壱岐国の読み方について

 「壱岐」の読み方については古代より「イキ」と「ユキ」がある。
「イキ」と読むのが多数であるようだが、例、伊伎(古事記)、伊吉(国造本紀)、壱岐(日本書紀、延喜式、和名抄-但し、読みはユキ-)、壱伎(続日本紀)「ユキ」も少数ながらある。例、由吉能之麻(万葉集)。これが中世になると、「ゆきつしま」「ゆき対馬」(鎌倉時代、日蓮書状)、「Yuquino xima(ユキノシマ)」(戦国時代、フロイス「日本史」)、「ゆき」(戦国時代、豊臣秀吉書状)と俄然「ユキ」が多くなる。万葉仮名では「ウ」の音に甲類、乙類の違いはないようである。
 考えられることとしては、
 1、壱岐地方の方言としてドイツ語系の「U・ウムラウト」のような発音があり、
   その後の日本語発音体系になる際、ウないしユと解釈して「ユキ」と発音した
   人々とイと解釈して「イキ」と発音した人々の二つのグループができた。但し、
   万葉の時代から「イキ」と「ユキ」が混在していた。
或いは、
 2、「ヰ」の発音で「Wiki」と発音していたものをその後の日本語発音体系になる
   際、WIが母音として分化する際「ウキ」ないし「ユキ」と発音した人々と
   「イキ」と発音した人々に分かれたか。
 3、「行き」には「イキ」と「ユキ」また「言う」には「イウ」と「ユウ」の両様の
   読み方があり、壱岐島でもイキまたはイウと発音した人とユキまたはユウ
   と発音した人がいただけ。畢竟、奈良方言と京都方言の違いかと思われ
   る。即ち、国司が奈良出身の人の時はイキとなり京都出身の人の時は
   ユキとなったのである。但し、「イウ」と「ユウ」は中世以降との説あり。
   また、壱岐国にも、伊宅(いたけ)=湯岳(ゆたけ)説に従えば、「イ」と「ユ」
   の混用があったようである。
 外国人のルイス・フロイスまでが「Yuquino xima」と聞き取っているところを見ると、実際の人々の間では「ユキ」が優勢だったのではないかと思われる。文献で「イキ」が多いのは単に前の文献を写しているだけで、実際の音は聞いていなかったかと思われる。万葉時代の人や鎌倉、戦国時代の人々は現地に足を運んでいる人が多い。但し、「イ」と「エ」を混用するところはあっても、「イ(この場合はYiか)」と「ウ(この場合はYuか)」を混用する話は余り聞かないので検討を要するか。上記、3の説参照。
 「ユキ」は油木、由岐、柚木(今は、ゆのき)、湯来、湯木など、「イキ」は伊伎、伊木、壱岐があり。どちらが地名としての語源となるかは更に調査を要する。
 私見をまとめてみると、魏志倭人伝にも「壱大国」とあり、古事記にも「伊伎島」とあるので、古代では「イキ」と読んだかとも思いきや、和名抄では「壱岐島」に「由岐」と訓じている。こうなると、古くは「壱」の字は「イ」とも「ユ」とも発音したのかと考えたくなる。平安時代からは話し言葉としては、「ユキ」が定着していたと見るべきか。なお、イキは、井気多=池田、伊岐太=池田、伊伎加美=池上など池の字に当てられることが多い。池とは水たまりのことを言う、と言う説もあるので、壱岐(イキ)の語源は壱岐島の入江の多さを言ったものか、はたまた、水利のためのため池のことを言ったものか。但し、壱岐島には池田という地名があるそうで、古く「池」と言っていたものを「田」に変わったので池田と言う由。私見は「池」を「伊伎」とこじつけ、現石田町池田の地を「壱岐」の地名の始原の地というものではありません。和名抄にも「池」ないし「池田」という地名はない。池田が文献に出て来るのは建治二年(1276)であり、池が水田になる話は「壱岐国続風土記」(1742年)にある。また、古く壱岐国が壱岐郡と石田郡に分かれていた時代、壱岐郡は島の北部にあったのでこの場合の池=伊伎は、昨今流行の「The Cove」ばりの入江をさすか。しかし、そうなると「××浦」という地名は「××池」とならなければならず、そこが問題だ。
 「和名抄」の写本の中には壱岐郡の内に伊周(いす)郷を記しているものがある。中には駅家と注記している写本もある。また、延喜式兵部省諸国駅伝馬条に伊周駅とある。多数説は伊周は可須の誤記とするもののようである。しかし、伊周と可須が併存していてもおかしくはないのではないか。一般的にはス(漢字で書けば「洲」か。砂-スナ-のスか)と言う脆弱な地盤の土地があって、それが可須と伊周に分かれたのではないか。始めから別々の所に伊周と可須があっても問題ない。国府に近い方が伊周であり、国府に伊周より遠い方が可須ではなかったか。どこかを起点にして同じ地名の近くの方を「い××」遠くの方を「か(あ)××」という例は伊勢→加勢、伊達→安達、伊島→加島、伊川→香川(阿川)など多く見かける。それに、伊周を可須(何須と書くらしい)の誤記というなら伊吉の誤記とした方が見栄えがよいのでは。吉の字に余計なかまえ(盾かまえというのか)を付けたか。そして、実際の伊周なり伊吉の地はどこかというと、或いは、壱岐市勝本町大久保触にその痕跡を残すか。大久保の地名はいつ頃から使われたか(江戸時代末頃か)は不明だが、壱岐島は水が簡単に地中にしみ入るようで池=伊吉がなくなったら地名もなくなったのでは。後世、観察力の鋭い人が大久保の地を発見したのでは。なお、「池(イケ)」は万葉集では伊氣、伊戒、伊聞とあって、所謂、乙類の「ケ」である。それに対し、伊伎、壱岐、伊岐、伊吉の「イキ」は甲類のキで、「池」とは違うのではないかと言う意見もあろうかと思う。時代が下りすぎて信ずるに足るものではないが「和名抄」にも上野国邑楽郡池田郷に伊岐太(伊支太)の訓をつけている。判断が難しいところだ。
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