日本人、日本語は南方系か

はじめに

日本人の起源については東京大学教授であった埴原和郎説の「二重構造モデル」はつとに有名で、以前は通説的見解であった。しかし、現在は遺伝子研究の発達で過去のものになりつつあったが、過般、シンガポール遺伝子研究所(Genome Institute of Singapore) の「Scientific consortium maps the range of genetic diversity in Asia, and traces the genetic origins of Asian populations」というPRESS RELEASEの中で「Putative Pre-Historical Migration Routes of Asian Human Populations」と題した地図では日本人のご先祖様はTai-Kadai語族とAltaic語族の混合型のようで、いずれも南方起源で日本列島に来る前に混血しているような感じだ。しかし、このPRESS RELEASEでは北方のことには言及して居らず、北方にもほかの先住民がいたことを示唆している。従って、この研究結果報告をもって日本人の起源が南方系と言うことは決めつけられないと思うが、インターネットのブログ等を見れば、日本人南方起源説が有力とばかりに論じているものが多い。日本では人類学(形質人類学とか分子人類学など)とか集団遺伝学とか考古学などの研究者は比較的北方起源説を採る人が多いようである。こう見ると、南方起源説になびくアマチュア歴史家は横文字に弱いと言うことか。

北海道のプレ縄文人や縄文人は旅行好きだった

北海道には、「湯の里4遺跡」(上磯郡知内町・津軽海峡に面した町)、「柏台1遺跡」(千歳市)出土の琥珀玉(穴があり、加工されている)はいずれも科学的測定で2万年前の遺物とされている。文化庁のデータベースでも「湯の里4遺跡土壙出土品は、日本列島における墓制の起源を旧石器時代にまでさかのぼらせた点で重要である。しかし、それのみでなく北海道と大陸側の旧石器時代石器群の具体的な比較の手がかり、人や物資の交流・交易(玉類の原材であるダナイトはバイカル湖周辺の蛇紋岩【じやもんがん】地帯の原産と考えられている)、副葬品からうかがうことのできる習俗の実態を考えるうえでも貴重な学術資料といえよう」と宣っている。ところで、出土された琥珀玉は原産地が岩手県久慈市(畿内で見つかる例が多い)なのか樺太なのか、はたまた、バルト海産なのかはっきりしない。以前はバルト海産が通説かと思われたが今は何ともいえないようである。しかし、上記の文化庁の文章でも「玉類の原材であるダナイトはバイカル湖周辺の蛇紋岩【じやもんがん】地帯の原産と考えられている」とあり、バルト海説をむげに否定するのもいかがかと思われる。さすれば、誰がはるばる琥珀を北海道まで持ってきたか、あるいは、取りに行ったか、と言うことになる。玉類の原材であるダナイトも輸入品であり、琥珀も輸入品とすれば、先方から持ち込んだと言うより、北海道のプレ縄文人とも言うべき人が魚類や海草類の加工品を携え先方まで商いに出かけ物々交換で宝飾品を持ち帰ったものではないか。どこまで行ったかと言えば、バイカル湖まで行くと帰りがおぼつかなくなるので今の間宮海峡即ちアムール川(黒竜江)あたりまでだったのではないか。そして、ここが肝心なのであるが、交易ができたと言うことは言葉も通じたと言うことである。即ち、当時のプレ縄文人とアムール川流域の人は同じ言語(ツングース諸語か)ではなかったか。しかも、当時は北海道、樺太、沿海州は陸続きという説もある。もしそうなら、日本人の起源は北方起源(日本人バイカル湖畔起源説など)であり、言語も北方言語となるのではないか。もっとも、北海道がユーラシア大陸東端にあった半島の先端にあったと言うことになれば、大陸の言葉を話せてもおかしくはない。