任那日本府のこと

過般、「日韓歴史共同研究委員会」なる機関が「任那日本府」はなかった(正確にはA.D.541〜552の間を前後した短い期間にのみ存在したと説く)とか「安羅倭臣館」(安羅が新羅、百済への服属を嫌い、倭との対外関係を円滑するために設置した機関。倭臣は安羅のお雇い外国人。但し、日本では倭国が設置した倭国並びに倭人の韓半島南部における権益の保護を目的とした機関と解するのが一般的)というのが妥当とかいって物議を醸している。発案者が韓国の方のようで真意は那辺にあるかははかりかねるが、何か研究成果が論文を書く人の一方的な見解や主張になっているようだ。共同研究と言っても個々の研究の寄せ集めのようだ。日本人と韓国(朝鮮)人の過去の経緯から言ってやむを得ないのかも知れないが、もう少し「共同」の実を上げてほしいものだ。

《韓半島南部の倭人》

「魏志」韓伝に、任那の地は韓のうち「南は倭と接す」とか「倭の北岸狗耶韓国(後の金官加羅国、今の金海市)」とか書かれているので、倭人が韓半島南部に定住していたことは間違いないと思う。しかも、魏志が正しいかどうかは別にして韓半島南部の一角は倭国と理解していたようである。なぜこのような遠方の地に倭人がいたのかと推測するに「国に鉄を出し、韓・濊(わい)・倭、皆、従いてこれを取り、諸市買うに皆鉄を用う。中国の銭を用うるが如し」とある。韓で倭人が買い物をするには鉄が必要だったので、鉄を確保するため彼の地へ渡ったのであろう。安定的に定量の鉄を確保するためには、定住、まとまった人数の採掘者が必要だったので倭人コロニーを築いたのではないか。なお、倭人とは韓人の一種というような見解もあるようだが、「魏志」や「好太王碑文」に出てくる「倭(人)」は今の日本(人)のことである。また、倭人が韓半島(任那かと思う)に定住した場合、何世代かを経たら韓人となると言うのだろうか。

《具体的にどこが倭人の定住地だったのか》

任那という地名があり、日本では日本書紀が韓半島南部(洛東江、蟾津江界隈)にあった小国七国(神功紀)あるいは十国(欽明紀)の総称としているが、中国では好太王碑に「任那・加羅」、宋書に「新羅、任那、加羅・・・」とあり、一小国の国名だったようである。日本書紀的な総称は、加羅か。あるいは、任那加羅と連記されているので日本の枕詞★のように、任那の部分を聴いて倭人が、加羅の部分を聴いて韓人が同じ地域を連想していたのかも知れない。私見を述べれば、任那というのは日本語ではなかったか。(但し、通説は主浦の韓語訓読みnim-naeのこととしている)任那の「ミマ」とは漢字で書くと水間とか美馬とか御間とかに当てられ、「ナ」は倭語で土地とか国という意味ではないか。(クニは漢字の「郡」=クンの音をうつしたもので、当時は日本に「ン」の音がなく一番近い「ニ」の音を当てた外来語である。クニの元々の日本での意味も「郡」に相当するもの)即ち、任那は倭人が建国した国で主に倭人が住んでいたと思う。おそらく、「ミマ」とは水田適地を言い、倭人の食糧確保のため建国したのではないか。とは言え、倭は任那以外も新羅王家の一つ「昔(せき)氏」は倭の多婆那国出身とか、倭は百残××新羅を破り以て臣民となすとかあって、倭の韓に対するコミットは多い。しかし、韓半島南部における倭人の衰退はこの頃からじわじわ始まっていたと思う。理由は鉄が倭(特に、九州北部地域)に入ってきて、今までの木製の鋤、鍬に代わって鉄製の鋤、鍬が行き渡り農業の生産性を飛躍的に増大させたとか、土鍋が鉄鍋に取って代わり大きく省エネに貢献したとか、そんな話は全く聞かない。その種のメリットがあれば倭人の性格からして集中豪雨的に韓半島に渡り、鉄の採掘に精を出したであろうが、庶民に恩恵がないと分かると渡韓する者は徐々に減ってしまったのではないか。途中、神功皇后(実際は応神天皇か)の新羅討伐や好太王碑文にあるような侵略もあって倭の勢力を盛り返したかに見えたが、現状維持が関の山ではなかったか。

★一説に、古代日本は大和民族の単一民族国家どころか多民族国家だった。そこで、多民族の意思の疎通を図る手段として各民族の同じ意味の言葉をつなげて(例、ワタツミ、海のことをワタと言った民族とウミと言った民族がいたので合体してワタツミとした。枕詞になったのはその後の話。ちなみに、ワタは英語のwaterと同源の言葉という)一語にした。

《大和朝廷と韓の関わり》

大和朝廷が文献的に韓半島経営にかかわり始めたのは、好太王碑文にある、百済、××、新羅を臣民とした、とあるときからであろう。おそらくこの頃から「海北弥移居(みやけ)」とか「任那官家」と言われる皇室直轄の屯倉を創出したのではないか。但し、通説は韓半島の屯倉は継体朝から欽明朝の頃に設置されたとされる。

