荒神谷遺跡ではどうして銅器が多かったのか

はじめに

荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡から大量の青銅器が発見され、日本中が大いに沸き立ったのであるが、発見から30年近くがたち、その後はあまり話題にもならなくなり、研究の進捗は如何にという感じである。以下、過去の主なる研究成果を列挙してみると、

銅鐸、銅剣、銅矛は原初はともかく日本に入ってからはほとんどが祭器と理解されている。銅鐸は神を招く鐘、銅剣や銅矛は悪霊をはらうもの、と考えられている。家畜の鈴が発展したものと解されている銅鐸はともかく、青銅の剣や矛ははじめから兵器として役には立たなかったと思われる。武器ではない銅鐸はもとより、元は武器であったと思われる銅矛は一括埋納されて発見される場合が多く、集落等集団の祭器であったと思われる。一つの集落には複数の銅鐸や銅矛は必要ではなかっただろうから、最後はある程度の地域単位で埋納されたと考えられる。ことほどさように、青銅は最初から実用性に乏しい金属だった。銅剣だけが、後世の「守り刀」よろしく墳墓の中にまで入れたものであろうか。従って、青銅器は大和朝廷(神武天皇)が国家統一をして廃棄を命ずるまでもなく、捨てられる運命にあったと思われるが、荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡の大量の青銅器を埋納したことに対しては諸説が林立している。以下、主のものを列挙すると、

【1】「政治的・宗教的危機などで埋めた」
埋納の時期にはこれまた諸説あるが、最大公約数では西暦一世紀もしくは一世紀から二世紀というところである。この頃は、所謂、記紀に言う大国主命の「国譲り」の時期に当たり、中継貿易業者として大和にも九州にもいい顔をしていた大国主命が双方から攻められて、以前に大和から九州に届けるように依頼された銅鐸と九州から大和へ届けるように言われた銅矛を、中継点の出雲で重たい青銅器を一部下ろして自分の交易品と代えて商売優先をはかり、大国主命の手元に置いておいたが、ばれるのを恐れてそれを隠してしまったものか。そもそも、当時の韓半島ないし中国大陸との交易には魏志倭人伝に言う「伊都国」や「奴国」それに投馬国(出雲か)が多大な影響を与えていたと思う。たとえば、魏志倭人伝に言う魏の皇帝から邪馬台国の卑弥呼女王へ贈られたご下賜品も、本来なら伊都国で国王が倭国の船でこんな大量な荷物を運ぶのは無理と考えたら、伊都国で全体の五割くらいを下ろし、投馬国でまた全体の三割くらいを下ろし、結局、女王の手に渡るのは全体の二割くらいだったのではないか。ところが、卑弥呼女王へのご下賜品には魏の外交団も随行して来たので、そんなこともできず、ものすごい日数を費やし、大和まで全量を運んだのではないか。三角縁神獣鏡が畿内に多いのも、卑弥呼女王が畿内在住の元諸国王やその子孫の豪族(例、葛城氏、蘇我氏、和邇氏、平群氏)たちに与えたからであろう。しかし、この見解に対しては東京文化財研究所という機関の異説がある。それによると、①鋳造は荒神谷の中または近隣で行われた②多くの場合、溶融した湯は1本ごとに用意されて鋳造された③鋳造されると1本ないし数本ごとに現地に並べていった④並べ順は島根県教育委員会の番号付けと逆で、Dー93から始まりC列、B列を経てAー1で終わった。A列が途中で終わっているのは、原料がつきたためである。⑤原料は中国から持ってきたものが主体で、時には既存の青銅器のスクラップや鋳造の際に生じる残りくずを混ぜることがあった。⑥330本を過ぎる頃から残りの原料が少なくなりスクラップを混ぜる率が多くなった。⑦鋳型を造るときのモデルとして原料とともに他地域から持ってきた1本(Aー26)は、終わり近くなって不要になり並べてしまった。以上を要約すると、青銅祭器は当初は別として晩期には埋納用祭器となり、鋳造されたものは造る片端から日の目を見ることなく地中に埋納された。並べた順は製造順であり、青銅祭器を埋納することにより豊作とか、大漁ないし大猟とかが祈念されたのであろうか。また、対馬や九州北部の銅矛は海に向いたところに埋納されている例があり、航海安全を願ったものであろうとされる。原料は原産国は中国で出雲には九州北部や畿内から持ってきたものらしい。従って、この見解を敷衍すれば、青銅祭器の終焉は、一般に言われる、大和朝廷の統一により廃棄命令が出たと言うよりは、全国的に埋納祭器になり、原材料がなくなるとともに造られなくなり、忘れられた、と言うことではないか。

