素戔嗚尊はどこの人

はじめに

記紀、ことに「日本書紀」では素戔嗚尊の高天原からの天降り先が複数にわたっており、はたしてどの説話が真実なものかわからないのが現状である。その主なものを「日本書紀」から書き出してみると、

日本書紀 卷第一 第八段一書第一

素戔嗚尊、天より降りて出雲の簸(ひ)の川上に降到る。(古事記では出雲国の肥の河上、名は鳥髪)
稻田宮主簀狹之八箇耳(いなだのみやぬしすさのやつみみ)が女子、號けて稻田媛(いなだひめ)を見て、乃ち奇御戸(くみど)に起して生みし兒は清(すが)の湯山主三名狹漏彦八嶋篠(ゆやまぬしみなさるひこやしましの)と號す。

「出雲の簸(ひ)の川上」と「出雲国の肥の河上、名は鳥髪」はいずれも通説は船通山と解している。稻田宮主簀狹之八箇耳は字義通り解釈すれば、稻田神社の神主、簀狹之八箇耳で後者が姓名であろう。また、稻田媛ともあるので「稻田」は地名なのかとも思う。簀狹(すさ)は地名で現今の姓であろうか。八箇耳が名で耳は原始的カバネを言うとの説もある。清(すが)は地名で現在の島根県雲南市大東町須賀(当時は要衝の地と見え、熊野大社(天穂日系国造家と紛争が起きたら一山越えてすぐ進撃する)や玉造温泉(温泉のみならず瑪瑙も採れた由)、東出雲町出雲郷(貿易港)へも近かったのではないか)、湯(現在の玉造温泉を言うか)、山主(宮主に対応する語か。周りに連なる峰々の所有者の意か。当時の出雲国はドングリ等の食料、薪等の燃料、道具を造る素材の石や鉱物資源等を山岳に依存し、田主より山主の方が上位にあったのではないか。稲作などは未だしの感がする)、三名(御名の意か)、狹漏彦(猿彦か)八嶋篠、即ち猿彦が姓で八嶋篠が名か。簀狹(すさ)と清(すが)は原義は「州処(すか)」で砂地を言うとの説が有力である。以上を要約すると、1.素戔嗚尊は高天原から簀狹ないし清にやって来て稻田宮主簀狹之八箇耳の女子稻田媛の入り婿になったか。後世の行脚僧を連想させる話だ。2.清ないし簀狹は現在の須我神社(島根県雲南市)界隈を言ったものか。但し、須我神社の本来の祭神は須義禰(すがね)命(風土記・大原郡海潮郷条)とする説あり。3.素戔嗚尊が天降ったのは船通山の山頂そのものではなく、後世の出雲国大原郡か。船通山の山頂に舞い降りた人がどうして川上から箸が流れてくるのを見ることができるのか、と言う人もいる。川上とは川口から上流ならどこでもよいと言うことか。ついでながら、現在の八重垣神社は須賀から出雲郷へ行く際の途中宿泊所で神魂神社は天穂日系現国造家がそれを真似たものではないか。

日本書紀 卷第一 第八段一書第二

素戔嗚尊、安藝國の可愛(え)の川上に下り到る。彼の處に神有り。名を脚摩手摩(あしなづてなづ)と曰う。其の妻の名を稻田宮主簀狹之八箇耳と曰う。・・・劒、尾の中に在り。是を草薙劒(くさなぎのつるぎ)と號す。此は今には尾張國の吾湯市村(あゆちのむら)に在り。即ち熱田の祝部の掌る神、是れ也。其の蛇を斷ちし劒は、號けて蛇之麁正(おろちのあらまさ)と曰う。此は今には石上(いそのかみ)に在り。是の後に、稻田宮主簀狹之八箇耳が生みし兒、眞髪觸奇稻田媛(まかみふるくしいなだひめ)を以ちて、出雲國の簸(ひ)の川上に遷(うつ)し置きて、長く養いき。 然る後に、素戔嗚尊、以ちて妃(みめ)と爲して・・・。