日本書紀における日韓交流

崇神65年秋7月 任那国 蘇那曷叱知(ソナカシチ) 来朝

垂仁2年是歳  同上 帰国

(注に意富加羅国王子、名は都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト)。亦の名は于斯岐阿利叱智干岐(ウシキアリシチカンキ)が崇神朝に来訪。天皇崩御後、垂仁天皇に3年間仕え、帰国する際、垂仁天皇に「汝が本国の名を改めて、御間城天皇の名を負(と)りて、便(すなわ)ち、汝が国の名とせよ」と。)任那が倭語で倭人が建国したのなら任那国人の名前も倭名であっていいはずだが、蘇那曷叱知とはこれ如何にという感じだが、意富加羅国王子は「名は都怒我阿羅斯等。亦の名は于斯岐阿利叱智干岐」とあって、何やら倭韓並記のようだ。また、任那の国名が御間城天皇の名に負ったものと言うのも逆ではないかと言うのが有力説。それでは崇神天皇は韓人と言うことか)

垂仁3年春3月 新羅の王子 天日槍 来朝

神功皇后摂政前記 仲哀9年冬10月 神功皇后新羅へ発向。新羅・高麗・百済を征服し、内官家屯倉(うちつみやけ)を定む。これが好太王碑文にある辛卯の年の進攻ではないかと考えられるが、史実は応神3年是歳条の紀角宿禰、羽田矢代宿禰、石川宿禰、木菟宿禰の派遣のことを言うと解するのが通説のようである。応神朝は倭韓の往来がおびただしい。

次いで、雄略朝であるが、雄略9年3月 天皇、親ら新羅を伐たんと欲す。神、天皇を戒めて曰わく、「な往しそ」と。 この頃には韓国は日本の制御不能となったのだろう。代わりに紀小弓宿禰、蘇我韓子宿禰、大伴談連、小鹿火宿禰等を派遣する。紀小弓は病死、大伴談連、紀岡前来目連は戦死。残った紀大磐宿禰(小弓の子)、蘇我韓子、小鹿火宿禰は不仲で、紀大磐宿禰は韓子を誤って射殺してしまった。 雄略20年冬 高麗、百済を滅ぼす。天皇、久麻那利(任那の一部)を汶洲王に賜い、救済する。

顕宗3年春2月 阿閉臣事代、任那に使いす。 是歳条 紀生磐(大磐)宿禰、任那にて反乱を起こすも失敗。

継体6年冬12月 任那四県を百済に割譲。 継体21年夏6月 近江毛野、兵6万を率いて任那に発向。筑紫国造磐井反乱を起こす。 継体21年秋8月 物部麁鹿火を磐井討伐の大将軍に任命。 継体22年冬11月 物部麁鹿火、筑紫国造磐井を誅する。 継体23年春3月 以後、新羅、百済、加羅の領土(加羅の多沙津)をめぐる争い、及び、仲介者近江毛野の不手際の連続。

宣化2年冬10月 新羅が任那を寇(あたな)うので、大伴金村に命じ、その息子磐と狭手彦を遣わして任那を助けしむ。狭手彦が渡韓し、任那を鎮め、百済を救う。

欽明元年秋8月 天皇、大伴金村、許勢稲持、物部尾輿等と難波に行幸し、新羅攻略を協議したが、尾輿が金村の百済に対する任那四県の割譲を批難。(大伴金村失脚) 欽明2年夏4月 任那諸国の旱岐、次旱岐等と任那日本府の吉備臣が百済に出向き任那再建の詔書を聴く。欽明4年冬11月 天皇、津守連を遣わし、任那再興が進まないことに聖明王を叱責。しかし、新羅と国境を接する任那諸国と任那諸国を緩衝国とする百済の立場は完全に分かれ、新羅傘下に入ろうとする任那諸国と倭傘下の百済は修復できない状態になった。ここで倭の韓半島南部支配は、実質、日本の敗北と言うことで収束したと言うべきであろう。

《任那日本府はどのような役割をはたしたのか》

任那日本府は、はっきり言って、何のために設置された機関かが分からない。そこで諸説が喧伝されている。1.任那における在地倭人の連合体 2.倭と任那の協議体 3.倭の出先機関 4.倭王権が派遣した単なる使者(官人) 5.任那が倭国に設置させた軍事を主とする外交機関 6.安羅国の外務官署 など。1.は、的臣とか吉備臣とか倭から派遣されている人物がいるので即賛成とはならない。2.と3.は、倭が自己の便宜のため設置した機関と考えられる。4.は、単なる官名と言うもののようだが、それなりの被用人もいた組織であり、的臣の単なるアシスタント的な人ではなかったと思う。5.は、任那日本府が主導して軍事行動を起こした形跡はない。6.は、的臣以下の倭人は安羅国のお雇い外国人と説くもののようであるが、欽明天皇も「日本府臣等」(例、欽明13年夏5月の詔)と言っているので任那日本府は倭が設置したものであろう。現代の概念で言うと倭国や倭人の権益保護を目的とした大使館のことかと思う。しかし、任命された的臣以下関係者は天皇との縁が薄い何の役にも立たなかった人々ではないか。即ち、天皇は任那日本府などには何も期待をしていなかった。当時も国際紛争の解決法として1.外交2.軍事とあり、百済の聖明王も倭の欽明天皇もそれぞれ心を砕いたが、前者は任那諸国の離反を防げず、後者は人材難で沈んでしまった。

広告
カテゴリー: 歴史 パーマリンク

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中