日本の縄文女性

はじめに

話は少し古くなるが、国立科学博物館の篠田謙一という分子人類学者の作成した「mtDNAハプログループの頻度」というグラフを見ていると、日本人の女性は、M7aタイプ(東北縄文人)、N9bタイプ(北海道縄文人)、混合タイプ(関東縄文人)の三グループに分類されるようで、M7aタイプおよびN9bタイプが元々日本列島にいた人で混合タイプは日本に来る以前に中国、朝鮮半島でユーラシア大陸のいろいろな人が混じり合ってある種の人種のようなものを形成したのかとも思われる。この混合タイプは現在にも引き継がれ中国人、朝鮮人、現代日本人(本土日本人と言うらしい)は同じような「頻度」にあるという。無論、人類はアフリカに起源を有し、アフリカから拡散したのであるから、混合タイプは別として、M7aおよびN9bの分岐・発祥の地があるはずで、M7aに関しては「黄海から東シナ海にかけての地域で生まれ、旧石器時代終わりから縄文初頭にかけて琉球列島経由で本土に拡散した」(篠田説)や「N9bはシベリア(沿海州)先住民にのみにみられる特殊な遺伝子型」との見解(多数説)や「N9bをもたらしたのは、北方系集団に限らない。西側では大陸から朝鮮半島経由で渡日した人々だった可能性もある」(篠田説)がある。これらを総括すれば、日本の女性は、樺太、北海道からの北方ルート、朝鮮半島からの中央ルート、琉球列島からの南方ルートの三ルートからやって来たと言うことか。

検討を加えると

M7aタイプについて言うと、「M7aは日本に、M7bは大陸沿岸から中国南部地域に、M7cは東南アジアの島しょ部に分布している。M7が生まれたのは、4万年前、各サブタイプが生まれたのが2万5千年前」と言う。このことから、一般にはM7aの発祥地は今はないが「スンダランド」もしくは黄海東シナ海にあった陸地と主張する人が多いが、中には「M7aは、シベリア南部から極東あたりが起源と考えられています」(崎谷満説)と主張する人もいる。言わんとするところは、M7bとM7cは南方の地域にあるが、M7aの日本は必ずしも南方とはいえないと言うことであろう。あるいは、M7aとM7b、M7cは離れすぎと言うことか。それに、篠田博士が作成した「各集団が持つ縄文・弥生人と相同なDNA配列の数」なる地図を見ても縄文人や弥生人と華南やタイ・ベトナム方面の近縁性は感じられない。沖縄人と言うが沖縄からは九州の縄文土器が発見され、水田稲作を始めた沖縄県人は九州南部の人という見解もある。畢竟、沖縄県人とは九州人のことであり、諸々のデータが本土日本人に一致するのも当然と言えば、当然なのである。それでは、日本のM7aをどのように解すればよいのか。私見ではおそらく稲作を携えて日本にやって来た江南の人々ではないかと思う。即ち、M7aを南方系とするなら、日本で南方系の要素が色濃いのは稲作であり、おそらく陸稲移入(6000年前)から水稲移入(2500年前)の間に日本へやって来た人々ではないか。極論すれば、M7aタイプ、N9bタイプ、混合タイプの中で一番新しいタイプではないのか。しかるに、M7aが北海道、東北、関東とすべての地域に見いだされるのはどういう理由なのか。日本では何事にも南方に起源を求める説(柳田国男・海上の道、埴原和郎・二重構造モデルの基層人、など)が強いが、データ的にそんな説は成り立つのか。無論、多くの日本の基層文化や産業、言語などは中国経由のものが多いだろうから、その中に紛れ込むことはあっても、直接にインドネシアやマレーシアから日本にやって来たとはならないのではないか。そういう意味で「崎谷説」も一理はあると思われる。それに「スンダランド」なる土地は人間が住むに適した土地なのかは疑問だし、沖縄と台湾は近縁性がないと言う見解もある(例、Y-DNAハプログループD2)。篠田説の「mtDNAハプログループの頻度」では、東北縄文人(個体数12)D4b、M7a(50.0%)、N9b(41.7%)となっており、東北地方は縄文中期以降はM7a(南方系、九州か)とN9b(北方系、北海道)のせめぎ合いの地だったのか。