安芸国の可愛川は現在の江の川(ごうのかわ)のうち三次盆地より上流を言うという。素戔嗚尊が天降った地は現在の広島県安芸高田市吉田町にある「清(すが)神社」であるとされている。多治比川の旧称は稲田川と言ったと言い、また、稲田橋もあるという。素戔嗚尊の剣「蛇之麁正」は、今には石上に在り、と。「石上」については、奈良県天理市の石上神宮説と岡山県赤磐市石上にある「石上布都魂神社」説がある。「蛇之麁正」(布都御魂とも十握剣とも)は崇神天皇の時代に石上布都魂神社から大和国の石上神宮へ移されたと言う説もあるが、素戔嗚尊には畿内での活動歴がないのに畿内にあるというのは疑問だ。草薙剣が熱田神宮にあるのは、素戔嗚尊から天照大神に献上されて人手に渡り素戔嗚尊のあずかり知らぬ処となったからであろう。以上を要約すると、1.ここでもキーワードは清(すが)や簀狹(すさ)のようである。2.稻田宮主簀狹之八箇耳とは女性の名のようである。3.奇稻田媛が生まれたのは八岐大蛇退治後である。あるいは、この頃の日本は女系社会の国であったのか。日本書紀では本文とともに一書という異伝のうちここから八岐大蛇の話が出てくるが、それを敷衍すると、八岐大蛇とは後世の出雲国大原郡にいた小豪族の人々ではなかったか。八岐の岐は谷のことで、丁度、荒神谷のような地形を言ったのではないか。関東でもヤツ(谷津)とかヤト(谷戸)とか言われる地形である。日本人好みの地形なのかもしれない。八は後世の出雲国大原郡の八郷を示唆したものか。大蛇(をろち)は相対的に劣った人即ち小豪族を言ったものか。具体的には、大国主命の下位の豪族と言うこと。簀狹之八箇耳さんは現在の広島県三次市あたりから島根県雲南市木次あたりに進出して来たが、土地の小豪族にやられっぱなしで、近親婚の弊害に悩んでいた小豪族に負けるたびに娘を戦利品としてとられてしまったのではないか。(当時は中国にも生口と言う言葉もあるように人間が最高の戦利品だったようだ)そこで現れたのが須賀(雲南市大東町須賀)の小豪族須我命で彼も近親婚で悩んでいたので奇稻田媛との結婚を条件に援助を申し出たのではないか。結論は、大原郡の小豪族たちを集めて宴会を催し好きなだけ酒を飲ませて酔いつぶし、抵抗できなくなったところで殺してしまったのではないか。大量殺戮(と言っても、4人ほどか)は当時としても好ましいものではなく八岐大蛇という小道具が用意されたのではないか。須我命のその後は近親婚の弊害もとれて長男の清(すが)の湯山主三名狹漏彦八嶋篠や次男と思われる青幡佐久佐日古命など有能な息子ともども出雲国の東部を制圧したのではないか。即ち、須我命が素戔嗚尊と間違われたか。また、余計なことかもしれないが、八岐大蛇退治の時に発見されたという「天叢雲剣」は安来市にある宮山4号墓の鉄剣のことではないか。須我命は現代流に言うと礼儀正しい人で、殺害した土豪たちをそこら辺に埋めたりはせず、遠く現在の安来市まで運び(途中、揖屋で殯ーもがりーを行ったか)、宮山4号墓などに埋葬したのではないか。殺害された土豪の一人が鉄剣を持っていたものだろう。地元に埋葬しなかったのは土豪の遺族との後難を恐れたためだろう。

日本書紀 卷第一 第八段一書第三

素戔嗚尊、乃ち蛇韓鋤之劒(おろちのからさびのつるぎ)を以ちて、頭を斬り、腹を斬る。其の尾を斬る時に、劒の刃、少し缺けたり。故(かれ)、尾を裂きて看るに、即ち別(こと)にひとふりの劒有り。名を草薙劒(くさなぎのつるぎ)と爲す。此の劒は、昔、素戔嗚尊の許(もと)に在り。今は尾張國に在り。其の素戔嗚尊の蛇(おろち)を斷ちし劒は、今に吉備の神部が許に在り。出雲の簸の川上の山、これ也。