また、言語は1万年で基礎語彙の3%しか残らないと言う説もあり、2万年前となると二度ほど語彙の総入れ替えがあったとも考えられる。後述するように関東には旧石器遺跡が密集しており、また、細石刃剥離技術の「湧別技法」の拡散から見てもこれらは北方系の痕跡であり、シンガポール遺子研究所が言っている南方系のTai-Kadai語族はダメで、Altaic語族は何ともいえないと言うことになろうかと思う。当時は人口も少なく、現在で言う言語数も少なかったと思われるので、地球全体で見てもかなり遠くの人達でも意思の疎通が図れたと思う。 次いで、時代はぐーんと下って今から1800年くらい前の話であるが、北海道有珠モシリ遺跡(伊達市)で沖縄産のゴホウラ(貝)の腕輪をした遺骨が発見された。無論、北海道にはなく沖縄から持ってこなくてはならないものだが、これまた、誰が持ってきたかだ。熊本大学の先生のお説では沖縄人は貝を採取し、西九州の交易商が年一回買い付けに訪れ、全国(北部九州人がほとんどらしい)から交易商人が集まり取引が行われ、持ち帰るという。北海道の商人は最低限北部九州か西九州まで出かけたことになるが、おそらく彼らは沖縄まで足を伸ばしたのではないか。北方交易が一万年以上経って言葉も通じなくなり難しくなったので、南方に活路を見いだそうと南下を続けたのではないか。交易商品も北海道の乾物や干物で、現今の沖縄県で昆布の消費量が多い(那覇市が全国7位)というのもこのときの体験がDNAに書き込まれているのではないか。但し、「沖縄県はかつて日本産昆布を中国に輸出するための中継地点であったからに過ぎない」という見解もある。沖縄県で取引をした北海道商人は、その後、台湾やフィリピンにも行ったかも知れないが既に言葉が違い二度と行かなかったのではないか。即ち、縄文語とオーストロネシア語とは単純に語彙が違うと言うことである。但し、近時の有力説で上代日本語語彙の約八割はオーストロネシア語由来という説もある。山中襄太著「国語語源辞典」は広く世界の言語から語彙を集めているが、南も北も起源は同じという語彙が多いような気がする。以上より、旧石器時代や縄文時代の北海道商人はカヌー程度の船で船団を作りあちこちに出かけたようである。航路は日本海側が主であったらしい。また、上記以外にも1万3千年くらい前のものとして細石刃剥離技術の一つ「湧別技法」があり、北海道紋別郡西興部村の札滑型と北海道紋別郡遠軽町の白滝型があるが、札滑型細石刃核に関しては北海道から中国山地(岡山県苫田郡鏡野町旧上斎原村恩原)にまで分布が及んでいる。当時の日本の状況を見てみると、旧石器時代の遺跡は関東地方に密集しているが、これはシベリアから北海道に来た旧石器時代人の一団がその後も南下を続け関東地方で一段落したと言うことではないか。これは広大な平野部である関東地方が彼らの生活様式と合致したと言うことであろう。現代流に言うと降雪量の少ない、獲物を追いやすいところかと思う。また、こうして落ち着いた旧石器時代人を縄文人とは違うと言う見解もあるが、縄文土器が外部から移入されたという強力な学説もないことから、旧石器時代人が縄文土器を日本で考案したと考えるのが常識的ではないか。

日本人は南方系か、北方系か

北方系説の主なもの

・集団遺伝学者の根井正利教授説 日本人の起源は約3万年前から北東アジアから渡来し、弥生時代以降の渡来人は現代日本人の遺伝子プールにはほんのわずかな影響しか与えていない。具体的な混血率は下の松本説と同じか。

・分子人類学者の尾本恵市教授説 1997年に出した系統図では、本土日本人はアイヌや沖縄県人、チベットと近く、韓国人、中国人とは離れている。本土日本人は韓国人や中国人との混血は少ないと言うことか。

・人類遺伝学者の松本秀雄教授説 Gm遺伝子の分布によって、モンゴロイドは、「南方系」と「北方系」に大別される。そして、日本人のほとんどは「北方系」である。南方系モンゴロイドとの混血率は低く7~8%以下である。

