彦と姫

 日本の歴史書には男子には「彦」、女子には「姫」の敬称を付けることがある。彦の敬称ないし尊称は古代で廃れたようだが、姫は江戸時代まで続いたようである。そこで、この「彦」「姫」の起源をたどってみると、文献的には「魏志倭人伝」の対馬国や壱岐国の大官である「卑狗」(=彦とする)や邪馬台国女王「卑弥呼」(=姫命とする)や狗奴国の男王「卑弥弓呼」(=彦命とする)が初出となろう。一応、西暦の100年頃には既にあったことになる。
 そこで、その語源と言えば諸説あるも、1.霊子、霊女とか2.日子、日女とか、神的と言おうか霊的と言おうか、崇高な物にその起源を求めているようである。しかし、邪馬台国女王卑弥呼はその傾向はなきにしもあらずだが、狗奴国男王卑弥弓呼は邪馬台国に戦いを挑んでおり、とてもそんな霊的な人とは思われない。当時は祭政一致で霊験あらたかな者でなければ人民の統治は出来ないと言われるかも知れないが、そんな霊能力ばかりでは現実の生活は出来ないのであり、本来の意味は、ほかにあったのではないかと思う。
 そこで、「彦」の意味であるが英彦山とか弥彦山とか雪彦山とか山(高地)に関わりがあるものがあり、私見では台形の形をした高所を言うと思う。彦は凹(へこ)のことか。また、魏志倭人伝の対馬国や壱岐国の副官は卑奴母離(夷守)となっており、母離(=守)の語源は「目(ま)もる」の意味だといい、目で監視をすることという見解もあるが、母離は「盛り上がる」と語源を同じくし「盛り上がったところ」の意味ではあるまいか。卑奴(ひな)は在地の人をいうか。すなわち、彦も守も一段高い位置から命(みこと)を発する者の意味であり、彦命、姫命の命もその意を表すものではないか。従って、「彦」の原意は管理職者としての世俗的なものに起源があり、高邁なものとはならないのではないか。「姫」についても、「彦」と同時に発生したものではなく、邪馬台国の卑弥呼女王のような女性統治者が現れてから出来た言葉ではないか。従って、少男(をとこ)、少女(をとめ)などの「こ」や「め」とは直接関係がなく、彦の女性名詞を作出する際、参照導入されたものか。

 なお、魏志倭人伝では邪馬台国の卑弥呼や狗奴国の卑弥弓呼には姫命とか彦命とか命の文字が付いているもののようだが、対馬国や壱岐国の卑狗にはその文字がないようだ。これは、邪馬台国などが先進地域であり、対馬国などは後進地域で先進地域の内容が未だ末端まで届いていなかったと言うことか。既に当時は情報は邪馬台国(大和国)から発せられていたようだ。対馬国と壱岐国以外の国の官名については、

伊都国 官 爾支(ニキか) 瓊瓊杵尊(ニニギ)のことか。あるいは、稲置(イナギ)のことか。副 泄謨觚(イモコか) 後世の小野妹子と同類の名前か。イモ(妹)には居守り(内にいて守る者)の意味があると言う。但し、妹(いも)と居守り(ゐも・り)は同音か。柄渠觚(ヘキコか) 日置(へき、祭祀を毎日行うこと)子か。要するに、泄謨觚は行政担当次官で柄渠觚は神事担当次官のことか。伊都国と奴国の官名に「觚(こ)」の付く官名があるが、当時、知識先進地域であった伊都国や奴国の有識層の者(平たくいえばハイカラと言うこと)が中国の孔子、孟子、韓非子などの「子」の字に「こ」の読みを与えたものか。但し、高句麗で扶余族の貴族の称に加(か)というもの(例、相加-そうか、古雛加-こすか)があり、それが日本に入って「こ」となったという説あり。それに、伊都国、奴国の二国は記紀の高天原神話に大きな影響を与えていると思われ、爾支(ニキ)も瓊瓊杵尊のことか。但し、多数説は稲置(イナギ、伊尼翼)説か。伊都国には王がいたという。他の国の王は邪馬台国(大和国)に集められ、在地の人や邪馬台国から派遣された者が統治に当たったのだろう。伊都国は伊邪那岐、伊邪那美以来の大和の同盟国だったからか。伊邪 → 伊蘇 → 伊都と変化したものか。

奴国 官 兕馬觚(シマコか)  島子のことで、浦島太郎の伝説で有名な筒川嶋子(つつかわしまこ)のモデルの人か。筒川嶋子は「丹後国風土記」逸文によれば与謝郡日置里筒川村の日下部首(くさかべのおびと)の先祖という。元祖「島子」さんは奴国の長官であり、おそらく公務で壱岐国や対馬国、はたまた、韓国(韓では鉄が採れ倭もその権益に与っていた)へ出張した時の話が子供向けに潤色されておとぎ話の「浦島太郎」になったのではないか。副 卑奴母離(夷守)。私見を付け加えるなら、韓には当時既に倭人のコロニーである任那があったのではないか。任那の那は奴に通ず、とまでは言わなくとも、任那と奴は関係が深かったのではないか。但し、任那建国は369年という。また、任那はミマナとは読まないとの見解もあろうかと思われるが、倭人はミマナと言ったが、漢字で表記する方が任那と記録したのではないか。

不弥国 官 多模(タモか) 保(たも)つには、統治する、支配するの意味があり、その意味からと思うが、福岡県糸島市には、海女が水中で獲物を入れる袋のことをいうとあり、言い方にも「たも」「たま」「たぼ」とあるので「多模」の読み方のいずれにも該当する。あるいはこれに語源があるか。もし、不弥国を現在の宗像市と仮定するなら「たま」と読み宗像大社のご神体の貴石や「たま」=霊のことか。副 卑奴母離(夷守)。

投馬国 官 彌彌(ミミか) 耳の文字は天忍穂耳を始め記紀の中にはたくさん出てくる尊称である。投馬国を出雲国とするならば出雲国造の始祖は天穂日ではなく天忍穂耳だったか。副 彌彌那利(ミミナリか) 彌彌(長官)に従う者の意味か。もっと具体的にいうと、彌彌那利の那利は「AはBの言いなりになっている」のなりと同根の言葉で彌彌那利は彌彌に唯々諾々として従っていたのではないか。「ミミ」は原意は突起物のことではあろうが、ここでは上に向かった突起物のことを言うか。すなわち、「穂」と同じ意味か。

広告
カテゴリー: 歴史 タグ: パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中