其の素戔嗚尊の蛇を断ちし剣は、今に吉備の神部が許に在り、と。吉備の神部とは前項では岡山県赤磐市石上にある「石上布都魂神社」との説だが、この項では「船通山」のごとく言っている。伝承の間違いであり、何か混同があるのではないか。但し、「出雲の簸の川上の山、これ也」を備前国赤坂郡鳥取郷と言う人もいる。特に、鳥取郷に鳥取上という地がありそれを鳥上というのだと。鳥取上(中・下)の地名がいつ頃のものか、奈良時代に鳥取上を略して鳥上というような表記法があったのか、石上が鳥上は疑問だが、桃太郎伝説の犬、猿、雉から連想すると犬飼に対し鳥飼があってもおかしくはない。鳥飼が鳥上となったものか。後世、地名だけが標準語系の鳥取となったか。いずれにせよ大和国の石上神宮にはない。なお、地名として岡山県赤磐市周匝(すさい)、岡山県久米郡美咲町周佐(すさ)がある。いずれも吉井川の段丘上の砂地にある。あるいは、吉備の神部が出雲の簸の川上の山へ引っ越し《吉備(狗奴国)が大和(邪馬台国)に負けて吉備の神部が神宝をもって出雲に逃げた》たとでも言いたかったのか。

日本書紀 卷第一 第八段一書第四

素戔嗚尊、其の子五十猛神(いたけるのかみ)を帥(い)て、新羅國に降り到り、曾尸茂梨(そしもり)の處に居す。乃ち興言して曰く、「此の地は、吾、居すを欲せず」。遂に埴土(はに)を以ちて舟を作り、乘りて東に渡り、出雲國の簸の川上に在る、鳥上之峯(とりかみのみね)に到る。
乃ち五世の孫、天之葺根神(あめのふきねのかみ)を遣し、天に上げ奉る。此は今に所謂る草薙劒ぞ。
初め、五十猛神、天を降りし時に、多(さわ)に樹種(こだね)を將(もち)て下る。 然るに韓(から)の地に殖えず、盡く持ちて歸る。 遂に筑紫より始めて、凡て大八洲國の内に播き殖えて青山と成さずは莫し。 所以に、五十猛命を稱(たた)えて有功之神(いさおしのかみ)と爲す。即ち紀伊國(きいのくに)に坐(いま)す大神、これ也。

何やら話が大袈裟になり、新羅国に天降ったという。しかも、高天原ではいなかった息子の五十猛神(いたけるのかみ)が一緒という。曾尸茂梨(そしもり)とは現在の韓国の「ソウル」との説がある。これには韓半島からもたらされたと言う説がある。即ち、「スサ」は根源には新羅の第二代王「南解次次雄」に淵源をもつ韓海人(からあま)を含む紀伊水軍によって朝鮮より運ばれた。その後、次第に複雑な祖霊的神格として紀伊より出雲に展開した、と。次次雄と須佐の古代における発音が似ていると言うのであろうか。素戔嗚尊は韓半島からやって来たと言う説はほかにもあるが(例、製鉄業者)、疑問だ。

日本書紀 卷第一 第八段一書第五

素戔嗚尊曰く、「韓郷(からくに)の嶋には、是れ金、銀有り。若し吾が兒をして御(しら)さしめき國に浮寶(うきたから)有らずは未だ佳(よ)からず。」
五十猛命(いたけるのみこと)、妹(いろも)大屋津姫命(おおやつひめのみこと)、次に抓津姫命(つまつひめのみこと)と曰う。 凡(すべ)て此の三はしらの神、亦、能く木種(こだね)を分け布(し)く。即ち紀伊國に渡し奉る。然る後に、素戔嗚尊、熊成峯(くまなりのみね)に居して、遂に根國(ねのくに)に入りましき。

この文章から判読すると素戔嗚尊は大陸系の無機質な岩山(それが、金、銀、鉄を産出しようとも)を否定し、照葉樹林帯の人、緑の森林がある山を好んだ倭人系の人ではなかったか。即ち、韓半島へは行ってはみたものの、生理的に素戔嗚尊には合わなかったのではないか。熊成峯は紀伊国の熊野山なのか出雲国の熊野山なのかは不明。