・考古学者 弥生人(渡来系)の人数を1割程度に見積もる。

南方系説の主なもの

・人類学者の埴原和郎教授説 東南アジア起源の縄文人という基層集団の上に、弥生時代以降、北東アジア起源の渡来系集団が覆いかぶさるように分布して混血した。

・近時の”Genome Institute of Singapore”の見解。

上記の見解を統合するなら日本人の起源は縄文人にせよ弥生人にせよ北方起源と言うことになる。南方系遺伝子が混在しているのは、いわゆる弥生人の中に日本に来る前に南方系の人と混血していたわずかな人がいた。埴原説の「東南アジア起源の縄文人」というのは科学的根拠が薄弱と言うべきである。また、”Genome Institute of Singapore”の原日本人が日本に来る前に南方系(Tai-Kadai語族)と北方系(Altaic語族・但し、地図では中国が発祥地のようになっており、曖昧な図だ)が混血しているようになっているがその数はごく少数と言うべきか。結論は、日本人は北方系モンゴロイドと言うことになる。なお、日本語であるが、アムール川流域、樺太、北海道界隈で話されていた言語(おそらく、ツングース語の一種)が日本語の祖語であろうが、日本語はその後北海道が樺太と切り離された12000年~13000年前から大陸との人的交流も少なくなり(北海道人の関心が本州方面に向いたか)孤立言語の道を歩むことになったようである。古くからの学説として、日本語はツングース語とオーストロネシア語の混合語という説があるが、それはないと思う。文法はツングース語、語彙等はオーストロネシア語と言うもののようである。言語(言葉)は話されてこその言語であってツングース語系日本語に影響を与えるほどの話者(オーストロネシア人)がいたかははなはだ疑問である。人や物が入ってこないのに語彙だけが入ってきたというのはどう見てもおかしい。日本語を子細に見てみるとまず「あ」とか「い」とか「う」とか一音語で意思の疎通を図っていたようであり、その後、語彙を増やす必要性から接頭辞とか接尾辞(二音語とか三音語など)が開発されたのではないか。例として、「家」はとりあえずの住居として洞窟(岩窟)の中にいたときは単に「ゐ」ないし「い」(万葉集はこちら)(居)と一音語で言い、風雪をしのぐため開口部に「へ」(戸)を取り付けたら「ゐへ」(家)となったのではないか。すなわち、接頭辞や接尾辞は何も南方から導入したわけではなく日本で必要に応じて自然発生的に生じたものではないのか。上代日本語語彙の八割方は南方由来というのも、日本人の南方系由来の遺伝子がたかだか1割ということから言っても専門家のご意見とは言え再考を要するのではないか。コーカソイドの言語が似たような語彙でいくつもに分かれているように、モンゴロイドの語彙が言語は別でも似ていたとしてもおかしなものではないのではないか。付け加えるに、旧石器時代や縄文時代の日本の人口が東日本に偏っていたというのも、日本列島に来るのに韓半島経由より樺太北海道経由の方が簡単だったというのが正解ではないか。さすれば、日本人・日本語の起源が北方系と言っても差し支えないと思う。

Y染色体による系統分析 オクスフォード遺伝学研究所の見解によると「モンゴルから北中国にかけての地域で男性の8%、およそ1300万人に共通するY染色体ハプロタイプが検知出来た」「現在までにそのY染色体を引き継いでいる人物、すなわち男系の子孫は1600万人にのぼる」「特有のY染色体の拡散の原因を作った人物は、モンゴル帝国の創始者チンギス・カンである」「東アジアの男性約1000人のうち3.3%に現れた特定のY染色体について、その共通祖先は清朝初代皇帝ヌルハチの祖父ギオチャンガに比定している」日本ならさしづめ何々天皇の推定子孫は何百万人と言うことか。これが事実ならY染色体による系統分析なんて余り意味がないのではないか。

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