大和と出雲

記紀には古代における大和と出雲の関係を書いた件(くだり)が多い。神代から律令国家以前の主な交流を記紀から拾い出してみると、

【1】日本書紀 卷第一 第八段 本文
是の時に、素戔嗚尊、天より降(くだ)りて出雲國の簸(ひ)の川上に到る。

【2】日本書紀 卷第二 第九段 本文
以ちて即ち經津主神に(武甕槌神を)配(そ)えて葦原中國を平(ことむ)けしむ。 二神、是に 出雲國の五十田狹之小汀(いたさのおはま)に降り到り、則ち十握劒を拔き、地に倒(さかしま)に植(つきた)てて、其の鋒の端に踞(あぐみい)て、大己貴神に問いて曰く、「高皇産靈尊、皇孫を降(くだ)し、此の地に君臨せんと欲す。故、先(ま)ず我(われ)二神を駈除(はら)い平定(やわし)に遣す。汝が意は何如。當(まさ)に避(さ)らんや不(いな)や」。 時に大己貴神(おおあなむちのかみ)對(こた)えて曰く、「當(まさ)に我が子に問いて、然る後に報(かえりごともう)さん」。 是の時に、其の子事代主神、遊行(いでま)して出雲國の三穗之碕(みほのさき)に在り。・・・・・・是に、二神、諸(もろもろ)の不順(まつろ)わぬ鬼神等を誅し、

【3】日本書紀 卷第五 崇神天皇
六十年秋七月 群臣に詔して曰はく、 「武日照命 ( 一に云はく 武夷鳥という 又云はく 天夷鳥という)の 天より將ち來れる神寶 出雲大神の宮に藏む 是を見欲し」 則ち矢田部造遠祖武諸隅 【一書に云はく 一名は大母隅也】を遣して 獻(たてまつ)らしむ 是時に當りて 出雲臣之遠祖出雲振根、神寶を主(つかさど)れり 是に筑紫國に往りて遇はず 其の弟飯入根、則ち皇命を被りて、神寶を以て、弟甘美韓日狹と子濡渟とに付けて貢り上ぐ。既にして出雲振根、筑紫よりここに還へり來きて、神寶を朝廷に獻ると聞きて、其の弟、飯入根を責めて曰はく、「數日當に待たむ。何をこれ恐むか。輙く神寶を許しし」と。是を以て既に年月を經(ふる) 猶、恨忿(うらみふつくむ)を懷(うだ)きて弟を殺さむという志(こころ)有 仍りて弟を欺きて曰はく 頃者(このごろ)止屋(やむや)の淵に多(さは)に藻生(お)ひたり 願(ねがはくば)共に行きて見欲し 則ち兄に往(ゆ)きて之に隨(したがふ) 是より先に 兄、竊(ひそかに)木刀を作り 形、眞刀(またち)に似る 當時(ときに)自から之を佩(は)けり 弟、眞刀を佩く 共に淵の頭(ほとり)に到りて 兄の弟に謂(かた)りて曰はく 淵の水、淸冷(いさぎよ)し 願はくは共に游沐(かはあみ)せんと欲ふ 弟、兄の言に從ひて 各々佩せる刀(たち)を解(ぬ)きて淵の邊(はた)に置きて 水中に沐(かはあむ) 乃ち兄先に陸に上りて 弟の眞刀を取りて自ら佩く 後に弟驚きて兄の木刀を取る 共に相撃つ 弟、木刀を拔くことを得ず 兄、弟飯入根を撃ちて殺しつ 是に甘美韓日狹 濡渟 朝廷に參向でて曲に其の状を奏す 則ち吉備津彦と武渟河別を遣し 以って出雲振根を誅す 故、出雲臣等是事を畏りて 大神を祭ずして間(しまし)有り 時に丹波の氷上の人 名は氷香戸邊 皇太子活目尊に啓して曰さく 己が子、小兒有り 而して自然からに言さく 玉藻鎭石、 出雲人の祭る 眞種の甘美鏡 押し羽振る 甘美御神、底寶御寶主。 山河の水泳る御魂。 靜挂かる甘美御神。 底寶御寶主也。 是は小兒の言に似らず 若しくは託きて言ふもの有らむ、ともうす 是に 皇太子、天皇に奏したまふ 則ち勅して祭らしめたまふ

【4】日本書紀 卷第六 垂仁天皇                                       廿六年秋八月 天皇、物部十千根大連に勅して曰はく、「屡(しばしば)使者を出雲國に遣はして、其の國の神寶を検校へしむと雖も、分明しく申言す者無し。汝、親ら出雲に行りて、宜しく検校へ定むべし」 則ち十千根大連、神寶を校へ定めて、分明しく奏言す。仍りて、神寶を掌らしむ。