結 論

以上を要約すると、素戔嗚尊が直接天降りしたのは1.出雲の簸(ひ)の川上(船通山)2.安藝國の可愛(え)の川上(広島県安芸高田市)3.新羅國、曾尸茂梨(そしもり)の處に居す(韓国、ソウル)となるのだが、1.の出雲の簸の川上とは言われているような船通山ではなく、出雲国大原郡ではないだろうか。2. 安芸国の可愛の川上とは今の広島県安芸高田市の清神社かと思うが、この伝承は素戔嗚尊の伝承ではなく「稻田宮主簀狹之八箇耳」の家に伝わった伝承で、同家は安芸高田市から起こり、三次市、島根県雲南市へと拠点を移していったのではないか。二、三代で宍道湖南部を領土としており、国造家に対抗しうる強力な存在であったと思う。あるいは、魏志倭人伝の頃の国造家は「稻田宮主簀狹之八箇耳」家で、この家が崇神天皇ないし日本武尊に滅ぼされ、今の国造家に代わったのかもしれない。とは言え、土俗国造と言い、須佐国造なんて「国造本紀」にない、須佐氏(稲田氏)の系図ははなはだ心許ない等あまりいいことのない須佐国造家だが、あるいは旧国造家の系譜を引き継いでいるのかもしれない。記憶の記録が文字の記録になるのに須佐国造家は時間のかかりすぎと言うことか。3.韓国ソウル説は素戔嗚尊が対外貿易等に従事していた時の話が紛れ込んだものか。当時、ソウルには中国人が駐在していたと思われるので素戔嗚尊はおそらく当初より韓人ではなく漢人と取引をしたのだと思う。しかし、私見では素戔嗚尊が高天原を追放されてソウル市、雲南市、安芸高田市へ行くにせよすべてを陸路で行くことは無理で、海路も加わればその中心点は今の九州北部即ち「魏志倭人伝」に言う末慮国、伊都国、奴国、不弥国の範囲内ではないかと思う。当時の航海術では沿岸を航海する方法が一般的だったか。魏志倭人伝では上記四カ国のうち中心国家は伊都国のように記されているが、素戔嗚尊は伊都国を父から(おそらく、不弥国へ)放逐され、不弥国から他の三国によって根の国へ追放されたのではないか。素戔嗚尊と言うからには不弥国(今の宗像市か)に須佐という地名はあったのか。その根拠とするところは、「筑紫の宇佐嶋」については、豊前国宇佐郡宇佐説(宇佐市)と筑前国宗像郡沖ノ島(宗像市沖ノ島)が有力であるが、私見は若干位置を異にし、現在の宗像市のさつき松原海岸の先ではないかと考える。近時発見された「さつき松原遺跡」は海岸の砂浜にありとても人の住めるところではない。かなり陸地の海水による浸食があったものと推測され今は水没してしまったところに宇佐嶋や須佐の地名があったのではないか。土地がなくなれば地名もなくなったと言うことかと思う。宇佐にSをつければ須佐になる、と言う見解もあるが、そこまで言わなくとも萩市須佐の地名は宇佐が須佐に変わったものという。宇佐と須佐は交換しやすかったのではないか。なお、安芸国や出雲国、吉備国、紀伊国の素戔嗚尊伝説は記紀編纂時に出雲神話の素戔嗚尊の部分が未完成だったので記紀の編者が全国の須佐ないし須我の地から伝承を集めて編集したものか。従って、本来の素戔嗚尊とは関係ないものと思われる。和歌山県有田市須佐神社の須佐命神や島根県雲南市大東町須賀須我神社の須佐之男命は素戔嗚尊(元倭国ないし不弥国の王か)とは別系統の説話かと思う。但し、須我神社の祭神は須義祢命説も有力だ。読みも強引とも思われる「すがね」などとしているが、「すぎね」→「すきね」→「すくね」で、逆もまた真なりで「すくね(宿祢)」ではなかったか。従って、須義祢命には上に○○(宿祢)とあるべきところ、○○が脱落してしまったのではないか。もっとも、宿祢の語源を大名持命、少名彦名命の多名、少名の少名とするならば(古代豪族にも大名、小名の類いがあったものか)、名の前につく美称とも考えられる。宿祢はもう少し後世(野見宿祢が初出か)のカバネと思われるので、神代の説話にしては出るのが早すぎる。須我神社の祭神はやはり須我命が最適か。

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