじめに

アイヌ人と日本人と言っても、双方の男性にY染色体ハプロタイプD2(D2は共通であるが、他のCやNOはまったく異なるという調査結果もある)があり、女性はミトコンドリアDNAの構成頻度に若干のばらつきがあるものの双方はほぼ同じと言うことを見てもアイヌ人と日本人は元は同じと言うことは火を見るより明らかである。外見が大きく異なるのは、その後の混血の度合いが異なると言うことかと思う。人間同じ両親から生まれた兄弟姉妹であっても「うり二つ」とはなかなか行かないもので、ましてや、単にY染色体ハプロタイプが同じだからと言って顔かたちや体型体質などが同じというのはナンセンスな話である。どうやら日本人の祖先は男性がY-DNAがD2、女性がmtDNAがN9bのユーラシア大陸系の人種と男性のY-DNAがC1と女性のmtDNAがM7aの古本州島系の人種に分けられるようだ。人間にも生物相のブラキストン線が適用されるようである。古本州島系(現在の本州、四国、九州を合体した地域)と言うからこちらが日本人の元祖と思いきや必ずしもそうではないようだ。ユーラシア大陸系(現在の日本領土では北海道のみ)の人々が積極的に一衣帯水の地に進出したようである。それでは、C1がなぜ少数劣勢になったのかと言えば、何もD2がやって来て武力で殺害したり、物理的な排除を行ったりしたものではないと思う。D2は今でも漁村や農村で見かけるが、顔の彫りが深い、寡黙で黙々と働く、漁師や農家のお父さんで、C1は現代流に言えば福々しい顔をした腰が軽い男性でなかったかと思う。当時の女性N9bやM7aに取っては福々しい顔をして腰が軽いC1は一見仕事をしているようだが、ハード・プロダクトとも言うべき穀物や野菜、はたまた、魚介類を持ってくることが少なかったのではないか。まあ、共同作業にしてももらい分が少なかったと言うことか。それでは、家族を養うことは難しく女性陣もD2になびいたのではないか。嫁が来なければ子孫は残せず、C1は古本州島からも急速に姿を消していったのではないか。現在は2ないし5%と言う。

アイヌ人はいったい何者か

現代のアイヌ人男性のY-DNAハプロタイプは調査の仕方にもよるだろうがC3(10%)、D2(90%)何て言う統計もある。C3はニブフ系でD2が元来のアイヌ人というのであろうか。以前はアイヌ人も混血人種と言われたが、ニブフ、オホーツク人、アリュート人、カムチャッカ人(イテリメン人)などの混血はなかったのだろうか。もっとも、オホーツク人は在来の北海道擦文人とは没交渉であったらしく、北海道大学の増田隆一先生のミトコンドリアDNA塩基配列の解析ではニブフやウリチに酷似するという。忽然と現れ、忽然と消え、かつ、擦文人とは没交渉な人たちなので、今のアイヌ人に与えた影響はほとんどなかったのだろうか。あるいは、C3(10%)に含まれているのだろうか。もしくは、いわゆる、コロポックル伝説はアイヌ人とオホーツク人の交流の話とも考えられ、オホーツク人の伝承がアイヌ人にあると言うことは双方の交流をうかがわせる。また、アリューシャン列島人やカムチャッカ半島人は、北海道・東北の地名に別(べつ)・内(ない)の違いがあるのは樺太(内を使うこと多し)から来た人と千島(別を使うこと多し)から来た人の違いという説もあるが、千島の「別」を使う人はどういう人たちだったのだろう。アイヌ人とは通婚・混血はなく単にアイヌ人が単語の「別」を借用しただけなのか。 しからば、アイヌ人男性のY-DNAハプロタイプD2はどう解釈すればいいのだろうか。周りを見回してもD2民族はいないようなので元々北海道にいた、ないし、北海道が発祥の地とでも解釈すべきか。北海道では北海道旧石器文化、北海道縄文文化、北海道続縄文文化、北海道擦文文化を担った人々がいて、その後にアイヌ文化となるのでアイヌ人はアイヌ文化が出現してからの人種と考える向きもある。即ち、北海道の旧石器から擦文文化までの担い手とアイヌ人は別であると言うことか。私見では、北海道旧石器人からアイヌ文化人までは同じ人種であり、アイヌ人とは北海道旧石器人の北海道残留組の子孫ではないか。現在のアイヌ人と日本人の言語、風貌、風俗などが全然違うではないかと言われるかも知れないが、北海道D2と本土日本D2が別れたのはおそらく1万年以上前のことであり、その後の北海道D2の閉鎖性と本土日本D2の中国系人種との混血を考えればこのくらいの差異は当然ではないか。

結 論

以上を総括すれば、日本人は古本州島にいたY-DNA C1とmtDNA M7aと今の北海道にいたY-DNA D2とmtDNA N9bを元祖とし、その後のY-DNA D2の古本州島進出と相まって、今のように事務職や軽労働の農業のなかった時代にあっては力仕事に優るD2がC1を凌駕していったようである。D2は北海道残留組はアイヌとなり、古本州島進出組は縄文人となった。もし、Y-DNAハプロタイプD2とmtDNAハプロタイプN9bが現在も引き続きペアで活躍していたならば、おそらくアイヌ人と言おうか現代日本人も長頭、くぼんだ目、高い鼻梁など、現在の中近東や地中海沿岸の人たちと同じような人になっていたのではないか。身長ももう少し高くなっていただろうし、近隣諸国から奇異の目で見られたかも知れない。しかし、残念ながら中国の度重なる政変や動乱でボートピープルになった人や亡命してきた人たちで日本人もすっかりと様変わりしてしまった。即ち、中国人化してしまったと言うべきか。そのことは、Y-DNAならO2bやO3の0系が5割近くを占め、mtDNAならM7aやN9bは片隅に追いやられている。なお、アイヌ人は南方系と言い、その理由として、橇を使わないとか、着物が前あわせであるとか言われているが、橇は中国でも発達しなかったのは、経済性に問題があったという説もある。即ち、人間も満足に食べることができないのに、半年ほどの稼働で犬(犬ぞりの場合)を通年飼うのは非効率的であると。もっとも、犬ぞりの犬は潰して食べることができるという見解もあるがいかがなものか。着物は、そもそも着物の起源は防寒服であっただろうし、洋の東西を問わず現在のような着物の起源は一枚の布を魏志倭人伝に言う「その衣は横幅、但々結束して相連ね、略々縫うこと無し」であったのではないか。前あわせは東アジアにはボタンが入ってこなかったので、紐で合わせたからか。日本の前あわせは中国から入ってきたものであろう。

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