ハチ・蜂・ハチス・蓮

はじめに

「はすをはちすといふも唯いふにあらず、はすのみの、はちというむしのすににたればはちすという也」(俊頼髄脳)と言う、源俊頼朝臣の先制場外ホームラン一発で勝敗は決したか、その後はこの一説にただただ連なるのみである。私見は、この千年近くに渡って賛同を得てきた説に異を唱えるものではないが、庶民が言うのならともかく、俊頼朝臣のような大宮人が「蜂の巣」を日常的に見て知っていたかははなはだ疑問である。それに、「ハチス」と言う言葉も既に「古事記」では雄略天皇の段に出てきており、かなり古くからある言葉のようである。日本で養蜂が始まったのは、「日本書紀」の「皇極天皇三年(643)に、百済の太子余豊が大和三輪山で養蜂をしていた」という記述を初出とする。
ほかに皇極天皇二年(642)説もある。こうしてみると、一般庶民が蜂の巣をまじまじと見ることができるようになったのはかなり後世のことではないか。無論、野生の蜂もいることだろうし、長野県、岐阜県(東濃地方)や富士山麓などでは蜂の子や蜂の巣を食用としているというので、こういう地域では早くから蜂の巣は認知されていたとは思うが、山岳地帯に偏っており、「蜂」が縄文弥生の時代から広く日本全体に知れ渡っていたかは疑問だ。しからば、「はち」とか「はちす」とは何なのだろうか。

ハチ・ハチス

「万葉集」では、蜂とか波知の語は見当たらず(但し、「蜂音」と書いて「ブ」音に当てる。蜂がいたではないか、という見解も出てくると思うが、蜂の漢字の読みが問題だ)、スガル(須軽、酢軽、為軽など)と言われていたふしがある。しかし、「スガル」とは何を意味するかは不明、と言う見解もあり、スガル=蜂とは断定できない状況だ。少なくとも、「万葉集」の時代は「蜂=ハチ」はメジャーな言葉ではなかったようだ。従って、万葉の時代より300年ほどさかのぼる雄略朝(西暦400年代か)に「蜂」を語源とする「蜂巣=ハチス」という言葉があったとは考えづらい。花蓮(はなはちす)の語はどうするのだ、というご意見もあろうかと思うが、以下に述べるように「ハチス」という土地に咲いている花の意味であって昆虫の蜂の意味ではないと思う。また、「古事記」大国主神根の国訪問の段で「入呉公與蜂室 亦授呉公蜂之比禮」と言い最初の方は呉公與蜂(むかでとはち)とありムカデとハチを分けるもののようだが、後の方では呉公蜂(むかではち、あるいは、むかでむし?)とあり、ムカデないしハチいずれか一種類の意味か。それに、蜂の字の読みもハチでいいのか。
ひるがえって、ハチとかハチスという言葉はどこにあるかと言うと、地名に散見する。ハチは「和名抄」の上野国佐伊郡反治(ハチ)郷(現・伊勢崎市八寸〈はちす〉町)が見える。ハチスの方は「和名抄」には出てこないが、あるいは初出の雄略記に出てくる「波知須」は、現・東大阪市大蓮の地か。大蓮は「おほはちす」→「おばつじ」→「おおはす」に転化したと言う説がある。私見では当地にあったという大蓮寺(だいれんじ)が誤読されて「おはすじ」と読まれ、それが「おばつじ」になったかと思うが、古代条里制の坪名(つぼな)があり、隣の衣摺(きずり)は物部氏滅亡の地という。古くから開けた地域かと思う。但し、地名が文献に現れるのは戦国時代になってからか。「ハチス」の地名は群馬県(伊勢崎市)のほか栃木県(大田原市・旧黒羽町)、長野県(飯山市)、愛知県(あま市)などがある。愛知県あま市は蜂須賀(大名家の蜂須賀氏の発祥地)となっており、ハチスではないが、同じ意味と思う。ハチスの土地の形状であるが、多くは扇状地や丘陵の扇端や丘端の段丘上の端にあり、端の先は川や海、湖などになっている。但し、多摩丘陵の先端の地である横浜や横須賀(三浦丘陵とも)は「ハチハマ」や「ハチスカ」とはならず、いずれも「横=ヨコ」となっている。一般に言われるように、丘陵がぎりぎりまで海岸に迫り、その横に突き出た浜や須賀を言うのであろうか。但し、異説に横浜は「浜横」、横須賀は「須賀横」が正で、「・・・の横」の意味という。「ハチス」の水利は揚水ポンプなどがなかった時代なので川などからは引かず、段丘上の湧水に頼ったようである。
ハチの語源も不明であるが、何やらハシとフチとを足して二で割ったような言葉で、古代では日本は多民族国家というのが一般的かと思い、端をハシと言った民族とフチと言った民族があり、意思の疎通を図るため二語を足して「ハシフチ」と言ったものを中略してハチと言ったとも考えられるが、現実的とは言いがたい。あるいは、ハチとあったが、hachiとかhaciをハシと発音する民族もあり、日本でもその影響でハチがハシに転化したか。但し、一説に古代日本語ではtとsは交替しやすいと言う説があり、何も二民族を持ち出す必要はないかも知れない。従って、ハチス、ハシスともに漢字で書くと端州(ハチス、ハシス、ハス)か。昆虫の蜂は、「ハ」は羽(はね)のハで原義は端(は)の意味で、「チ」は血(ち)、乳(ちち)などのチで動物からでる液体を言うのであろうが、蜂蜜はその最たるものとしても全部の蜂から蜂蜜類似のものがでるかは不明である。あるいは、古代ではハチとはミツバチを指し、ほかのハチは総称してスガルと言ったか。(英語のbeeとwaspの違い)万葉集にハチが出てこないのは養蜂が比較的新しいものだからか。なお、「チ」に関しては「霊」を当てるのが有力だ。古代では蜂は占いとか神事に使われたのか。
ここで著名な雄略記の「日下江の 入江の蓮 花蓮・・・」を例に説明すると、「日下江」は今の大阪湾かと思うが、「入江」は当時存在した干潟になる前の水深の浅い大潟で、汽水湖かと思う。その後の「蓮」は地名で今の東大阪市大蓮あたりを言うか。生駒山地山麓から延びた扇状地で日下入江との境を言ったものか。面積は大蓮と言うくらいだから広大だったのだろう。生駒山地の伏流水が表流水となるところであり、河川などに一本化してくれるとよかったのだが、あちこちに分流して湿地はもとより小池沼があちこちにできたのではないかと推測される。かってロイ・オービソンやリンダ・ロンシュタットで一世を風靡した「ブルー・バイユー=Blue Bayou」の古代日本版と言ったところか。「花蓮」はそこに自生した古代ハスないし原始ハスかと思う。群生した蓮は美しかったのではないか。

結び

以上より結論を言うならハチ、ハチスは昆虫の蜂とは関係がなく、地形ないし地質から出た言葉ではないか。ハチスが蜂巣(蜂の巣のこと)に結びつけられたのは平安時代に入ってからのものと思う。従って、源俊頼朝臣のお説は比較的新しいものかと思う。とかく、奈良方言と京都方言は全く異なるようで、前述の「スガル」も俊頼朝臣の頃には「鹿」のことといい、中には奈良時代の「スガル」のことを、一説に「蜂」ないし「サソリ」のこととし、万葉集のスガルはサソリだ、とびっくりするようなことをいう人もいる。言語は変遷するものなのでお前の言っていることは難癖以外の何物でもない、と言われればそれまでだが、語源にもいろいろあるという一例である。

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