魏志倭人伝の倭の国々

はじめに

 魏志倭人伝には当時の倭に入ってからまず対馬国から敵対国である狗奴国まで三十ヶ国が記載されているが、その国々の領域を考えてみるに、

1.対馬国 2.一大(壱岐)国、3.末廬国、4.伊都国、5.奴国、6.不弥国は比定地に問題があるにせよ、ほぼ現在の福岡県(対馬国、壱岐国、末廬国は長崎県か)の狭い地域にあることは間違いないと思う。同書にある「旧百余国」とあるのも九州北部地域にある国々と解されている。ことほど左様に、九州北部地域は大きくまとまりきれなかった地域であり、小国乱立の状態が恒常化していたようである。おそらく、各々の国は一日の単位で行き来が出来たのではないか。各国の王は王家同士の婚姻等を通じて連帯していたのであろう。しかるに、

 7.投馬国へはたぶん不弥国から水行二十日とある。不弥国が大国なのか、はたまた、投馬国が大国なのかは分からないが、不弥国が千余家、投馬国が五万余戸とあるから常識的には投馬国が大国で、水行二十日の多くを投馬国の領域を航行して、その中心部へ到達したものと思われる。8.邪馬台国はさらに大きく、卑弥呼女王の都するところへ行くには、投馬国から邪馬台国の外港に着くまで水行十日、外港から陸行一月にして女王の都に到達するという。従って、投馬国と不弥国(水行二十日)や邪馬台国(水行十日)の領土比率は分からないが、投馬国は大国ではあるがそのほとんどの領域が海に面しており、邪馬台国は海に面している地域もあるが、女王の都するところは内陸奥深くに入ったところであることが分かる。倭にはそのほかに「その余の旁国」とされる二十一ヶ国と狗奴国がある。

邪馬台国の領域はどこか

 邪馬台国の位置も特定されていないのに、その領域というのもおかしな話であるが、一応、博多湾岸沿いに国々があり、そこから一ヶ月の航海(水行二十日と水行十日を足したもの)となるとやはり投馬国や邪馬台国は九州ではなく本州にあり、しかも、瀬戸内海航路ではなく日本海航路を航行し、邪馬台国に到達したと解するのが一般的ではないか。そうとすれば、投馬国は出雲国(魏の使節が寄港したのは現在の東出雲町出雲郷あたりか)で、邪馬台国の女王の都するところとは、後世の大和国ではないか。ところで、邪馬台国であるが、魏の使節が理解したところは単に女王が都するところ(大和)ばかりでなく、後世の但馬、丹後、丹波、山城、近江、摂津、河内等を含んでいたのではないかと思われる。その意味では、日本のことを古代に「ヤマト」と言ったのも、有史以来早期の段階から日本の面積のかなりの部分が大和国(倭国)といわれていたのであり、日本を「ヤマト」と言ってもおかしなものではなかったのではないか。従って、国家草創の頃からすでに「敷島の大和国」と言われていたのではないか。投馬国五万余戸、邪馬台国七万余戸というのも、魏の随行員が体感(目測)面積から割り出した数値ではないか。おそらく、投馬国は後世の長門から因幡までの日本海沿いを言ったものか。従って、当時の主導国家は邪馬台国(大和国)、投馬国(出雲国)、奴国(筑紫国)で、高天原神話は邪馬台国が奴国から借用した神話か。狗奴国の戸数がでていないのは使節は狗奴国まで行ってはいないと言うことか。おそらく、狗奴国を吉備国とすると、その範囲は現在の加古川から広島県あたりまでの山陽道で、その戸数は六万余戸か。とにもかくにも本州に入ると国の領域は俄然大きくなるようだ。そうすると、大和朝廷発祥の地が現在の奈良県(磐余の地か)とすると、草創期の大王(おおきみ)たちは主に北上して領土を拡張したのであり、その到達点が、投馬国(出雲)であり、奴国(筑紫国)であったのではないか。従って、神武天皇が熊野から大和にやって来たと言う記紀の話は如何なものか。九州北部地域が大陸よりの先進文化をいち早く取り入れて先進国であったにもかかわらず小国分立で倭の統一を成し遂げられなかったが、国家の質より国家の量(領土の大きさ)に着目した大和朝廷は版図拡大を第一にかかげ常に前へ前へと駒を進めた。倭国大乱などと言っても国家統一の妨げにはならなかったと思われる。

後進地域の大和が国家を統一したのは

 倭には鉄の産地(吉備、出雲など)で名をなしているところもあるが、当時の産鉄は未だ実用化の域には達せず、鉄のあるなしで国の優位性が保たれたとは思われない。無論、時代を経るに従って大和も鉄の重要性を認識し、吉備や出雲の弱体化を図っているが、国家統一の原初においては石器が有用視されたのではないか。素戔嗚尊が八岐大蛇伝説で産鉄の民に勝ったと言うのも、鉄の量が少なかったからだと思う。おそらく国内で鉄の量産化が進み、韓半島からの輸入が増えたあとなら、大和を中心とした統一国家は生まれなかったと思われるが、大和がスピード感をもって統一を図ったことが大和を中心とした統一国家が形成された原因と思われる。

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