【5】古事記 中卷 大帶日子淤斯呂和氣(おおたらしひこおしろわけ)の天皇(景行天皇)
(倭建命)即ち出雲の國に入り坐しき。 其の出雲建(いずもたける)を殺さんと欲いて、到りて即ち友を結びき。 故、竊(ひそか)に赤梼(いちい)を以ちて詐りの刀(たち)を作り御佩(みはかし)と爲し、共に肥の河に沐しき。 爾くして倭建命、河より先ず上り、出雲建の解き置ける横刀を取り佩きて、詔らししく、「刀易(たちかえ)爲(せ)ん」 故、後に出雲建、河より上りて倭建命の詐りの刀を佩きき。 是に倭建命、誂(あとら)えて云いしく、「伊奢(いざ)刀(たち)合わせん」。 爾くして各(おのおの)其の刀を拔きし時に、出雲建、詐りの刀を拔くを得ず。 即ち倭建命、其の刀を拔きて、出雲建を打ち殺しき。 爾くして御歌に曰く、「やつめさす出雲建が佩ける大刀葛多卷きさ身無しにあはれ」
故、如此(かく)撥い治めて參い上りて覆(かえりこと)奏しき。

以上を繙いてみると、【1】の素戔嗚尊の出雲國の簸(ひ)の川上への天降りについては、高天原が大和國にあったと仮定したらの話で、所在地には天上説、地上説、作為説があり、地上説にも大和國のほか九州各地、岡山県、群馬県、茨城県など多数がある。従って、素戔嗚尊が大和の人とは言いがたい。だいたい素戔嗚尊には畿内における活動歴が全くと言っていいほどない。この説話をもって出雲と大和が結びつくと考えるのは早計かと思う。【2】は、所謂、「國譲り」の説話である。「國譲り」と言われるものが本当にあったのか、はたまた、出雲は大和の軍門に降ったのかなど諸説紛々としているが、私見を言うとこの「國譲り」というのは神武天皇が出雲討伐を果たした説話であって、当時の出雲の盟主「大国主命」を調略であれ、武力であれ、いずれかにより神武天皇が制圧したと言うことであろう。「是に、二神、諸(もろもろ)の不順(まつろ)わぬ鬼神等を誅し」とあるのも、「出雲国風土記」に言う「野城大神」とか「佐陀(佐太)大神」などを滅ぼしたと言うことか。神武天皇は国主・大国主命の後任に天皇の出雲国の国造(くにのみやつこ)をおいたはずで、一般には現在の国造家の先祖が任命されたと解する向きが多いが、神武天皇の出雲平定に一番協力したのは後世の出雲国大原郡の豪族須我氏(実際になんと言ったかは不明。仮に須我氏とした)だったのではないか。現須我神社の祭神は素戔嗚尊(正確には須佐之男命と妻の稲田比売命、両神の子の清之湯山主三名狭漏彦八島野命)となっているが、これは須我命のことではないか。即ち、出雲国は出雲郡(大国主命)、大原郡(須我命)、意宇郡(櫛御気野命)と勢力の変遷を繰り返したのではないかと思う。いわば、大和と出雲は相似形ないしコインの表裏の関係で、大和の権力構造が変われば出雲の権力構造も変わった、あるいは、コインの表のデザインが変わったら裏のデザインも変わったと言うことかと思う。神原神社古墳から景初三年銘の三角縁神獣鏡が出土しているのも、神武天皇から卑弥呼女王の時代まで出雲国の権力者が大原郡に在住していたという証左ではないか。神原神社古墳の被葬者は国造一族の人であったかと思う。【3】と【5】の説話は同じものというのが通説のようである。どちらかが正でどちらかがその写しと言うことになるのであろうが、私見では皇位は、垂仁天皇から崇神天皇、景行天皇へと引き継がれたもの(ほかに中国の魏が認めた神武・・・(不明)・・・倭姫命(卑弥呼)、豊鋤入姫命(台与)の皇統図もあったと思うが、今で言うお家断絶で記紀には採用されなかったか)と思う。従って、崇神天皇と景行天皇は重なり合う人物であり、同じ話が崇神天皇の段と景行天皇の段にあるのは、原著作者がどちらかわからなくなり、古事記では景行天皇の段に、日本書紀では崇神天皇の段に記載されたものと思う。どちらが正かというと、私は景行天皇の方が正と思う。崇神天皇は「御肇國天皇(はつくにしらすすめらみこと)」と称えられているが、これは神武天皇の事績を反映したものではなく、事実上の国家統一天皇・景行天皇の事績を映したものであろう。また、当該説話は古事記では日本武尊の説話になっているが、日本武尊とは、おそらく、景行天皇のことであろう。私見では、景行天皇は但馬国の出身で、子供の頃より但馬國の豪族だった魏志倭人伝に言う伊聲耆(いほきと読むか)の下、播磨国や摂津国で狗奴国(吉備国か)と戦っていたのではないか。今でも戦争が常態化している國や地域では少年兵どころか子供兵が子供には重たいであろう軽火器などをもって行軍している図が週刊誌などのグラビアに載っている。彼の皇子の名にも五百城入彦皇子とか五百城入姫皇女とか言う名があるのも伊聲耆からの養子や養女だったのではないか。子供のみならず伊聲耆の当代一流の豪族(今で言う官僚か)としての権益をも継承し大和国の豪族として成長していったものと思う。子供の頃の景行天皇と成人になってからの景行天皇の一体化が図れず、二人の人物になってしまったのではないか。従って、【3】と【5】の説話は、景行天皇が出雲の大原郡出身の国造(須我命の子孫)を滅ぼし、意宇郡の豪族(現国造家)を景行天皇の国造とした説話であろう。ちなみに、須佐神社の須佐国造家は須我命の子孫か。

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