結 論

M7aの考えられる起源と来歴については 1.元々日本にあった、即ち、日本発祥のハプログループである 2.スンダランドまたは黄海から東シナ海にあった平野からやって来た 3.シベリア南部から極東が発祥の地 などである。

1.元々日本にあった 根拠は前述篠田説の「mtDNAハプログループの頻度」の関東縄文人、本土日本人(現日本人)のハプログループの中にM7a、M7b、M7c、M8、M10、MとあってMの多様なグループがある。現在では日本にしかない。

2.スンダランドもしくは黄海東シナ海の平野から来た 現今の多数説と思われる。しかし、スンダランドや陸地だった黄海東シナ海から南西諸島を経由し九州へ、と言うルートはいかがなものか。おそらく、中国の江南を経由して九州に来たものではないか。

3.シベリア南部から極東が発祥地 この見解の優れているところはM7aが縄文時代に北海道、東北、関東いずれにも居たと言うことで、このことは旧石器時代に北の方からやって来て南下したことを示唆しているのかも知れない。大陸の東アジアの旧石器遺跡は中国なら華北、ロシアならシベリアに多いという。日本も例外ではなく旧石器の遺跡は北海道や東北、関東に多い。東北地方のM7a(50.0%)は統計資料の個体数(12)が少ないためで個体数が多いともう少し下がるのではないか。ちなみに、北海道縄文人(個体数44) M7a(6.8%)、N9b(65.9%)となっている。もっとも、当時の稲作の北限は青森県で急速な稲作普及とともにM7aが東北に大挙して移動したとも考えられる。 私見は、2.スンダランドから中国江南経由で来た、と考える。この人達が日本の稲作や南方の風俗を我が国にもたらしたと思料するものである。

N9bについては、関東縄文人の混合タイプの中には見られず、おそらく当時の中国や朝鮮半島の人々とは交流がなかったようで、もっぱらシベリアのアムール川流域、場合によってはバイカル湖周辺からやって来た人達のようである。即ち、細石刃文化を担った人々の女性版とでも言うべき人々であろう。現代日本女性にもこのNグループは受け継がれている。日本に北方文化的なものをもたらした人々ではなかったか。例として、竪穴式住居など。なお、沖縄の現代女性にN9bがあるからと言って縄文時代に相当する時代の沖縄女性にN9bがあったとは思われない。従って、N9bが北海道経由のほかに朝鮮半島経由で日本にやって来たと言う説には首肯しがたい。おそらく、旧石器時代や日本の縄文早期の時代はシベリアと朝鮮半島の行き来はなかったと思う。現代沖縄のN9bは後世北海道や東北から嫁いだ人などがいたのではないか。

混合タイプの人々は北海道や東北の縄文人とは違い現在アジアと言われる地域の人が一つの集団になったような人達で、いわゆる、アジアの落ちこぼれ、日本の落ちこぼれかと思ったが、そうではないようである。朝鮮半島からやって来たが、既存の九州人の厳しい選別にあい、「芸は身を助ける」ではないが「芸」(技術)のない人間は厄介者として大和の方へ追いやられ、大和からは関東へ追いやられ、関東が彼女たちの吹きだまりになっていたのかとも思ったが、ある程度まとまって来た集団ではないかと思われる。なぜ関東へ来たかは解らないが、大陸や半島とは違う環境にも慣れ順応性の高い日本人になったのではないか。少しずつ来れば九州でも食べさせてもらえたものを大勢でやって来たので九州ではだめと言われたものか。

常識的に結論を言うと、N9bは北海道、樺太、アムール川流域が一つの地域だったときにそこにいた女性と言うことになり、M7aが日本発祥とすると元々日本(古本州島・現本州四国九州)にいた女性と言うことになろうかと思う。いずれも日本の旧石器人や縄文人につながる人ではないか。日本の稲作に伴う南方的風俗は混合タイプのDやBに求められるべきか。

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