【2】「三種の青銅器に同列の価値を認め、一緒に祭っていたことを裏付けた」
三種の青銅器にどのような宗教的意義を見つけるかは、今のところ至難の業である。神を招く鐘とか悪霊をはらうものとか言っても、銅鐸が鐘として使われた形跡のある遺物はごくごくわずかであり、銅剣を神主が振り回して悪霊をはらう光景もしっくりこない。ましてや、銅矛で悪霊を突き刺すなんていう行為は全くもって考えられない。「三種の青銅器に同列の価値を認め」なんて言うのは出雲独自の宗教観か。一種類よりは二種類の、二種類よりは三種類の祭器を埋納することによって、神威を高めようとしたものか。

【3】「銅矛圏は銅鐸圏の脅威によって埋めたもの、銅鐸は九州北部圏の勢力の象徴である「矛」の脅威によって隠したもの」
当時、銅矛圏と銅鐸圏が紛争を起こしていたかは疑問。無論、「倭国大乱」などの記録があることは事実だが、むしろ、【1】の出雲が九州北部と畿内に攻められていたのではないか。事案は出雲の三種青銅祭器大量出土の話であり、銅矛圏銅鐸圏の話しに持っていくのはおかしい。類例は銅矛圏、銅鐸圏にもあるかもしれないが、荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡のような大掛かりなものは出雲だけの発掘例ではないか。

以上より判断するならば、中国はもとより日本においても弥生時代晩期ころには青銅には実用的価値を見いだせなくなっていたのではないか。中国の「魏」から大量の三角縁神獣鏡(100枚という)が贈られてきたり、銅鐸や銅矛が一括埋納される例が多いのもそのためではないか。但し、東京文化財研究所の見解によれば埋納数は原材料の量に依存するらしい。価値の下落したものを買い集めたのが当時の「倭」(日本)だったのではないか。日本の中でも出雲がガラクタ収集に精を出したということか。科学的鑑定では鋳造された片端から埋納されたということなので、青銅祭器の終末期は埋納専用祭器となっていたのではないか。今で言う「鎮め物」のはしりか。もっとも、「鎮め物」は現在では地鎮祭に付帯し、敷地内の八百万の神を鎮めるために埋める物だが、弥生時代の青銅祭器はやや大袈裟に言うと全宇宙の神を鎮めるための物だったのだろう。

次いで、荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡で発見された銅剣や銅鐸から「×」印の付いたものが発見されたということで議論の対象になっている。東京文化財研究所の言うように鋳造した片端から埋納されて行ったと言うなら、刻印をつけた者は鋳造者であり、その理由も限られてくる。すなわち、1.神霊をここに結び鎮める2.工人もしくは工人集団の印3.まじない等があげられる。そして、この×印は荒神谷遺跡銅剣鋳造のモデルとなったと言われるA-26の銅剣にもあったようなので、出雲の工人は意味もわからずただモデルの銅剣を見て付けたのかもしれない。そこで、一般論としての×印の意味は、1.銅剣の×印はあの世で完全なものを手にしてもらうために、わざと傷つけられて埋納されたのではないか(梅原猛氏の説) 2.「 × 」マークは、「 乂 」 と同じで、漢字で「ガイ」と読み、金石文説 3.匈奴のシンボルマーク説 4.魔除け説 5.現今と同じバツ、ペケと同じ意味(私見)等。私見がなぜ×印が現在と同じ罰点とかペケという意味かというと、荒神谷遺跡で造られた銅剣はおそらく他の地域から持ち込んだ銅剣(A-26)を模倣して鋳造したものと思う。即ち、荒神谷遺跡銅剣の×印は思慮なくまねた何の意味も持たない無価値なものである。そこで、畿内で鋳造されたかもしれない加茂岩倉遺跡の銅鐸に描かれた×印について考えると、これは今で言う不良品で正規の製品と区別するため×印をつけたのではないか。文化経済的に後進国の畿内にあっては廃れつつある技術であっても価値のあるもので、傘下の国に当たる九州北部や出雲にそうやすやすと正規品を渡さなかったのではないか。即ち、×印のついた品は少し等級が落ちたものと思う。×印は簡単な記号のせいか古代のいろいろなものに散見でき、4.魔除け説も有力だ。但し、日本で×の記号が使用されたのは古代からであるが、それと対になる○が使用されたのは不明である。但し、唐古鍵遺跡の土器には竹の管を切って押しつけた○の印が3個あり、個数により文字を表したかもしれない、と言う見解もある(記号土器)。何でも○×の記号を使う国は現在では日本と韓国だけだそうで、その意味でも日本では古代も現代も意味が同じではないのか。蛇足ながら、先日、某家電量販店に行ったら買い上げ商品の商品バーコードの上にその会社の社名入りシールが貼ってあり、その社名の上をカッターナイフのようなもので弱い切り込みを入れ×印を付けていた。これって、所有権が量販店にはなくなったという意味なのだろうか。さすれば、古代に×印を付けるとは所有権の移動の意思表示をしたものか。

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