和爾、鰐とは

はじめに

子供の頃には、王仁博士とか和珥氏とか人物の氏名に「ワニ」と言われても動物の鰐を連想し、まったくピンと来なかった。そもそも「ワニ」という語も日本語離れした外来語(中国語か)のように思われ、日本語慣れしていない言葉に感じられた。元より、爬虫類の「ワニ」は古来から日本にはいないものと言われ、どうして実物を見たこともないのにそんな言葉を導入したかわからないくらいだ。あるいは、「龍」とか「麒麟」のように架空の動物をそのまま受け入れたと言うことか。それにしては、「因幡の白兎」で鮫に「ワニ」と訓じ(但し、原文は和邇)「鮫や鱶の類いを出雲地方の方言でワニと言った」と注釈をつけている本もある。「ワニ」とは方言とはいえ古来からの日本語なのであろうか。また、地名でも「ワニ」というのが散見する。古代豪族「和珥氏」の氏名は地名に由来すると思われるが(現天理市和爾町)、海にも陸にも「ワニ」って、これ如何にという感じだ。

「ワニ」の意味

「ワニ」は爬虫類の鰐にせよ、地名の和爾にせよ、その語源に定説や有力説はない。爬虫類の鰐は1.割醜(われにくき)2.兄(あに)あるいは鬼(おに)3.海主(わたぬし)4.口をワンと開く5.バーニ(オロッコ語)6.熟飲(うまのみ)の反7.曲和(わに)などがあるが、いずれも通説とはなっていない。また、鰐の咢は「がくがくとかみ合わせる」の意と言うがそれなら鮫を見て「わなわなと震えた」即ち、「ワナ」から「ワニ」はどうか。
次いで、地名の和爾であるが、1.和珥氏およびその部民の居住地2.埴(はに)の転。これが通説に近いか。「は」と「わ」は交替するか。3.割(わ)土(に)の意(和珥氏は土器製造集団という。但し、当時の豪族は部曲と称する私有民を抱え、いわば自己完結型地域社会を作っていたと思われるので、さような部曲もいたと言うことであろう。和珥氏が土器製造の長と言うことではないと思う。天皇家ないし公の土器製造ないし陵墓築造は土師氏が行っていた。ほかに須恵器を作る陶部もいたが組織系統は不明。)4.鮫の意の鰐5.船のこと。4.5.は水辺に近い場所(大津市和邇や対馬市上対馬町鰐浦など)ではいいが内陸ではどうか。

結 論

爬虫類の鰐は、文献上最初に出てくるのが「古事記」で大国主神の「稲羽の素兎」と火遠理命の「一尋鮫」や豊玉毘売命の「八尋鮫(原文・和邇)」の説話であるが(ほかに日本書紀「事代主神化爲八尋熊鰐 通三嶋溝樴姫」)、いずれも海中の大型生き物のようである。但し、事代主神の三嶋は摂津国島下郡、島上郡あたりを言い、海とは違う。「稲羽の素兎」は出雲神話の中にあり、出雲地方では鮫のことをワニという、とあるので、「稲羽の素兎」に出てくるワニは鮫のことであろうか。
ところで、鰐(わに)に似た言葉に鷲(わし)がある。鷲の文献初出は「出雲国風土記」だそうで、鰐といい鷲といい山陰地方に起源がある言葉とも推測される。出雲地方ではワニとは普通名詞で大魚をいい、必ずしも鮫のことを言うのではない、と。また、ワシは浅草の鷲神社では読みは大鳥神社である。ワニが大魚、ワシが大鳥とするならば、両者の共通項として山陰地方の方言では「ワ」とは「大」を意味するのかとも思われる。ワシの語源も諸々あるが、「ワ」は大きい、「シ」は足(あし)の「シ」と同根の言葉で「鷲づかみ」の言葉通り、古代の人もその大きな「足」に着目して名付けたものか。
ひるがえって、ワニを見てみると、「ワ」は大きい、「ニ」は贄(にへ)と同根の言葉で、ワニとは本来は大きな供え物の意味か。贄は魚に縁のある語か、という見解(万葉代匠記)もあり、ワニとは鮫や鯨のような大型の海の生き物を言ったものか。即ち、古代にあっては、ワニ、ワシは神への最高の供物であったか。なお、「古事記」に豊玉比売命が出産に際し「八尋鮫に化りて匍匐(はひ)委蛇(もこよ)ひき」とあるのを、ことさらに現今の鰐のことと解するのはいかがなものか。八尋鮫とはこの場合はお産のために服を着替えた、と言うことではないか。また、事代主命の「事代主神化爲八尋熊鰐」というのも現代流に翻訳すればデートのために着飾って出かけた、と言うことではないか。また、「匍匐(はひ)委蛇(もこよ)ひき」というのもお産の仕方には地方地方によっていろいろあると言うことで、爬虫類の鰐と即結びつくかは疑問だ。後ほど、鵜茅不合葺命は豊玉比売命の妹である玉依比売命に養育されたと言うのも上記のお産が難産で亡くなったのかも知れない。なお、「鰐」のつく地名を見てみると、九州にも多いので「鮫」説は動かないと思うが、何やら「鮭」の生態を表現している感じがしないではない。たとえば、鰐石(山口県など。鮭は川底が小石か砂礫質で水の流れがあるところに産卵する)、鰐淵(島根県など。稚魚はしばらく沿岸にとどまり水温が15℃くらいになると沖合に出る)、鰐川ないし鰐瀬(長崎県など。鮭は河川を遡上する)、鰐口(新潟県など。鮭はしばらく河口付近に滞留してその後川を上る)など。また、釋日本紀卷十六に引く「肥後國風土記」逸文では、景行天皇が鱒魚麻須(ます)に似た魚を見て「爾陪魚(にべうお)と謂ふべし」と言ったとか。「にべ」は「にへ(贄)」のことで「ワニ」と関係があるのか。

地名の「ワニ」は、ワニはハニの転、と解する見解が圧倒的に多い。「ワ」は「ハ」と交替するようで、この場合の「ハ」は粘土を意味する言葉か。「ニ」は漢字で書くと「丹」で赤色を意味するのか。即ち、ハニないしワニは赤色の粘土を指すというのが大方の見解である。和爾坐赤坂比古神社というのも日本書紀に出てくる和珥坂下とか和珥坂上とかに関係があるのか。赤坂と和珥坂が対応し、赤と和珥は同じことを言ったものか。古代豪族和珥氏はこの赤粘土を朝廷に提供して産をなしたとも考えられるが、さような土地を所有していたのは和珥氏ばかりではないと思う。おそらく、和珥氏はこれに一工夫を加え朝廷で重きをなしたのではないか。それは何かと言えば、その赤土から取り出した顔料ないし染料ではなかったか。当時は赤色は特別の色であったらしく、その名も「赤染」氏なる一族があり、染物を家業にしたり、鉱山採掘の監督をした一族がいたようである。後世、和珥氏が金のなる木の和爾を放棄して奈良の春日に本拠を移したのは資源の枯渇からか。

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和爾、鰐とは への2件のフィードバック

  1. 千田 より:

    和邇は(わに)とは呼ばないんです。
    和邇子と書いて丸子(まるこ)

    綿津見のことですよ。

    われわれの先祖、海神。

    • tytsmed より:

      これは漢字の当て字の問題です。「丸」は古く中国では「ワン」と発音したようで、当時、日本にはワンの音がなかったからそれに一番近い「ワニ」と発音しました。丸子(まるこ)は後世の誤読と思われます。丸子がどうして綿津見になるのかわかりません。

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